鬼と華

□精霊蜻蛉 第四幕
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土佐勤皇党の武市変平太は、攘夷浪士の間では変人謀略家と言われている。幕府関係者への復讐の為、眈々と機会を窺い刺客に暗殺の指示を下す。冷静、冷徹という言葉そのままに、どんな時でも目を見開き、その表情を崩すことがない。

だが、処刑される筈の間崎拓馬を脇にかかえ、晋助が嵐山の隠れ家に乗り込んできた時には、さすがに驚愕を隠せなかった。

「間崎君……!!」

狼狽する武市の前に、晋助は転がすように拓馬を横たえた。

「分別のつかない小わっぱに、刀を持たせるのは止めておけ。これ以上泳がせておけば、幕府の犬に尻尾を掴まれることになるぞ。土佐に返して、自由にさせてやれ」

拓馬が救出されたことで、隠れ家にいた勤皇党の浪士達が大急ぎで集まってきた。彼の獄衣は川の水がかかって冷たく濡れていて、磔にされていた時と変わらず、意識が朦朧としてぐったりしている。

「着替えと……あとは湯を沸かせ!」
「しっかりしろ!」

拓馬は数人がかりで抱え上げられ、奥の部屋へと連れていかれた。
その姿を見送る晋助もまた、着物が濡れていた。鴨川を横切って、京都市中から嵐山まで馬を駆ける間、彼は拓馬を藺草(いぐさ)の蓙(ござ)にくるんで隠すように連れてきた。馬を鬼灯屋の厩に繋いでからは、肩に担いで隠れ家まで運んできた。

晋助の湿った着物、泥で汚れた素足を見て、武市は一瞬にしてそのことを悟った。床に手をつき、がっくりと項垂れる。自分なら、配下の為に、この男と同じ芸当が果たしてできるだろうか?

「どうして貴殿が、私達の仲間を……」
「薫が、あの小僧を助けようとアンタの所に乗り込んだらしいな。その上、数日世話になったとか」
「そうですが……しかし」
「薫のお節介に付き合っただけのことだ。磔が当然の裁きと言えばそれまでだが……復讐に踊らされた若い命が、幕府に蹂躙される様なんざァ見たくないんでね」

武市は、薫が語った鬼兵隊の事を思い出した。仲間の粛清を、悔やんでも悔やみきれぬという無念の思い。取り返せるものなら、取り戻したいという積年の哀しみ。

「どうやら貴殿の過去と、関係がおありのようですね」
「……薫の奴、アンタに話したのか」

晋助はふっと笑って俯いた。

「俺と薫には、救えなかったものがある。今更悔いてもどうにもならねェ……だが、手を伸ばせば救えるものを、捨て置く訳にもいかねえ。大将とは、そういうものじゃあねェのか」


それから、と言って、晋助は懐から湿った紙切れを取り出して武市に見せた。墨が滲んで文字が歪んでいるが、こう記されてある。

“守る人の有るか無きかは白露の
 おき別れにし撫子の花”

磔にされた時、拓馬の袖に入っていたものである。死を覚悟した拓馬が、磔にされる前に力を絞って残した、辞世の句だった。

「自分の死に際に、誰かの行く末を案じていたようだな」
「…………妹が」

紙切れを手にした武市が、震える声で言った。

「間崎君には……土佐に残してきた、小さな妹がいます」

両親を処刑で失った拓馬が、幼い妹を残して今度は己が死のうとしている。死期を前に、そのやるせなさを表した哀しい句だ。
だが、今となってはこの句には何の意味も無くなった。晋助は武市から紙を奪うと、片手でくしゃっと握り潰した。

「いくら小わっぱだろうが、罪人だろうが……それでも、護ろうとしているものがある。寒空の下で川を游いだのも、無駄じゃあなかったな」


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