約束 〜 いつか、君に逢いに行く 〜
□第六章 乙女の命
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泣き止んだ千晶は、気持ちを落ち着かせて、俺の方を振り返りながら寝屋に戻っていった。彼女はまだ話したそうにしていたけれど、疲れてはいけないと思って寝屋へ返したのだ。
俺は彼女が遠ざかったのを確かめてから、暗闇に向かって、溜め息混じりに言った。
「いつまで、そんなところに隠れてるつもりだよ」
暫くして、廊下の柱の陰から、ぬっと人影が姿を現した。
安島だった。
千晶はどうだか知らないが、俺は奴が隠れていることに、とうの昔に気付いていた。俺達が話しているのを、通りがかりに耳にしたのだろう。息をひそめて気配を消していたつもりだろうが、千晶は騙せても、俺はそうはいかない。
俺は、嫌味たっぷりに言った。
「傷の経過はいいようだなァ。快気ついでに覗きか?いい趣味だなぁ、オイ」
「そんなつもりはありません!」
安島は否定して、言い訳を続けた。
「千晶とあなたが、あまりに親しそうに話しているから……つい、足を止めてしまいました。悪気はなかった」
奴の意図がどうであれ、盗み聞きされていたのは変わらない。
俺は、冷たくあしらった。
「そうかい。じゃあ、さっさと休めや」
「ちょっと、待ってください!」
立ち去ろうとした俺を、安島は食いつくように引き留めた。うんざりしながら振り向くと、奴の真剣な眼差しと視線がかち合った。
「あの子は、あなたには何でも正直に話すようですね。身内には見せない弱味を、あなたなら見せるようだ。僕だって……千晶があんな風に悩んでいると、知らなかった」
安島は、目を反らさずにじっと俺を見ている。
整った顔の、真っ直ぐな瞳は、純朴な内面をそのまま現しているよう。その中に、意思の強さがある。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
俺はわざと挑発的に言った。挑発にのって、安島が逆上するかもしれないと思ったからだ。
だが、奴は冷静を保ったまま言った。
「ご存じの通り、僕らは許嫁の関係にある。千晶がどう思っているかは定かではないけれど、少なくとも僕は、千晶を本気で愛しています」
そして、あろうことか、俺に向かって頭を下げた。
「どうか……あの子をたぶらかすような真似だけは、お控え願いたい」
俺はぽかんとして、奴の旋毛を眺めた。
まさか、ご丁寧にそんな頼みをされるとは思わなかった。彼らふたりが許嫁なのは周知のことだし、俺だって、わざわざ千晶を横取りしてやろうなんて、考えたことはない。
俺は、鼻で笑い飛ばした。
「誰が誰をたぶらかすって?悪いが俺は、もっと色っぺえ姉ちゃんが好みなんだ。あんな青臭ぇガキ、どうしたいとも思わねぇよ」
「……本当ですか」
顔を上げた安島は、きょとんとした顔をしてから、バツが悪そうに照れ笑いした。
「……そうですか。それは、良かった」
そのまま、ほっとしたような顔をして、寝屋に戻って行った。
つくづく、素直な男だと思った。
俺だったら、あんなに正直に誰かを愛しているなんて言えないし、他の男に取られるんじゃないかなんて心配は、格好悪くて口に出来ない。きっと、安島にとっては、そんな恥は小さなことなんだろう。
千晶は、心底奴に心配されて、愛されているのだ。家柄も良くて、誠実な男に貰われて行くのは、女の幸せだ。千晶と安島の将来は、多分水戸藩の仲間達の理想であり、きっと、彼らの死んだ親御さんらの願いでもある。
しかし、俺は冷静になって、自問した。
(あんな青臭ぇガキ、どうしたいとも思わねぇよ)
本当に、そんな風に思っているだろうか。そう思ったことが、一度としてあるだろうか。
もし安島がいなかったら、俺は泣いている千晶を、この腕で抱き締めていたかもしれないのに。
俺は拳で、コツンと柱を叩いた。
嘘をついた時特有の、後味の悪さが残っていた。
(第六章 完)