story

□オレンジ
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オレンジ





あれは、漂流して何日目の夜のことだっただろう。



空腹で死にそうになりながら
海のド真ん中でクソジジィと二人っきり


広い広いこの海の上では
俺の存在はあまりにも小さすぎて
船が近くを通っても
誰も気付いてくれなくて


凪いで、ほとんど波の立っていない夜だったから
ジジィに聞こえないように
ひざを抱いて必死に声を押し殺して泣いて

泣いて、泣いて、泣いて。

流れ落ちる涙さえ、もったいなくて舐めとったら
海の水みたいにしょっぱくて

それが本当にやるせなくて、また泣いた。



しばらくの間ずっとそうしていたら
もう、いろんなことがどうでもよくなってきて
いっそ死んだほうが楽になるのかなぁとか、ぼんやり思ったりして。


でも、それでも、
今こうしてうつむいている間にも船が通るかもしれないって
希望は捨てられず


顔をあげてうっすら目を開けたらそこには
船ではなかったけれど、

オレンジ色をした月が、闇の中にぽっかりと浮かんでいた。












俺が今更そんなことを思い出すのは
今宵も漆黒の空にそんな月が浮かんでいるからであり。


クソジジィは今ごろどうしてるだろう。
煙草の煙をはきながら、そんなことをぼんやり考えた。




不意に、うしろのほうでギィ、と木の扉の開く音がした。


「すげぇ色の月だな」


聞きなれたあいつの声。

振り向いたらなんとなく俺の負けのような気がして、前を向いたまま訊いた。


「…何しにきた?」


奴の足音がこっちに近づいてくる。


「…眠くならねぇんだよ」


弱い風が吹いた。
髪の毛が揺れ、煙草の灰が少し落ちた。


「お前は昼間に寝すぎだ。来んなよクソマリモ」

「目ェ冴えちまったんだ。仕方ねーだろ」


ゾロは俺の言葉を無視して隣にくる。
そしてあくびをかみ殺しながら俺に聞いた。


「お前こそなんで起きてんだよ?」


欠伸のせいかうっすら涙目になってやがる。
寝付けないっつってたのはどこのどいつだよ。


「…俺か?俺は、」


手に持った煙草で、目の前に浮かぶ月をさした。


「…月見。」


船の立てる波の音しか聞こえないほどに、海は凪いで(あのときと同じように)
そして月は、そんな海を暗く照らし出している。
俺の煙草の指す先を見て、感心したようにゾロが言う。


「…珍しい色だな」

「お前の頭も十分そうだぜ」


口角だけをあげて奴を見た。ゾロは眉間に皺を寄せて何か言おうとした、が、やめてしまうとさっきよりも少しだけ目を細め、また月を見た。

その真剣な横顔を見て思う。

こいつは、月に何を想ってるんだろう。

聞きたい。そう思うと同時に、話したいとも思った。


「…ガキん頃に同じような月を見たことがあってな、」


気付いたら、口をついて勝手に言葉が出てきていた。


「…美味しそうで仕方がなかった」

「あ?」


ゾロが俺のほうを向くと同時に奴のピアスの触れ合う音がかすかにした。


「すげぇ腹減ってるときでよ、けどいくら手のばしても届かねぇんだ」


オレンジの月の端が薄い雲にかかる。
ゾロは、黙って俺の話を聞いている。


「こんなに美味しそうな、蜜柑みたいなのが目の前にあるのによ」


そう言って、おもむろに手をのばす(あのときと同じように)


「…ほらな、」


すぐそこにある、簡単に触れられそうなそれを、何度か手で捕まえる仕草をしてみせる。


「やっぱり届かねぇ」


自嘲気味に笑って、手を下ろした。



雲はやがて流れ、また丸い月がぽっかりと顔を出す。



そんな俺を見て、ずっと黙っていたゾロが、ため息をついた。
そして、俺の頭にそのデカい手をのせた。


「俺も月には届かねぇ。だがな、お前には届くぜ」


そうして俺の髪をぐしゃぐしゃにして、ゾロは手を引っ込めた。


「…何だよそれ」


うつむいて、髪の毛を直すふりをした。
どんな顔をしていいのかわからなかった。
少し、泣きそうになった。


「お前ちょっと待ってろ」


ゾロはそう言って俺の隣を離れた。
そしてしばらくして手に大きな酒樽を持って戻ってきた。


「飲もうぜ」

「バカお前それ保存用の…」

「固ぇこと言うなって。まぁ、飲もうぜ。」


無理矢理座らされた。
ゾロは酒樽ごと飲もうとしている。
漆黒に浮かぶオレンジの月だけが今宵の肴。

なんだか目の前のこの男を見ていると、物事を複雑に考えすぎる自分が馬鹿みたいに思えてくる。



「…お前、何一人で飲んでんだよ。俺にも貸せ」


そう言ってゾロから酒樽を奪い、ごくりごくりと俺も飲む。


「ちょ!おまッ…それ飲みすぎ」


奴に酒樽を奪い返される。

ぷはぁっと息を吐き、口を拭う。

自然と笑い声が出る。



「あんとき死ななくて、よかった」




凪いだ海
心地よい風
夜の闇

見上げれば
あの時と同じように浮かぶ
オレンジの月。











end

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