作品

□―エイトさんが退室されました―
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 男は上機嫌だった。狙い通りに仕事が進み、いずれ重宝しそうな情報が手に入ったからだ。
 情報とその鮮度は男の生命線である。上手く新鮮かつ価値のある情報を手にすることが出来た男は、そんな僅かに浮かれた気分のまま、パソコンの前に座っていた。
 慣れた手付きで操作をし、キーボードを叩く。黒を基調とした画面に男の打った文字が表示される。男がアクセスしているのはチャットルームだ。

甘楽【こんばんはー☆】
セットン【甘楽さんいらっしゃーい】
罪歌【こんばんは】

 現在チャットルームにいるのは男の他に、セットンと罪歌の二人だけのようだ。
 男はそれなりのタイピング速度で文章を入力し、エンターキーを叩いた。画面に『甘楽』の発言が増える。どう見ても甘楽の口調は女性のそれだ。
 男はこのチャットルームであえて女性を演じている。男を知る人間が見ればどんな反応をするだろうか。

甘楽【田中太郎さんとエイトさんはいないみたいですねー】
セットン【太郎さんならついさっき落ちちゃいましたよ】
セットン【明日に備えて早めに落ちるとか言ってましたね】
セットン【エイトさんはまだ来てないみたいです】
罪歌【いれちがい でしたね】

 ふうん、と呟き、男は二人の発言を目でもう一度追った。
 ハンドルネーム田中太郎の正体が学生であることを知っていた男は、おそらく学校でテストか何かでもあるのだろうと推測した。
 もしもそうなら、エイトが来ていないこともうなずける。田中太郎とエイト、そして罪歌が同じ学校に通う同級生であることを男は知っていたからだ。
 ふと、男はあることを思い付いた。どうせだから、その二人がいない状況を利用しておこうと。
 早速男は思い付いた台詞を入力した。

甘楽【じゃあ今日は女子しかいないことですし】
甘楽【恋バナしましょう恋バナ!(≧▽≦)】

 一瞬、間が空いた。
 男は気にせずに続きを入力する。

甘楽【ほらーセットンさん前に言ってたじゃないですか!】
甘楽【同棲してるんですよねっ☆】
甘楽【その話、私ずっと聞きたかったんですよー!(*´艸`*)】

 正確には、男はセットンとその恋人のことを知っていたし、恋バナなんてものをしたかった訳ではない。二人の、そしてその周囲の状況を探る為だ。
 ストレートに聞けば怪しまれたかもしれないが、そんなふざけた質問だったことや普段の甘楽のキャラもあり、二人は若干戸惑いつつも疑問は持たなかったようだ。
 二人は思惑通り、現在の自分の周囲の状況を説明した。伏せ字やフェイクも、現実の二人と照らし合わせればある程度判別可能だ。
 男が聞いた限り、あまり変わったことや進展は起きていないらしい。至って平和な日常だ。それをつまらないとするか、次に備える期間とするかは人によるだろう。

セットン【じゃあ逆に聞きますけど】
セットン【そういう甘楽さんはどうなんです?】

 チャットにもかかわらず男に乗せられるまま恥ずかしそうにノロケをしていたセットンが、ここで反撃に出た。
 確かに二人に喋らせておいて自分が黙っているのは怪しまれるかもしれない。男は適当な言葉を並べた。

甘楽【さあどうでしょう?】
甘楽【意外と身近な人だったりして☆】
セットン【ま、まさか……!】
セットン【田中太郎さんとか!?】
罪歌【なかよさそうですよね】

 セットンのぶっ飛んだ発言に、男は思わず画面の前で吹き出した。
 男が田中太郎を知っているように、向こうも甘楽の正体を知っている。仲が良いのではなく、相手を知っているから気が楽だというのが正しい。

甘楽【違いますよーだ!】
甘楽【田中さんは私のこといじめてくるからむしろ嫌いです!】
甘楽【ぷんぷん!】
罪歌【いじめられてるんですか】
セットン【いじめられてるっていうか】
セットン【主に甘楽さんがじゃれて遊んでるというか……】
甘楽【そんなことないですぅー】
罪歌【では 甘楽さんがすきなのは】
罪歌【エイトさん】
セットン【あぁーそっちですか!】

 今度はもう一人の名前が上がる。それを同じく否定しようとしたところで、男にあるアイデアが浮かんだ。
 エイト、セットン、罪歌の三人は現実でもお互いの正体を知っている。ここでエイトが好きだと宣言すれば、現実世界でも三人の周囲に何か新たな展開が訪れるかもしれない。
 男は早速しおらしい文章を入力した。

甘楽【……絶対ナイショですよ?】
甘楽【恥ずかしいですからっ><】
セットン【ってマジですか!?】
甘楽【はい//】
罪歌【いいひと ですからね】
セットン【そうですねー】
セットン【エイトさん結構面白い人だし】
セットン【甘楽さんとは気が合いそうですよね】
セットン【で! エイトさんのどこが好きなんですか!?】

 先程の仕返しか、あるいはただの興味本意か。セットンは執拗に話題に食いついてきた。
 さて、どう返答すべきか。


甘楽【多分エイトさんは覚えてないと思うんですけど】
甘楽【リアルで私を庇ってくれた人がいたんです】
甘楽【で、その後のチャットでどうやらその人がエイトさんだったらしいことに気付いて】
甘楽【しかもその一回だけじゃなく、また私を庇ってくれて】
甘楽【王子様みたいですよね(/ω\*)】
セットン【おぉー!】
罪歌【どらま みたいです】

 嘘は言ってない、と男は思った。彼は何度か男のことを助けようと飛び出してきたことがある。
 さてこれくらいでいいだろう、と男は退室する旨を書き込んだ。あまりやり過ぎればボロが出る。あとはしばらく二人とエイトを観察して楽しむことにしよ う。二人がエイトに甘楽の発言を伝えても、逆に伝えなくても、お節介をやいても、見る目が変わっても、どうなってもしばらく退屈しないで済みそうだ。
 最後の挨拶を書き込み、チャットルームを退室する。画面にはログのみが表示され、新しい発言を見ることは出来ない。
「あ」
 今までの発言を振り返ろうとして、男は間抜けな声を上げた。
 男が退室する直前のログがこう表示されていたからだ。

甘楽【じゃあおやすみなさーい☆】
――エイトさんが退室されました――
――甘楽さんが退室されました――



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