鬼と華

□花兎遊戯 第二幕
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薫自身、十代の頃の自分の顔かたちなどあまり覚えていない。けれど当時の晋助の姿は、今でもありありと思い浮かべることができる。
かつて彼は、身分を問わない兵士達からなる義勇軍、鬼兵隊を率いて攘夷戦争を戦っていた。もう十年余り過去のことになるが、彼の勇姿は眩しいほどに、彼女の心に焼き付いていた。

そして今、晋助が復活させた鬼兵隊は、幕府転覆を目論み、宇宙最大の犯罪組織と手を組むまでになっている。この十年、彼は知略をもって暗躍を繰り広げ、復讐への駒を進めてきた。戦場を駆けていた一人の攘夷志士が、倒幕への王手に着実に近付いている。そう思うと、十年の年月は短いようで長く、濃密な時間だった。

だが、薫にとっての高杉晋助は、今も昔も、ただ一人最愛の人であることに変わりはない。一人の男としての変化を言うなら、年を経るにつれ自信に満ちて、いっそうの魅力が増している。惚れた贔屓目で見ても、彼女の目にはそう映るのだ。


その日、薫が同席した春雨幹部との会食の席でも、晋助は実に堂々としていた。煙管を唇に運び、酒の器に口をつける動き、そのひとつひとつに品がある。鬼兵隊の総督として人前に出る時、彼はこんな空気を纏っているのかと、彼女の視線は引力が働いたように、晋助に引き寄せられていた。

会食の半ば、春雨の提督が、晋助に話題を切り出した。

「高杉殿、華陀とか名乗る元団長の件だが」

提督、阿呆という男は、やたら豪奢な宝飾の服を着た恰幅のいい天人だった。

「あの女が持ち出した金というのが、相当な額でね。女の武器というか何というか、当時の幹部達を巧みに騙して、私人の財産までも盗んでいきおったらしい」

彼は、ハアと大袈裟な溜息をついた。

「どこに隠しているのやら、当てはあるのかどうか……かと言って、女の処断は元老院には報告せねばならんし、このまま生かしておく訳にもいかんし……」

どこか気が弱く、決断力に欠ける男だと思った。武市が薫に漏らしたことが本当であれば、部下であるはずの第七師団を、己の保身のために排除しようとしている。組織の首領が己の為に動くような男なら、部下もそれに然り。自ら手を下さなくとも、彼の地位が他の誰かに取って変わられる日は、そう遠くないかもしれない。


暫くして、薫は化粧を直しに席を立った。給仕をしていた女性の天人が化粧室まで案内をしてくれたが、薫が出てきた時には通路には誰もいなかた。そのため会食の席へ戻る途中、通路の分岐点でどちらに渡ったらよいか、分からなくなってしまった。

さすがは宇宙最大の犯罪結社というべきか、春雨の母船は鬼兵隊の船とはまるで違う大きさだった。広い通路が幾重にもわたり、複雑に入り組んでいた。
昔の城でも、侵入者があった時のために、天守閣に至るまでに櫓や城壁を多数設けて複雑な構造にしたと聞く。しかし、巨大な船においてはもはや迷路だ。

(誰かが通りかかるまで、待つしかなさそうね……)

誰もいない通路で途方に暮れていると、突然背後から声がした。

「ありゃ、迷子になっちゃったの」

びくりとして振り向くと、そこには灰色のマントを纏った少年が立っていた。明るい橙色をした長い髪を、後ろで三つ編みにしている。
幼さの残る顔に爽やかな笑顔を浮かべて、彼はじっと薫を見つめた。

「……あんた、あの侍の連れでしょ。提督の所に戻るんだったら、案内してあげるよ」
「あ……ありがとう」

“あの侍”とは、晋助のことだろう。薫は少年に促されるまま、彼の後について歩き出した。

けれど行く先で船員達とすれ違う度、彼らからは全身を舐めるような粘っこい視線が向けられた。非常に居心地が悪いうえ、少年は見覚えのない薄暗い通路をどんどん進んでいく。会食の一室から遠ざかっているような気がして、彼女は不安でならなかった。

その様子を察してか、少年は愉しそうに言った。

「そんなに脅えなくてもいいのに」
「あの、本当にこちら側なのかしら。何だか……」

言いかけて、薫は口をつぐんだ。少年がピタリと足を止めて、彼女を振り返ったからだ。その表情に、先程の爽やかな笑顔はない。

「声をかけられて素直についてくるなんて、あんた、正気?」

少年の口許には、妖しげな笑みが浮かんでいた。

「海賊船の船員なんて、みんな女に飢えて餓死寸前だよ。そんな所を一人フラフラしてるなんて、獅子の檻にネズミが放り込まれたようなモンだ」

彼は無邪気に言うと、トンと軽く薫の肩を押した。それだけで彼女の体はバランスが崩れ、よろめいた所を壁際に追いやられてしまう。

少年は壁に手をついて、ずいと薫の首許に鼻先を寄せた。

「地球の女はいいって聞いたことはあるけど、嘘じゃないみたいだね。あんた、甘い匂いがするよ」
「…………」

じっと見つめてくる少年の瞳は、澄んだ蒼色をしている。その中にあるのは明らかな好奇心と、雑じり気のない欲望だ。
身の危険すら感じる直情に晒されつつ、薫は射抜かれたように、若い瞳の前から動けなくなってしまった。

「……俺の顔、何かついてる?」

少年は口角をあげて笑うと、薫の手をとり、手首の辺りに歯を立てた。噛み千切られるのではないかと戦慄が走る。だが彼はざらざらとした舌で、僅かに残る噛み跡をつうと舐めた。

「っ……!!」

丸みを帯びた唇から覗く赤い舌が、薫の目にやけに官能的に映った。だが、晋助以外の男に触れられているということが、彼女を現実に引き戻す。

「は、……離して!」

渾身の力で少年の手を振りほどこうとしたものの、彼はびくともせず、涼しい笑みを浮かべたままである。
薫は眉間に皺を寄せ、彼をキッと睨み付けた。

「そんな風に、触らないで」
「抵抗なんかしちゃって、可愛いね」
「可愛いなんて、年上の女性に対して言うものじゃないわ」

語気を強めて言うと、少年は一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、やがてその目が爛々と輝き始めた。活きのいい獲物を見つけたと、まるで雄の猛禽類が狩りに臨むかのような眼であった。

逃れられないかもしれない。
蒼い眼を前に、薫が萎縮した時だった。

「オイ団長、提督の客人捕まえて何やってんだ」

通路の向こう側から野太い声がして、髭をたくわえた大柄な男が現れた。
少年がパッと薫の手を離すと同時に、彼女も急いで腕を引っ込めた。

「お嬢さん、お連れ様が捜してましたよ」

大柄な男がそう言うと、彼の陰から晋助が現れた。薫がいつまでも戻らないので、捜しにきたのだろう。
だが晋助の登場で、その場の空気が急に変わった。少年が明らかに好戦的な視線で、晋助をじろじろと見はじめたからだ。当然晋助は不快さをあらわにして、少年を無視して薫の腕を取る。

「会食はお開きだ。船に帰るぞ」
「ええ…ごめんなさい、途中で迷ってしまって」

晋助と薫の会話が聞こえたのか、少年は小さく舌打ちをして、大男のもとに歩み寄った。

「タイミングが悪いよ、阿伏兎。もう少し遅く来てくれたら良かったのに」
「何言ってやがる、すっとこどっこい。ご婦人をこんな人気のない場所に連れ込むたァ、どーいう了見だ」
「別にィ。迷子になって困ってたみたいだから、ついでに船を案内しただけ。紳士的だろ」
「そりゃあ紳士的とは言わねーよ、いらねェお節介だ」
「そう?」

ハハ、と笑いながら、少年は男と連れ立ってマントを翻し、背を向ける。彼らは親しげな間柄のようだった。

去り際、彼は薫の方を向いて、にこやかに片手を挙げた。

「俺は神威。またね、オネーサン」


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