七色の家族

□第十三章 銀色に耀く
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病院から戻った俺は、万事屋への階段を昇らずに、一階のスナックお登勢の暖簾をくぐった。
まだ暗くなったばかり、夜の早い時間である。店内はサラリーマンの馴染み客が数組、談笑しながら酒を飲んでいるだけだった。俺は黙って、隅っこのカウンターに座った。

「どうだい。あの子の様子は」

バアさんがビールを出しながら訊いてくる。いつもはタダ酒が云々と文句を垂れるくせに、子どもが無事誕生したからだろう、頗る機嫌がいい。
産まれたら千晶の所に駆け付けてくるかと思ったのに、数日経っても、バアさんは病院に足を運ぼうとしない。俺は怪訝に思って尋ねた。

「なあ、あいつの見舞い、行かねーのかよ」
「あァいいよ、あたしは。あの子だって疲れてるんだし、今は、ゆっくり休んでた方がいいよ」

バアさんらしい気の回し方だった。確かに、毎日の回診や赤ん坊の世話、自分の身の回りのことで千晶は精一杯のように見える。
もしかしたら、俺も余計な干渉をしない方がいいのかもしれない。そんな逃げ腰な考えが頭を過ってしまう。

「なァ、バアさん……」

俺は躊躇いながら、今日の病院での出来事を打ち明けた。
話の途中で、バアさんが徐に煙草に火をつける。よく店の常連客がカウンターに座って、バアさんに愚痴や悩みを溢す姿をこれまで何度も見てきたけれど、まさか自分がその立場になる時が来るとは思ったこともなかった。

「アイツが大変そうにしてんのは、見てて痛々しいくらいなんだけどよ。千晶や、ガキの為にしてやれることって何なんだろうな……」
「あたしは子どもがいないから、千晶の気持ちや苦労をちゃんと分かってやれないのは、もどかしいねェ」

バアさんはふうと長い息をついて、ゆっくり煙を吐きながら言った。

「……アンタ、笑いは家の中の太陽″、って言葉、聞いたことあるかい」
「え?」
「どっかの作家の言葉なんだけどね。楽しい笑い声に満ちた家庭は、陽だまりのように暖かくて、居心地のいいものなんだとさ。千晶を見てると、この言葉を思い出すんだよ」

バアさんは天井を指さして、懐かしそうに目を細めた。

「昔、アンタが一人で暮らしてた時は、二階はそりゃあ静かなモンだったけどね。新八や神楽が来て、定春が来て……そして、千晶が嫁いできてさ。こんなに賑やかになるなんて、アンタだって思ってなかったろうよ」
「そりゃあ、そうだ」

俺は思わず笑って俯いた。雪の降った日、旦那の墓でバアさんに出逢った時のことを思い出す。もう、随分と大昔の出来事のようだ。

「あたしだって、この店始めた時は、独りだった」

バアさんは遠い目をして、俺ですら知らない、更に大昔のことを言った。

「この店始めた時って、いつだよ。大化の改新の時?」
「ばか言ってんじゃないよ」

バアさんは一瞬だけ怖い顔をしてから、伏し目がちに新しい煙草をくわえた。

「何も持たない、誰も寄せ付けない……そんな風にして独りで生きていた頃があるなら、アンタにも分かるだろう。家族ってのが、どんな存在なのかがさ」

バアさんの視線は、接客をしているキャサリンとたまの方に向けられていた。

「護らなくちゃいけない、失っちゃいけない。そんな風に、重みを感じるかもしれない。だけど、辛いことや苦しいことがあった時、一人で背負うことなんてないのさ。家族がいるんだから」

俺の脳裏に、病室で涙した千晶の表情が過った。あの時彼女は、一人で悩んでいた。だからあんなに、絶望的な顔をしていたんだろう。

「家族の数だけ人生がある。生きてりゃ楽しいことばかりじゃないさ。悲しくて悔しくて、泣くことだってあるだろう。怒鳴り散らして大喧嘩することだってあるかもしれない。でも、それを乗り越えた時に、笑ってりゃあ、それでいいんじゃないかい。あたしは、アンタらや、千晶の笑ってる顔が何より好きだからね」

バアさんの視線の先では、キャサリンが客の冗談に大笑いしていた。あまりに下品な笑い声なので、つられてバアさんも笑って、なんとなく、俺まで笑ってしまった。


俺達は、独りで生きてる訳じゃない。
そして、いつも前に進むばかりじゃない。同じ場所で足踏みをすることや、後ろに下がることだってある。
でも、どんな時だって家族はいる。そして前に進む時は、きっとみんなが笑っているんだろう。



◇◇◇



家に帰ると、定春が珍しくキャンキャンと騒いでいた。

「オイ、うるせーぞ。何事だ」

応接間にいた定春は、いつも千晶が使っている膝掛けをくわえて、寂しそうな目で鳴いていた。神楽が困り顔で訴えてくる。

「ねえ銀ちゃん、定春が千晶に会いたいって。定春、病院に連れてっちゃ駄目アルか」

俺は溜め息をついた。

「気持ちは分かるけどなァ、駄目に決まってんだろ」
「千晶さんの退院まで、我慢しようよ、定春」

新八がそう言って宥め、それに、と心配そうに言う。

「赤ちゃんは免疫がないって言うでしょ。アレルギーとか病気とか心配だから、暫くは定春にはあんまり近づけない方がいいんじゃないかな」
「新八、お前男のくせに細かいこと気にするアルな。ナヨッちい。銀ちゃんの子なら、犬の一匹や二匹乗りこなせて当然アル」
「いや、いくら何でも、それは無謀なんじゃあ……」

二人のやりとりにふっと笑って、俺は定春の頭を撫でた。コイツも家族の一員。病院に行ったきり、家を空けたままの千晶のことが心配なのだろう。

「アイツなら元気だよ。もーすぐ家に帰ってくっから、待ってな」

それから、俺は新八に言った。

「定春にはちゃんと予防接種受けさせてるだろ。ペットとして飼われてる犬なら、赤ん坊と一緒に生活しても問題ねーよ。むしろ、犬も赤ん坊もお互いがいる生活に馴らしとかねーと、後々大変らしいぜ」
「定春には絶対、悪ささせないヨ。わたしがちゃんと躾けるネ」
「おう、頼むぞ」

神楽の頭にポンと手をのせて、俺は台所に行った。

晩飯の材料はあったっけ、そう思いながら冷蔵庫を開けると、皿の上にラップをされて、三つのショートケーキが入っていた。新八か神楽が買ってきたのだろうか、そう思っていると、

「あ、見つけちゃいましたか」

と、台所の入り口に新八がやって来た。

「今日のおやつにみんなで食べようと思ったんですけど、銀さん、帰りが遅かったから」
「銀ちゃんの好きないちごショートネ」

と、神楽も来て言った。
きょとんとしていると、二人は満面の笑みを浮かべた。

「今年、千晶の手作りは食べれなかったけど、来年はもっともっとおっきなケーキ、私達で作るアル!」
「遅くなっちゃいましたけど、今夜、銀さんの誕生日祝い、やりましょうね」


10日、俺の誕生日祝いをしそびれたことなんて、すっかり忘れていた。
胸の奥に、じんわりと暖かいものが広がっていく。


隣にいる。ただ、それだけでいいのかもしれない
笑顔は家の中の太陽。バアさんの言った言葉の意味が、ストンと落ちるように俺にも分かった。



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