七色の家族

□第十三章 銀色に耀く
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面会時間が終わるギリギリ五分前でも、依頼と依頼の合間でも、俺は毎日病院へ足を運んだ。
寝不足続きで疲弊した千晶の顔を見て、話をして、赤ん坊を抱く。
でも、腕の中に留めていられるのはほんの少しの間だけ。生まれて間もない赤ん坊は本当に小さくて頼りなくて、今にも壊れそうで怖いくらいだった。それでいて、じんわりと暖かくて……甘い、懐かしい匂いがした。

誰にでも、こんな赤ん坊の時代があった。俺にも千晶にも。いいやつにも悪いやつにも。そう思うと、赤ん坊というのはなんて無垢で、神聖な存在なんだろう。
これまでは千晶の腹の中で、ゆらゆらと漂いながら護られていたのに、自分の力で外の世界に飛び出てきた。これから生きていくために、ものを食べる、色々なものを見て触れる。自分の足で立つ、自分の声で、言葉で話す……。俺達が当たり前にしていることを、こいつはひとつひとつ覚えたり経験したり、世界を広げていくんだろう。子どもの可能性というのは限りなく偉大だ。こんなにも、小さなからだをしているのに。


「ねえ、銀時」

ぼんやりと考え事をしている俺に、千晶が話しかけてきた。赤ん坊は、パジャマをめくった彼女の乳に懸命に吸い付いている。

「この子が産まれてきて、初めて抱っこした時ね、“ああ、こんな可愛い子がずっとお腹の中にいたのか”と思って、びっくりした」
「……親バカな発言だな」
「産まれる前は、あんまり可愛いからずっとお腹の中に閉じ込めておきたいと思ったこともあるけど……お産の時、この子は自分の意思で外の世界へ出ていこうとしてるんだってわかったわ。子どもって、本当にたくましいのね」
「そうだな」

俺は微笑んで、赤ん坊の顔を横から覗きこんだ。半分寝ているのか、乳を吸いながら軽く目を閉じていたが、俺の気配を感じたのだろう。奴は突然、パチッと目を開けた。

俺は思わず、ワッと変な声を出していた。

「オイ、目ェ開いたぞ!」
「何言ってんの。当たり前じゃない」
「いや、俺が来るときはいっつも寝ててさ……」

赤ん坊の目はつぶらで、涙に濡れたように輝いていた。真ん丸の眼が俺を真っ直ぐに見上げてきて、それは昔から知っている眼と同じ色だった。

千晶の俯きがちな横顔を見つめてから、俺は、確信して言った。

「目はお前と同じだな。綺麗な焦茶色、してる……」

髪の毛は残念ながら俺に似てしまったけれど、瞳の色は千晶の遺伝子をしっかりと受け継いでいた。
赤ん坊は百人に似るという言葉がある。これまで俺や千晶が受け継いできた血が、この子の中には流れているんだろう。


赤ん坊は乳を飲み終えて満足すると、幸せそうな顔で眠ってしまった。起こさないように慎重に、静かに寝かせてから、 千晶は水を飲んで一息ついてベッドに腰掛けた。

病室の窓からは、病院の外の景色が見渡せる。秋の鱗雲が漂う夕暮れの空が広がり、中庭の木々が揺れる音と、どこからか、子ども達の賑やかな笑い声が聴こえてくる。
病室にひっそりと佇む俺達は、まるで外の世界とは隔離されているようで、この空間は限りなく穏やかで静謐だった。


「銀時、名前のことなんだけど」
「あァ……うん」

千晶にそう言われて、俺は頭を掻いて頷いた。名前は赤ん坊の顔を見てから決めようなんて悠長なことを言っていたら、あっという間に時間が過ぎて生まれてしまった。
いざ我が子と対面しても、名付けというのは難しい。幾千幾万もの名前がある中で、たったひとつを選んで、親が子に贈るものなのだ。

千晶はどんな名前がいいと言うだろう。そう考えていると、彼女は俺の方に澄んだ瞳を向けて、言った。

「私、この子に“銀”の字をつけたい」
「…………」
「妊娠してる間から、ずっとそうしたいと思ってたの」

彼女がそんなことを考えていたとは知らなかったので、俺はすぐに言葉が見つからなかった。
何だろう。こそばゆいような嬉しいような、形容し難いムズムズとした気持ちが込み上げてくる。俺は、照れ隠しに言った。

「そんなことしたら、俺に似るぞ。いいのかよ」
「確かにね」

千晶はクスクスと笑って、外の景色に目をやった。

「あんたってば昔からだらしなくて、仕事のやる気もないし、ギャンブル好きだし、甘党で飲んだくれで……」
「オイ、言い過ぎだ」

遮ると、彼女はまた笑って赤ん坊を見つめた。
そこにはすっかり、母親の顔をした彼女がいた。この世で最も大切なものを見つめるような、慈愛に満ちた瞳。護るものに対して向けられる、優しくもあり強い眼差しだった。
この数日、悩んだり立ち止まったりしても、子どもへの愛情はきっと尽きることがない。手探りで前に進もうとする母親の姿というのは、なんて逞しくて、美しいんだろう。


やがて千晶は、でもね、と小さな声で言った。

「この子には、あんたに似ていてほしいと思う所が、沢山あるの」

そう言った彼女の頬に、一筋の涙が静かに零れた。
今までの人生で見た中で、その日の彼女は一番、きれいだった。


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