story

□チーズケーキ
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鍵のかかっていない玄関の扉を開ける。


「乾、入るよ。」


乾はどうせ返事をしない。
リビングからはカタカタというキーボードを打つ音だけが聞こえてきている。


「ケーキ買ってきた。」


暗い部屋に入ると、彼は案の定パソコンに向かっていて、その画面の青白い光に照らされて彼はまるで他人のように見えた。

僕は部屋の明かりをつけ、そして二人分のケーキが入った小さな四角い箱をテーブルの上に置く。


「目、悪くなるよ。」

「これ以上悪くなったって一緒だ。」


そう、と言って僕は上着を脱ぎ、イスの背もたれにかけた。


「他にもたくさんあったんだけど君、甘いの好きじゃないみたいだから」


箱を開ける。


「チーズケーキ。食べる?」


返事はかえってこない。
僕は食器棚から皿をふたつ出して紙の箱からケーキを移し、フォークをいつもの場所からとってきて、それぞれの皿の上にのせた。


「食べるよね。」


僕はケーキののった皿を彼のそば、マウスの横に置く。

僕はソファに座り、それからケーキを一口食べた。

甘酸っぱかった。


「おまえには帰る場所が無いのか。」


画面を凝視しながら、独り言のように乾が言った。


「あるよ?」


2口目のケーキを口に運ぶ。

さっきより甘酸っぱさが増したような気がした。


「じゃあなぜうちに来る。」


少し振り向いた彼の、眼鏡の奥のするどい目が一瞬僕をとらえ、そしてまた画面へと帰っていった。


「…さぁ。」


僕はその一瞬の出来事に一瞬体を強張らせた後、目線をケーキに落とした。

考えてもここに来る妥当な理由は見つからなかった。

“淋しいから”なんて幼稚な言葉は君には適当じゃない。


「来たいから来たのかも。」


少し微笑んで、そしてその微笑みに自分で疲れてこんな答え方をするんじゃなかったと後悔した。

自然とため息が出る。


「いぬい、僕を癒してよ。」


馬鹿っぽく言った。そして言った後で、また後悔した。
ひどく惨めだと思った。自分を。

僕は喋るのをやめた。


そのかわりに探ろうとした。

…彼は今何を思っているんだろう、と。

フォークをゆっくりケーキに突き刺して彼の心の中を覗こうとしたけれど、うまくいくわけなかった。

口に運んだケーキは、喉に少しひっかかって落ちた。


しばらくして不意にくるりとイスを回転させて、乾が僕を見た。


「…不二、悪いけど今日は帰ってくれないか。」

「…え?」

「今夜はお前に構っていられない。忙しいんだ。」

「…またデータの整理?」


彼はパソコンに向き直り、またキーボードを打ち始めた。


「まぁ、そんなとこだ。」



カチ、カチ、カチ、カチ。
規則正しい秒針の音がかすかに聞こえる。

僕はフォークをくわえたまま


「冷たいなぁ。」


と、恐らく微笑んで、言った。





そのあと何をしゃべったのか、あるいは何もしゃべらなかったか、そういうことはもうあまり覚えてはいいない。

ケーキ以外は何も持ってきてなかったから、帰り支度をする必要もなかった。

イスから上着をとり、すたすたと玄関へと向かうと僕はドアノブに手をかけた。


「じゃ。」


振り返る。
けれど彼はどうせ部屋からでてこない。

全てがいつものことなのに、ドアを半分開けたところで僕は泣きそうになった。


「来て欲しくなかったんなら、」


彼に聞こえる程度の大きさで、つぶやく。


「玄関の鍵くらい、閉めといてよね。」


そう言い残して外に出ると、僕はドアをそっと閉め早足で帰っていった。


途中、一回だけ、後ろを振り返ってみたけれど。

案の定、彼は追いかけてきてはくれなかった。






end

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