作品

□―エイトさんが退室されました―
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 ――うわああああーっ!
 ハンドルネーム、セットンことセルティは頭を抱えていた。彼女は首から上が存在せず、抱えられる頭は無かったが、とにかく頭らしき部分を抱えていた。
 あれから数日が経過したが、セルティは未だにチャットルームに入室出来ないでいる。
 甘楽の告白には驚いたものの、こういった話をほとんど誰かとしたことの無かったセルティは思わず色々なことを聞いてしまった。そして甘楽が退室するのとほぼ同時に退室していった人物。その人物こそ、話の中心だったエイトだ。
 おそらく誰もいない時にログインし、そのまま席を外していたのだろう。戻ってきてみれば女子会が開催されていて、さぞや切り出そうか迷ったに違いない。そんな中での甘楽の告白だ。ますます出ていき辛くなり、慌てて無言で退室したというところか。
 ――わ、私が話を振ったばっかりに!
 ここ数日間、セルティはずっとそのことについて悩んでいた。甘楽とエイト、どちらに会っても気まずい。一体どんな顔をしてチャットに参加すればいいのか。
 特にエイトとは現実世界でも知り合いだが、あれからお互い連絡を取っていない。もしかしたら向こうもセルティと同じ気持ちでいるのかもしれない。
 ――でも……逃げてても解決しないか……。
 下手に謝ると余計におかしな空気になるかもしれない。ここは何も気にしていないように、いつも通りに行動するのが一番良いのではないか。
 なんとか気持ちを切り替えたセルティはそう決心し、チャットルームにログインした。

セットン【どうもー!】
田中太郎【あ、こんばんはー】
田中太郎【久しぶりじゃないですか?】
セットン【ですねー】
セットン【ちょっと仕事が忙しかったもので】

 どうやらチャットルームにいたのは田中太郎だけらしい。
 少しホッとしつつ、セルティは前回の反省を踏まえて文章を入力した。

セットン【今日は田中さんしかいないんですか?】
田中太郎【それが、今日だけじゃないんですよ】
田中太郎【ここ数日、私しか来ていなくて】
田中太郎【罪歌さんやエイトさんはまだ分かるんですけど、甘楽さんまで来てないのが気になります】
田中太郎【何かあったんですかね?】

 ――や、やっぱり!
 セルティは思わず立ち上がった。その様子を同居人が不思議そうに見ている。
 やはり、あの場にいた人間全員が同じように気まずさを感じていたらしい。かやの外の田中太郎には申し訳ないが、仕方のないことだ。
 正直に理由を話すわけにはいかず、セルティは知らないふりをしようとした。しかし、そこに当事者が現れる。

――エイトさんが入室されました――
田中太郎【あ、エイトさん】
エイト【こんばんは】
田中太郎【エイトさんもリアルが忙しかった感じですか?】
エイト【ええまあ】

 いつも以上に素っ気ないエイトの文章に、セルティはまた頭を抱えた。エイトは明らかにこの間のことを気にしている。明らかに気まずさを抱えたまま喋っている。
 何も知らずに話題を振る田中太郎が、ある意味羨ましかった。

田中太郎【皆さん色々忙しいんですね】
田中太郎【あれ? セットンさん?】
エイト【セットンさんいるの?】
田中太郎【ええ、今さっきまで普通に話してたんですけど……】

 完全に逃げ場を塞がれたセルティは叫びたいような気持ちだった。逃げないと決めたはずなのに、どうも気まずさが先行してしまう。
 しかし、逃げても何も変わらない。今度こそ、本当に覚悟を決め、セルティは文章を書き込んだ。

セットン【あーすいません、ちょっと飲み物取りに行ってました】
セットン【エイトさんいらっしゃい】
エイト【どうも】

 さて、何を書き込めばいいんだろう。
 普段通りにしようと意識すればするほど、言葉が出てこない。
 セルティがあたふたしているうちに、田中太郎が退室すると書き込んでログアウトしてしまった。これでいよいよ真正面から向き合うしかない。

エイト【この間はすみませんでした】
エイト【盗み聞きするつもりは無かったんですけど】

 先に切り出してきたのはエイトだった。似たような文章を入力しかけていたセルティは手を止める。
 こちらが謝るべきなのに、先に自分から頭を下げたエイトに感心しながらセルティは新たに謝罪の文章をつづる。

セットン【こっちこそごめん】
セットン【勝手にあんな話始めちゃって】
エイト【いえ】
エイト【長い間席を外すのにログアウトしておくべきでした】

 ――そういえば、甘楽さんへの返事はどうするんだろう。
 ふと、セルティの脳裏にそんな疑問が浮かんだ。今こんな時に考えるのは不謹慎かもしれないが、少し気にかかる。不可抗力とはいえ甘楽の気持ちを聞いてしまったのだから、返答してあげるべきではないだろうか。
 しかしそれを言うのは憚られ、セルティはキーボードを指でなぞりながら黙り込んでしまった。

エイト【明日早いんで落ちます】
セットン【了解、おやすみー】
――エイトさんが退室されました――

 その間にエイトもいなくなってしまい、気付けばチャットルームにはセットン一人だけだ。

――甘楽さんが入室されました――
甘楽【甘楽ちゃん参上!】

 いや、丁度入れ違いで甘楽が現れた。
 セルティは何度目か分からない謝罪の文章を入力する。

セットン【こないだはすいませんでした】
甘楽【えっ? どうしたんですか急に】
セットン【私が話を振ったばっかりに……】
甘楽【あー!】
甘楽【いいんですいいんです! セットンさんは気にしないで下さい☆】

 そう言われても、と余計に罪悪感がわいたセルティは落ち込んでしまう。
 ちなみに、甘楽本人がエイトに恋などしている訳ではなく、エイトが発言を見たことも一興として楽しんでいることをセルティは知らない。

甘楽【セットンさんが謝ることないですよう!】
甘楽【ちゃんと自分でエイトさん本人の気持ちを確認することにしましたから!d(・ω・´)】

 一見前向きな甘楽の発言に、セルティは応援の言葉を返し、退室する。
 場合によっては池袋で新たに一騒動が起きてもおかしくないのだが、そんなことは甘楽以外知るよしも無かった。





 眉間に皺を寄せながら、三好吉宗は目の前に置かれた皿を見た。
 皿の上にはとある有名店のチーズケーキが乗っている。並んでも買えない、というほどのものが何故普通に出てきたのかはあえて考えなかった。
 次に、三好は前を見た。向かいに座っている男は、そんな三好の反応を楽しむように笑みを浮かべながらじっとこちらを見つめている。
「あの……臨也さん」
「いいから食べなよ。毒なんて入ってないから」
 臨也と呼ばれた男は三好の言葉を遮るように、チーズケーキの皿を手で指した。仕方なく、三好はちびちびとチーズケーキを食べ始める。チーズケーキはとても美味しかった。こんな状況でなければもっと美味しかったことだろう。
「三好君を呼んだのは他でもない、前に教えたチャットルームのことなんだけどね」
 不意に臨也が切り出した話に、三好は思わずフォークを噛みそうになった。
「あそこの管理人さんとは俺も知り合いなんだけどさ。ネット恋愛ってやつかな? どうやらあのチャット内で好きな人が出来ちゃったらしくてね。そういうのって三好君はどう思う?」
「どうして僕にそれを聞くんですか」
「別に、あえて言うなら君がそういうのに関して他の人より知識がありそうな気がしただけだよ。君はただ意見を聞かせてくれればいい」
 ――ひょっとして、臨也さんは僕のことだと気付いてるんだろうか。
 三好はつい先日、チャットルームで起こったことを思い出してみた。臨也の言う管理人とは甘楽のことだろう。その甘楽が想いを寄せていると告白した相手――ハンドルネーム、エイト。
 その正体を臨也は知っているふしがある。そうでなければ、そんな話をするために三好を呼び出す理由が無い。そんなことをするのは、三好吉宗がエイトであると知っている人間だけだ。
「――ネット上だけで、別のキャラや人間になりきって恋愛するのは自由だと思います。ネトゲなんかでもよくある話だし」
 だからエイトと自分は別なのだ、というように三好は述べた。
 臨也は相変わらずニヤニヤと笑っている。何を考えているのかは読めないが、三好を観察していることは確かだ。三好は出来るだけケーキに集中し、平静を装 う。さっさと食べて帰ってしまおうと考えた三好は、少し勿体ないと感じながら、ややハイペースでチーズケーキを口に運んだ。
 ケーキが最後の一欠片になった時、唐突に臨也が会話を再開した。
「じゃあ、もしもその相手の人が現実でも付き合って欲しいって言ってきたら、三好君はどうする?」
「……は?」
 三好はぽかんと口を開けて、臨也の言葉を反芻した。ネットとリアルは別だと言ったばかりなのに、一体何を考えているのだろうか。
「俺としては、そんな君を見るのも面白そうだから付き合っちゃえばいいと思うよ」
 追い討ちをかけるように、臨也は無責任な言葉を付け足した。確かに臨也からすれば他人事だろう。とはいえ、気分を害するには十分だ。
 三好は不快感を露にし、顔を歪めてチーズケーキの最後の一口を食べ終えた。同時に、さっさと立ち上がってしまう。
「帰ります」
「やだなあ、軽い冗談じゃないか」
 そんな反応をされるとは思っていなかったのだろう。臨也はずんずん歩いていく三好を追うように立ち上がった。
「で、結局三好君の答えは?」
「……ネットとリアルを混同するなんてあり得ないです」
 まだ問い続ける臨也を鬱陶しく感じたのか、三好の口調はいつもより冷たい。それでも臨也は怯むことなく、いつもの調子で笑った。
「へえ! 随分はっきり言い切るんだね。何か理由があるのかな?」
「…………」
 三好は、今度は答えなかった。返事の代わりにさっさとドアを開けて外に出てしまう。
「ねえ三好君」
 閉まりかけたドアに遅れて臨也が手を伸ばした時、ドアの隙間から三好と目が合った。眉を寄せた三好の表情からは憤りが伝わってくる。いつも穏やかな彼がこんな風に怒っているのを見たのは始めてだった。
「僕、好きな人がいますから」
 その言葉で、思わず臨也は手を止めた。押さえそこねた扉が音を立てて閉まる。
 その向こうで、三好の走り去る音がした。



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