short(1作品)

□影踏み(仮題)
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ーキミ、女の子だよね


 彼女のその言葉は私の顔から血の気を奪うのに十分すぎる程の威力を発揮した。
この後に及んで、私ー小山雅がその時感じた恐怖は、とき青の皆が、ではなく、自分が野球が出来なくなるのではないか、という稚拙なものであったことを白状しておく。



 眼前のおさげの少女は一切の邪心も曇りもない瞳で私を見つめていた。

 早川あおい。

高校野球史上初の女性選手。
だが、その道なりは決して平坦なものではなかったと聞く。
共学化した恋々高校には野球部が存在しなかったらしい。ようやく部員を集めて臨んだ初めての公式戦、直後の出場停止処分。マネージャーへ転向し、しばしチームを裏方として支える。そして、最後の夏、チームメイト達の署名活動を経て、特例として認められたetc.
ルール破りからヒロインと手のひらを返したマスコミによって、聞きかじった情報をつらつら並べてみただけで、彼女が選手としてグラウンドに立っているという事実の重さを感じ、私は息苦しくなった。
憧れはしなかった。私には羨望を抱く資格などなかった。
私は彼女と違って、自分を偽り、チームメイトを騙す道を選んだのだから。
テレビで、新聞で、早川あおいの名前が踊る度に私は名状しがたい感情を覚えたのをよく覚えている。
 その感情は、嫉妬と呼ばれるものだったのだ、と、今になって、思う。
 彼女は私を罵倒するべきだった。
卑怯者、と嘲られれば、どれほど救われたか。でも、彼女は、ただ、大変だったね、と漏らした。
同情、ではなかった。見下していたわけでもなく、彼女はただ同じ野球をする女性としてその言葉を放ったのだった。

 それはずっと私を縛る鎖となった。



 大学はなるべく遠いところを選んだ。ときめき青春高校の小山雅を知る者がいない場所である必要があった。
一人称を僕から私に。
だけど、私は早川あおいの影から逃れることは出来なかった。
 覚悟して、女として入部した野球部で、私は拍子抜けするほど自然に受け入れられた。
大学野球では女性選手が過去にいたことが大きかったのは間違いなかった。それでも、早川あおいもプロ野球選手になったもんな、などと後に、チームメイトから当時の感想を聞いた時、私は身体中から力が抜け落ちるのを感じた。
結局、私は早川あおいにはなれない。



 3年生になった時、社会人野球に進んでいた青葉くんが指名されたことを聞いた。高校卒業後、努めて連絡を絶っていたから、おめでとうの一言も言えなかった。我ながら薄情だな、と思う。だが、言い訳すると、私の周囲も俄に騒がしくなってきていた。大学ジャパンの選考会にも選ばれたこともあって、この時、私は、プロ野球という世界を初めて意識した。
守備は即戦力、だの柔らかいバッティングが魅力などとどこかの雑誌に書かれていたのを見つけてはレジに運んでいた。
 今から思えば、呆れてしまう。
たった2年前に覚えた、屈折した気持ちはどこかに消えていた。
 私は初めて、早川あおいになれるかもしれないと自惚れてさえいたのだ。



 結論から言うと、私はパ・リーグに所属するキャットハンズに指名された。
キャットハンズの遊撃手は既にベテランの域に入っており、世渡監督の「とにかく守れるやつ」という要望に一致した、とスカウトから聞いた。
私より上位に橘みずきという高卒の女性選手が指名された(そのため私は第3の女性選手と言われた)が、私は初の女性“野手”ということを誇らしく思っていた。
私たち3人は何かと一緒に扱われた。キャンプに入ると、イベントに駆り出されたし、CM撮影もあった。橘みずきは早川あおいと行動することに反感を抱いていたようだが、彼女の物語を私は詳しくは知らないし、ここでこれ以上語ることはないから、当時の私と早川あおいについてだけ触れておく。
 私は早川あおいと初対面のように接した。早川あおいも同じように私に接した。彼女が私に気付いていなかったのか、気付いていて、知らぬフリをしてくれたのかは知らない。




 打球を怖いと感じたのは初めてだった。プロの打ち返した白球は私の知るそれとは全く別物で、まるで獰猛な獣のようにグラウンドを駆け抜けた。
華麗、と評されたグラブ捌きは反応できなければ、無用の長物であった。
それでも、私が一軍で開幕を迎えたのは、チーム事情と言うよりは客寄せだったが、私は正直、嬉しかった。
 慣れも相手の油断もあったにしろ、早川あおいが元々千葉ロッテの選手であったため、私が野手として出場する度に「初」という記録が生まれた。
 だが、その裏で終わりは着実に確かな足音で近づいていたのだ。




体力不足。

 早川あおいや橘みずきはリリーフとして別種の疲れや苦労もあったと思うが、9イニングをショートという守備の要で、フル出場するのはかなり体力を消耗した。
試合後、体重は驚くほど減っていた。
 やがて、守備固めになり、体力を減らす代わりに心理的負担が私の心をえぐった。
そして、7月のとても暑い、ナイターでそれは起こった。
珍しく、キャットハンズは1点リードのまま、橘みずき(彼女は高卒1年目ながら、リリーフとしてある程度の結果を残していた)から守護神の早川あおいにバトンが渡されていた。
 同時に私はショートの位置に着いた。
いつもと違う風景。
 私は自分の意識が嫌に覚醒していることに気付いた。
 ランナー一塁で、打球は、早川あおいの差し出したグラブをかすめ、センター前に抜けるかと思われたところで、セカンドが咄嗟に反応して、グラブに収まった。
ゲッツーがとれる! 
 私は完璧なタイミングでセカンドベースに入り、


ー交錯、送球、そして、暗転。



 ゲッツーを取られまいと一塁走者が仕掛けたスライディングを私はうまくかわせなかった。
幸い大した怪我はなかったが、打ち所が悪く、私は気を失ったようだった。
 目を開けた時に飛び込んできた、早川あおいの泣き顔、そして、彼女がスコアボードを指した時の笑顔は今でもはっきりと思い出せる。
私が最後に投じた球によって、ゲッツーは完成し、試合は終了していた。
 これが私のキャットハンズでの最初で最後の、最高のプレーだ。



 次の試合、単純な送球エラーをした。試合を決めるようなミスではなかったが、その後も度々、エラーを繰り返した。私が途中出場すると「守備緩め」などと陰口を叩かれていたし、ブーイングすら起こった。
 イップス。
この時の私は精神的にも、体力的にも限界だったのだと思う。あの日、私の緊張の糸はぷつり、と切れてしまって、遂には戻ることはなかった。
お前、明日から二軍な、とふいに監督に告げられ、私のシーズンは終わった。キャットハンズは早々にそのシーズンを定位置で終えていたが、消化試合にすら呼ばれなかったのだ。
二軍でも精彩のないプレーを続け、出番もなくなり、そのオフ、私の携帯に着信が入った。



 自由契約。
背広組の言葉は、空虚に響き、あまりその後は聞いていなかった。
1年で切られるなどとは想像もしなかった一方で、どこか納得している自分がいた。
 直接のきっかけはあの交錯だった。幸い大事にはいたらなかったが、いつ事故が起きるか分からない。
女性選手の、万が一の事故は世間に衝撃を与え、問題提起をするだろう。
とはいえ、それは建て前で、単純に私には実力がなかったのだ。
 ただ、野手は体力的に厳しい、という評判を作ってしまったことだけは後輩達に申し訳なく思う。



 事務所を出て、私は何を目指していたのだろうか、とふと思った。
私はいつからか早川あおいになりたい、と望み、それを叶えるべく野球をしていた。
私はずっと自信が持てなくて、だから、辿っていた。早川あおいという存在を。そのくせ、私はそれを嫌がり、強がって見ぬ振りをした。
ただ野球が出来ることが嬉しくて、楽しくて、好きだったのではないのか。あの頃の気持ちはもう思い出せないのだろうか。
 私はなくし物が見つからない子供のように泣き続けた。
泣いたのは久しぶりだな、と思った。




 トライアウトを受けようと思った。
一晩、泣いて、腫れた目で目の前はぼんやりしていた。
結局、答えは見つからなかった。
どうしたらいいのかなんて分からなかった。でも、何かしなくてはならないと強く思う。
 ふいに高校のキャプテンに連絡してみよう、という考えが頭をよぎった。彼だけじゃない、青葉くんにおめでとう、と言おう。
鬼力くんに、神宮寺くんに、茶来くんに、稲田くんに、三森くん達に会おう。
また私は誰かに縋ろうとしているのかもしれない。
とても弱い私は、胸がときめいた、恥ずかしくも、楽しかった思い出に頼ろうとしているだけかもしれない。
でも、それでも。
微睡みの中で、呼ばれたような気がして、夢の中の私は、はい! と勢い良く返事をして確かな足取りで、グラウンドに駆けだした。

Fin

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