隣人と二度、恋をする

□chapter11.Birth,End & ReunionB
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葬儀が終わって弔問客が捌けていき、俺は楓を斎場の隅のベンチに座らせて、お茶を買いに行った。

葬儀の最中に、外の雲行きが怪しくなったようだ。びょおおと音をたてて木枯らしが吹き荒れ、木々が大きく揺れていた。そのせいか、斎場は暖房が入っていないんじゃないかと思うほど寒かった。どこからか冷たい空気が流れ込んできて、座っていると足許からすっかり冷えてしまう。薄手のストッキングを履いた彼女は見るからに寒そうで、せめて、温かい飲み物でも飲ませてやりたくなったのだ。

すると自販機の近くの喫煙所で、思いがけず懐かしい顔を見つけた。ブドウの収穫で世話になった小銭形平次さんが、背中を丸めて葉巻を吸っていた。

こんな時だというのに丸いサングラスをかけていて、不謹慎だなと思っていると、頻りに目の下に指をやっていた。ああ、涙を拭っているんだと気付いた瞬間、泣き顔を人に見られないためのサングラスなのだと納得した。

平次さんは就農した時、楓の祖母に世話になったと話していた。故人に思いを馳せれば、思い出に涙を流すことだってあるのだろう。男には見栄があるから、サングラスをかけて恰好をつけていないと、やっていられないのだろう。哀愁の漂う背中と男の涙は、並大抵ではない悲哀を感じさせた。

じっと凝視してしまったせいか、平次さんは俺に気付いたようだった。葉巻を持った手を、何でもない風を装って、格好つけて斜めの角度に挙げた。

「よう銀ちゃん。久しぶりだな。あんたも来てたのかい」
「平次さん」

俺は静かに頭を下げた。こういう時、何という風に挨拶をしていいか分からずに黙っていると、平次さんは外を指で示して言った。

「晋ちゃんも来てるぜ。もう会ったかい」
「―――――高杉が、ですか」

山梨に来て、その名を聴くとは思ってもみなかった。
思わず、ベンチに座る楓を見た。今の会話が聴こえたのだろう。彼女の青ざめた顔に、驚愕の色がみるみる浮かんでいくのが遠目でも分かった。

「さっきまで、ここで煙草吸ってたよ。駐車場の方に行ったと思うけど」

と、平次さんが言い終わらないうちに、ガタンと大きな音がした。楓が立ち上がった拍子に、ベンチが揺れた音だった。
彼女は信じられないという表情で窓に駆け寄り、俺と彼女はほぼ同時に、喪服姿の人々の中に混じって、黒髪の男の、一際細い人影を見つけた。

彼女は、小さな声で呟いた。

「うそ」

そのまま、パタパタと靴音をたてて斎場を飛び出し、木枯らしの吹き荒れる駐車場に仁王立ちになると、高杉に向かって声を張り上げた。

「高杉さん!!」

何かを訴える、切ない響きの混じった声だった。長いこと逢えずにいた想い人に、ありったけの気持ちをぶつけようとするかのようだった。

それはまさに、映画のワンシーンだった。呼び止められた高杉は足を止め、ゆっくりと振り返る。奴の視線は楓に向けられ、それから、彼女を追いかける俺の方に、ひたりと照準があてがわれた。

俺は、楓と高杉を見ていた。そして高杉は、楓と俺を見ていた。三人が一直線上に立ち、真ん中に立つ彼女は、俺の方をちらと振り向き、そしてまた、高杉の方を見つめた。

思いがけない再会に、ふたりの視線が絡み合う。その一瞬に、彼らは何を思うのだろう。それはきっと俺の知り得ないことだ。高杉が彼女を連れ浚って、車に乗り込んで去っていくまでのイメージが、一枚一枚写真のように、鮮明に思い浮かんだ。そして俺は、一人ぼっちで取り残されるのだ―――いつかの、あの日のように。

楓が、行ってしまう。
高杉に連れられて行ってしまう。

そう思った瞬間、俺は彼女に向かって声を張り上げた。

「行くなよ、楓」

楓は俺の方を見て、瞳を大きく見開いた。みるみる涙の膜がはり、瞬きをするのと同時に、大粒の涙が零れ落ちる。
不安そうな光を濃く宿して、赤く潤んだ瞳は、昨晩祖母の死に泣き暮れた時とは別のものだった。迷いの涙だろうか。葛藤の涙なのだろうか。頭の片隅で考えながら、俺は反射的にもう一度、叫んでいた。

「あいつの所になんか、行くな!」

同時に駆け出した。楓の細い身体を腕の中に閉じ込めて、ありったけの力で抱き締める。

「行くなよ……行くな……!」

この二日、彼女の側にいて分かった。俺には彼女が必要だ。もう、二度と離したくない。アイツになんか、渡してやるもんか。
悲しみに暮れて泣いていても、浮気相手の男に思い詰めた目を向けても、それは楓の一部で、俺は全部を含めて彼女を受け入れたいのだ。

こんな風に彼女に対して、思いの丈を包み隠さずぶちまけたのは初めてかもしれない。大人ぶることも、格好つけることもせず、ただ行くなと喚くなんて、親に置いていかれるガキのようだ。

楓は俺にされるがまま、腕の中で何度も洟を啜っていた。そして、

「駄々っ子みたいに、何回も言わないでよ」

と、鼻声で言った。
それから高杉が一人で車に乗り込み、葬儀場を去る間も、俺は彼女が何処にも行かないようにと、きつく抱き締めた。



(chapter11 おわり)


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