story
□ashes to ashes
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「またやってきたの?」
蒸し暑い夏の夜、亜久津がまた喧嘩して帰ってきた。否、“喧嘩”じゃない。おそらく彼が一方的に殴るだけで、相手は途中から無抵抗だったと思う。
その証拠に亜久津は、右手のこぶし以外はどこも怪我をしていない。
「あーあー。素手はやめときなって前も言ったのに。」
クーラーのききすぎた部屋の床に寝そべりながら、安いチューハイを飲む。
亜久津のパンチが強すぎるのか、彼の皮膚が薄すぎるのか、そのこぶしはからは真っ赤な血が滴り落ちていた。
「…ウザかったんだよ。」
あぁ、気持ち悪ィ。そう言って彼はところどころ赤に染まった制服のボタンをはずしながら風呂場へとむかった。
その淋しそうな背中にむかって声のボリュームをあげて言う。
「消毒液もう無いから。要るんだったら自分で買ってきてよね」
ashes to ashes
風呂からあがり、ソファにどっかりと座りながら煙草を吸う彼に思わず見とれる。
亜久津は濡れた髪をおろしていた。
そういうときの亜久津は、なんだかとても華奢だ。体格とかそういうのではなく、彼をとりまく雰囲気そのものが、言うなれば、とても、“切ない”。
「…じろじろ見んなよ。」
睨まれて、はっとして我に返る。
「見つめちゃいけない?好きな人のコト」
へらへらと笑いながらそう言って、手に持っていた缶の中身を勢い良く飲んだ。少しむせた。
亜久津は黙ってこっちを睨んでいる。
俺はその顔に、軽く咳き込みながらにっこりと笑顔を返す。
「俺、本当にそう思ってるんだけど。わかんないかなー、亜久津みたいな鈍感な人には。」
「…テメェ、殺すぞ。」
それは、俺のバカみたいな発言に対して?それとも亜久津のこと“鈍感”って言ったから?
心の中で尋ねてみた。
答えは、返ってこなかった。
―知ってるのに。
亜久津は、俺の考えてること詮索するような奴じゃないって、ずっと前から、知ってるのにね。
「…亜久津さぁ、ウザイからって人殴ってたらいつか本当に殺しちゃうよ?」
彼は短くなった煙草を灰皿に押し当て、煙をふうっと大きく吐いた。
その煙は、クーラーの冷風にかき消されてすぐ消えた。
「そうかもな。」
味気なく彼がそう言ってまだ少し湿っている前髪をかきあげたとき、その白い手の甲に血がたれているのが見えた。
「血、まだ出てる。」
彼はこぶしをちらっと見やるとほっときゃ治るとぼそりと言った。
そのとき、血の赤と亜久津の白とのコントラストが不思議と俺の目について。
俺は、その赤をすぐに消さないと、と思った。どうしてだか理由はわからないけれど。亜久津の白を汚しちゃいけない。そう思った。
「ね。舐めさせて、ソレ」
俺は彼の足元にすり寄って、その手を指差す。
そして亜久津の返事を訊かないまま、俺は彼の腕を無理矢理掴んで傷口のうえから手をぎゅっと握った。
ソファに座っている亜久津の顔を、下からのぞきこむ。
彼は眉間にしわを寄せている。
皮膚の下の細胞に触れる俺の手のひらに、彼の体内の暖かさがじかに伝わっていくのを感じる。
「痛い?」
彼は目をそらす。けれどその手は、何の抵抗もしないまま俺の手の中に納まっている。
彼の従順さがおかしくってクスクス笑った。
「今なおしてあげるね。」
彼の手の甲を唇に引き寄せて傷口に軽く接吻する。それから舌で、亜久津の血を、皮膚の奥の赤い細胞を、何度も何度も深く舐めた。
鉄臭い、真っ赤な血の、そのままの味がした。
俺が夢中になって傷口をえぐっている間も、亜久津は表情を変えることはなかった。
ただじっと、俺に舐められていた。
「亜久津の血が俺の栄養になってくのがわかる。」
そう言って、ぴちゃぴちゃと音をたてて傷口を吸った。
「…終わってるな、オマエ。」
亜久津が口角をあげてハッと笑い、俺を冷たく見下ろした。
そこからは、きっと異様な光景が見えるんだろう。
「オマエじゃなくて俺達、でしょ?」
破れた皮膚と細胞のきわを舌でなぞった。次から次へと血が少しずつあふれてくる。
その味に、飽きることはなかった。
「…俺さぁ、亜久津にだったら、殺されてあげてもいいよ。」
傷口から流れ出た血の筋を、丁寧に舐めあげる。
彼なら、痛みもなく恐怖もなく、俺を逝かせてくれるだろうとずっと思っていた。
皆知らないかもしれないけど、亜久津はすごくすごく、優しい人だから。
「救いようのないマゾだな」
彼は皮肉な笑みを浮かべる。
その目は俺に同情しているようでもあり、また悲しんでいるようでもあった。
「…そうかもしんないね。」
ふふふっと笑って、そして自分の口のまわりについた彼の血をぺろりと舌で舐めとった。