作品2

□殿といっしょ
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 目の前にはニコニコ笑いながらメニューを見つめる青年がいた。三好は対照的になんとも言えない表情を浮かべる。
 青年を店の前に案内するだけのはずが、何故か引き留められてしまった。その上、威勢のいい店員に有無を言わせずに席へと案内されては立ち去ることもかなわない。
「まーまー兄ちゃん、そんな顔しぃなや。一人で食べるん寂しいやん? 俺が出すから一緒に食べよーや」
 三好の心中を読んだようなタイミングで青年はメニューから顔を上げた。鋭い目に似合わず、笑顔は柔和で人懐こい印象を受ける。
 特に用事があるわけでもないので、三好は「まあいいか」と納得し、頷いた。
「しかし兄ちゃん、ほんまさっきは災難やったなー。東京めっちゃ怖いわー」
 やはり三好の反応を気にしていない様子で、青年はマイペースに喋る。早口で次々と言葉を紡ぐさまは、まさに関西人という印象だ。三好が比較的無口なせいか更にそれが際立つ。
「なんか知らんけどみんな黄色い布してたでな。三国志でも流行ってんの?」
 どうやら青年はカラーギャングについて知らないらしいが、中学生達のバンダナの由来を的中させてみせた。三国志が好きなのだろうか。三好はその話題に触れてみることにした。
「お兄さんは――」
「あー名前言うてへんかったわ。俺、松永な。兄ちゃんはなんて言うん?」
 しかし、その前に口を挟まれてしまった。どうも会話のリズムが噛み合わない。確かに互いに自己紹介をしていなかったが、まさかこのタイミングで来るとは。とにかく自分も名前を言った方がいいだろうと、三好は松永に名前を名乗った。
「……三好、吉宗? えー! めっちゃかっこいいやん!」
 松永は驚いたような表情で三好を見やった。三好はこくりと頷く。初対面の人間に名前で驚かれるのは慣れていたからだ。『将軍』や『八代目』といったあだ名と相まって覚えてもらいやすいので特に嫌だと思ったことは無いが、あまり騒がれると少し気恥ずかしい。
「いやー、びっくりしたわ! 自分、三好っていうんやな!」
「え?」
 三好は思わず聞き返した。
 彼はなんと言った? 名前ではなく名字を呼ばなかったか? 今まで名前に驚かれたことは数あれど、名字に食い付く人間は一人もいなかった。
 驚いている三好に、松永は目を輝かせて叫んだ。
「三好って言うたら、俺の地元のお殿さんとおんなじ名字やで! ほんまか知らんけど、俺のご先祖様も仕えとったんやって! うわー、兄ちゃんとか呼んでごめんな! 俺次から殿って呼ぶわ!」
 ――と、殿……!?
 徳川吉宗にかけたあだ名を付けられたことはあったが、まさか殿と呼ばれる日が来るとは。
「ラーメン二つ、お待たせしましたー!」
「あ、どうもー。……殿! ラーメン来たで! 熱いから気ぃ付けてな」
 この状況を知り合いに見られたらどんな反応をされるだろう。三好はラーメンをすすりながら、それも面白いか、と半ば自棄になったことを考えていた。



 食事中、無言になるのが仕方ないといえばそうだが、先程出会ったばかりの人間が相手となると沈黙は更に重いものに感じられる。黙って麺をすすっている松永に焦れたように、三好は自分から口を開いた。
「あの、松永さん」
「んー?」
 松永は相変わらずの調子で返事をする。彼と会って一時間も経っていないが、三好は既に松永という青年がひたすらにマイペースな人間であることを理解していた。おそらく彼はこの沈黙をなんとも思っていないのだろう。あるいは早く食べなければ麺が伸びると思っているのかもしれない。
「松永さんは、どうして東京に来たんですか?」
 言動から察するに、松永はこの辺りに住んでいるのでは無さそうだ。
 しかしその答えは既に服装が物語っている。大学生がスーツ姿で東京に来る理由などひとつしかない。三好はそれを理解した上で、なんとか沈黙を破ろうと分かりきったことを聞いた。
「俺? 俺は就活やで。別に東京まで来んでも良かってんけど、やっぱ不況やからなー」
 ようやく箸を置いた松永が答える。
 やはり予想通りの理由だったが、三好は僅かに、今までの松永とは違う何かを感じた。先程までの底抜けに明るい語り口に、僅かに影が落ちたような悲しげな何かを。
「……まつ、」
「あーあー! 不況辛いなー! 内定取れたらええけどなー!」
 その影に触れようとしたところで、松永はそれを遮るように声のトーンを上げた。まるでその正体は不況を嘆いているのだと誤魔化すように。
「ていうかそんな暗い話ええやん! なんかもっとおもろい話しょーや」
 そう言って笑った松永は、出会った時となんら変わらない明るくマイペースな人間に見えた。
「殿いくつ? 高校生? それぐらいん時が一番楽しいでなー。ええなぁ若ぁて」
 それが取り繕ったものであることを三好は察知したが、出会ったばかりの自分が聞くべきではないと気付かないふりをした。
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