story

□smile like a crying
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smile like a crying













だんだんと、表を通る車の音が増えてきた。

カーテンの隙間から紫色をした空が少し見え、数匹の鳥がキィキィと鳴く声がする。


気が付くと、また朝が始まっていた。


眠さとかだるさとかを前にも増して感じにくくなったような気がする。眠れないまま夜は過ぎていくし、何もしないまま昼は終わる。





ここ一週間、風邪という理由でずっと学校を休んでいた。毎日微熱が続いて眩暈がし、時々幻覚のような白昼夢のようなそんなものを見るようになったのは事実だけど、でも本当の理由はそんなことじゃなかった。
手塚に会いたくなかった。だだをこねる子供みたいに、理由はただそれだけだった。



一晩中横になっていただけのベットから立ちあがると少し眩暈がした。

そのままふらふらと洗面所に行き、蛇口をひねる。しばらくの間水が流れるのを何気なく見つめ、それから思い出したように顔を洗い、うつむいたまま手でタオルを探して顔をうずめた。それは濡れた顔にほのかに温かく感じられて、そして僕はこの瞬間が嫌いじゃなかった。

霞んだ日常の中の、一時の安息。

しばらくその余韻にひたってから上体を起こし、恐る恐るタオルを離す。鏡にはやっぱり青白い顔をした自分が映っていた。



こうして僕は、今日もようやく現実を見る。




家族が仕事に行ってしまっていて誰もいない家の中はひどく静かで落ちついたけれど、その分余計に彼を思い出してしまうというリスクもあった。

常に頭を何かで一杯にしておかないと、僕の脳の中のわずかな隙間を狙って彼の記憶が瞬時に入りこんできてしまう。彼の目、声、喉、手、後姿。一旦わきあがってきてしまえば、既に細部まで覚えてしまっている彼の記憶は僕を一日中苦しめた。無論全てが僕の中だけで起こっていることで、それが現在の手塚では決して無いはずなのに、それでも、どうしても、会っていない彼という記憶から逃れられなかった。


頭の中に住み着いた彼を消すには、彼に最後の言葉を言われなければならないと思った。

だから家にいる間、僕は常に何か考えていなければならなかった。もしくは何も考えてはいけなかった。


だからいつまでも、こんなふうに過ごすわけにもいかなかった。結末は予想できていたし、それを先延ばしにしているのは明らかに僕のほうだった。


(だいたい始まりからして無理やり承諾させたみたいなものだったしもしかしたら手塚にとって僕は…)


そこまで考えて、ぞっとした。必死になって目を閉じ耳をふさいでずっと気付かないふりをしてきたというのに、最後になって一番考えてはいけないことを考えてしまったと思った。彼の記憶よりも恐ろしいもの。
それは僕の中の懐疑心。


“彼は本当に僕を愛してくれていたのだろうか。”


とにかく、僕からは最後の言葉を言いださないでおこうと決めていた。そうでないと意味が無い。






次の日、久しぶりに学校に行き、久しぶりに友達と喋った。長い間眠り続けたあとのようで、起きていてもなんだか夢の中のようなそんな気分で、午前の授業はずっとぼんやり過ごした。午後は光の差す窓の外に目をやったりして、そして5時間目の数学の授業中、今日が快晴だということにようやく気付いた。昨日の朝見た紫色の空がこんなにも明るく澄み渡るなんて少し信じられなくて、その嘘のような青がいつまでもまぶたの裏側に残って消えなかった。


やがて部活の時間がやってきた。少し遅れてコートに行くと、先に集まっていた皆が駆け寄ってきて口々に大丈夫、と聞いてきた。僕はその応対に追われながらちらりと手塚のほうを見ると、彼は遠くの方で一人ストレッチをしていた。一瞬目があったように思ったけれど、気のせいだったかもしれない。

そして結局、部活中は手塚と一言も話さなかった。

だから僕は、帰り際に思い切って声をかけた。


「一緒に帰ろう」


彼は僕のほうを少し見て、わかった、と慎重に言った。彼もきっと気付いたはずだ。僕がその時を待っているということに。



夕日は既に沈み、暗くなった道を二人でとぼとぼ歩いた。


「久しぶりだね。」

「何が。」

「話すの。」

「…そうだな。」


僕の靴とアスファルトが擦れて、時々ざりざり、と滑稽な音を出していた。




しばらく沈黙が続いたあとで、手塚が尋ねた。


「もう治ったのか」

「え。」


風邪はもう治ったのか。彼はもう一度そう言った。


「何もひいてなんかないよ、最初から。」


少し笑った。


「ただ無気力だっただけ。」


そうか、と言って彼はまた黙り込んだ。こんなときでも優しい手塚が、少し憎かった。


「ちょっと寄っていこうよ。」


指さした先は小さな公園。あたりはほとんど暗くなっていたけれど、その公園だけは不自然なほど電灯が多く立てられていて、周囲の闇から切り取られるようにして存在していた。


僕は優しすぎる手塚のために、場所を用意してあげた。その意味を、きっと彼もわかっているだろう。


公園に入ると僕は手塚の三歩前をゆっくり歩き、手塚はその微妙な距離を保つように慎重に後ろを歩いた。





「今日さ、天気良かったよね。」


暗い草むらで虫が静かに鳴いている。


「もうすぐ夏だから、これからどんどん暑くなるね。」


僕は一人で喋った。


「今度の大会、勝てるといいね。」


不意にうしろの足音が止まった。




「不二。」


手塚が呼んだ。何かを決心したような声で。

足が自然と止まる。そして僕は目を閉じて、耳をすませた。




「別れよう」




それを聞いて、僕は再びゆっくりゆっくり歩き出した。うしろの足音は、もうしない。近くにあった電灯を見上げると古ぼけた黄色い光にたくさんの小さな虫が群がって飛んでいた。視線を足元に向け、今度は自分で繰り返しつぶやいてみた。

別れよう。別れよう。足元にあった小石を蹴る。別れよう。別れよう。小石は的外れな方向に飛んでいき、闇に隠れてもう見えない。別れよう。別れよう。



それは僕の予想していた言葉と全く同じだった。


そこまで正確じゃなくてもよかったのに、と苦笑した。ほんとうに、彼らしい。



振りかえり、そして、十歩うしろにいる手塚を見つめると、ゆっくりと右手でピストルの形を作り、その銃口を自分のこめかみにつけた。


「ねぇ。もし僕が死んだら、どうする?」


彼に聞こえるように少し大きな声でそう言った。悲しいほどに自分が微笑していることに気付き、やりきれなくなって右腕を下ろしたが、それでも僕は手塚を見据えて離さなかった。生ぬるい風が、二人の間を流れていく。なぜこんな質問をしたのか自分でもわからない。本当に聞きたいことは他に有るのに。僕は死ぬつもりなんだろうか。


「教えてよ。」


そう言ったとたんに眩暈がした。体中の力がふわっと抜ける。周囲の闇が白く点滅し出して、家にいるときに見た幻覚と同じような感覚に襲われた。だんだんと今居るのが夢なのか現実なのかわからなくなった。自然と目を閉じると、妙な浮遊感があった。







目を開けた。一番に飛び込んできたのは今日の昼間見たのと同じ虚像のような空の青だった。その色を見た瞬間、僕は高い高いビルの屋上のフェンスの外側にいて、もうすぐ飛び降りるところなのだと思い出した。

実際に僕の一歩前にはもう屋上のコンクリートは続いてなくて、下のほうには家や車や人ごみが小さく霞んで見えた。さっきまでの生ぬるい風はいつのまにか冷たくなって下から吹き上げ、僕の髪を躍らせている。遠くのほうには小さい頃に見たことのあるようなそんな灰色の海が広がっていた。

綺麗で、そしてそれだけに危うい景色に全身をすいこまれそうになりながら、それでも目で手塚を探してしまっていた。最後の瞬間まで、僕は何をしているんだろう。

急に何かを思い出して振り返ると、錆びた緑色のフェンス越しに手塚がいた。何か言っている。風の音でよく聞こえない。僕は聞き取ろうとフェンスに近づく。





「……馬鹿な事を言うな。」




その声を聞いた瞬間、ビルや錆びたフェンスや青の虚像は音も無く崩れ、波のようにすうっと引いていってしまった。そしていつのまにか辺りには元の闇が残されているだけで、フェンスを掴もうとして出した僕の手は中途半端な位置でとまった。



「話を、そらさないでほしい。」



彼の目が、夢からさめた僕をとらえた。


虫は鳴き続けている。



わかった気がした。


今までずっと僕を現実につなぎとめててくれたのは、君だったのかもしれない。






「いいよ。別れても。」



用意していた返事を、そのまま返した。


手塚が別れたいって言ったのも、僕がそうしむけたのも現実。


やっとこれからは、手塚の記憶から逃げなくて済むんだと思うと、安心した。


「…最後にひとつだけ、聞いていい?」


暗闇の中彼は浮きあがって見え、そういえばその姿は細部まで、僕の中の記憶と少しも違ってはいなかった。


「僕のこと好きだった?一時でも、一瞬でも。」


素直な気持ちで聞いた。


「…あぁ。」


彼が百年遅れの返事をする。


「本気だった。」


その言葉を聞けてよかったと、心の底から僕は思った。

今までの孤独とか悩みとか、そういうものが全て報われたようなそんな気がした。




嬉しかった。








僕はもう一度右手のピストルをこめかみにあてた。


銃口がかすかにひんやりと感じられて、視界の端にはいつのまにか黒い銃が映っていた。


それはずっしりと、重く、凍るように冷たかった。



最後の最後まで僕の現実は曖昧らしい。

でも夢とか現実とか、もうどうでもよかった。

君と僕との関係は終わった。それだけは、疑いようもない事実だった。




「僕も、本気だったよ。」


トリガーに指をかける。


「バイバイ、手塚。」


ほとんど泣くように笑って、最後に僕はそう言った。






end

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