ココロの世界

□能楽
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わたしが「舞」と呼べるものを始めたのは大学に入ってからでした。能楽部に入り、4年間続けました。後半はほとんど幽霊部員でしたが(苦笑)。でも、本当に能(舞)が好きでした。指導してくださった先生も有名な方(迷惑がかかるといけないので名前は挙げませんが)で能楽意外の演劇・ドラマ・映画でも活躍されていた方でした。ただ、すごくおじいさんで言っていることがわからないという部員が多かったです。でも、わたしは彼の言わんとしていることがなんとなくわかりました。彼の言葉は確かにわたしに不足していることで、彼の言う通りに動くと身体が軽くなりました。もちろん、筋肉を使わなくては舞えませんが、そもそも能の舞も神楽も神に奉げるものであり、一種のトランス状態になるためのものですから、身体の余分な力が抜けるので身体が軽くなったように感じるのかもしれません。さて、わたしが幽霊部員になった訳ですが・・・言い訳かもしれないけど、先輩達の指導に不満があったからです。生意気かもしれないけれど、先輩達の中に本当にうまいと思える人がいませんでした。そんな彼らから学べるものは少なかったので山の上にある練習場に行くのがだんだん面倒になってしまいました。先生が来てくれるときだけ顔を出すようになったころ、先生から「うまくなった」と誉めてもらいました。言われた瞬間、鳥肌が立ちました。正直怖いと思いました。普段、その先生は絶対に誉めないことで有名でした。怒られた部員は数知れずですが、誉めたのを知らないと先輩達も話していたからです。どうして先生が「うまくなった」なんてわたしに言ったのかわかりませんが、わたしはその後、練習に行くのをためらうようになりました。どうしていいかわからなくなってしまったのです。先生の「うまくなった」という言葉の意味がわからなかったのです。素直に受け止めて喜んでいいのだろうか?わたしの舞は先生の誉めてもらえるほど上達したのだろうか?もし、そうなら嬉しいけれど・・・でも、これまでたくさんの学生が怒鳴られてきたのに・・・確かに始めより良くなったのは自分でもわかるけど、先輩も誉められたことも無いのにどうして先生はどうしてわたしに「うまくなった」なんて言ったのだろう・・・。そんな思いがぐるぐると渦巻いて、先生と正面から向き合えなくなり悩んでいるうちに卒論が迫ってきてしまい、部活からさらに足が遠のいてしまいました。今思うと先生の言葉に深い意味はなかったのだと思います。ただ、わたしは誰かから誉められた経験というものがなく、加えてできるだけ人の下にいようとしていました。そうしないと高飛車になってしまいそうで怖かったのです。けれど、無心で取り込んでいた舞をめったに人を誉めないと言われていた人に誉められてどうしていいかわからなくて怖くなり、結局逃げてしまいました。今思うと本当にバカなことをしたと思います。素直によろこんでもっと練習に励めばよかっただけのことなのに(苦笑)。でも、こんな苦い経験は今とても生かされています。現在わたしは二種類の神楽を習っているけれど、どちらの先生にも「うまい」と言われ、神主さんにも一年目から「舞はお前が一番うまいな」と言われてきました。自慢みたいだけど、自慢できることなので自慢しちゃいます(笑)でも、今は誉められても笑って受け流せるようになりました。もちろん「怖い」という感情は今でもあります。他にももっとうまい人がいるはずで、わたしが一番だと思って高飛車になってしまったらそれで終わりだからです。自分の心に負けてしまわないように誉め言葉に踊らされないように・・・。だから、今は誉められたらもっとがんばって練習します。新しい舞も覚えたい。好きならば、センスとか才能だけでなく、貪欲に積極的に取り組む姿勢が大切なのだと思います。

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