七色の家族

□第十三章 銀色に耀く
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千晶の退院の日がやって来た。
だが、天気は生憎の雨……というより、正確には台風が来たみたいな、土砂降りの悪天候だった。

退院の付き添いに病院まで来ただけで、俺の脚はブーツの中までグシャグシャに濡れてしまった。ひた、ひたと濡れた足跡をつけながら産科の入院棟に行くと、顔馴染みになった看護師がにこやかな笑顔を向けてきた。

「こんにちは坂田さん。退院のおめでたい日に、大変な天気なっちゃいましたね」
「あの、看護師さん、こんな天気に退院するなんて心配なんスけど。風邪でもひいたら大変でしょ。もう一日、母子の入院延ばしてもらえない?」
「うーん、それはねえ……」

看護師さんが困り顔で笑う。その時病室からパタパタと軽快な足音がして、身支度を終えた千晶が現れた。

「何やってんのよ銀時。遅いじゃない」

彼女はおくるみに包んだ赤ん坊を片手に抱き、もう片方の手に荷物を提げていた。

「ハイ銀時、荷物お願い」
「早ェなお前。もう支度しちまったのかよ」

荷物を受け取ると、彼女は微笑んで赤ん坊を見下ろした。よく見ると、赤ん坊はバアさんが縫った麻の模様を産着を着ている。

「みんな、この子が来るのを待ってるもの。早く帰らなきゃ」

退院したらいつでも会えるという理由で、結局バアさんは見舞いには来なかった。産後の千晶を労ってのことだが、本当は早く顔が見たいに決まってる。今頃首を長く長くして、彼女の帰りを待っているだろう。


世話になった看護師や助産師に挨拶をして、俺達は入院棟を後にした。千晶は連日の寝不足の疲れこそ見えるものの、すっきりとしたいい顔をした。慣れない数日間を手探りで過ごした場所なのだ。きっと感慨深い思いに違いない。

病院のエントランスに出ると、雨の混じった横殴りの風が激しく吹き付けていた。悪天候のせいで、十月にしては結構肌寒い。おくるみに包まれた赤ん坊はすやすやと眠っていたが、薄い頬に風が当たるのを見ていると、俺は不安になってしまった。

「なァ、コイツ寒くねーかな。雨が当たって濡れちまう」
「心配なら、こうすればいいのよ」
「へっ?」

千晶は俺の着流しの衿を引っ張ると、おくるみごと、赤ん坊をくるむようにしてポンと入れてしまった。

「うわっ」

小さな重みを、慌てて両手で支える。俺はどぎまぎしながら赤ん坊を覗きこんだ。母親から急に離されて、泣くんじゃないだろうか。だが、そんな不安を他所に、奴は気持ち良さそうに眠り続けていた。

「銀時の方が、きっと暖かいわ」

と千晶が笑う。俺達は停まっていたタクシーまで、並んでゆっくりと歩いた。

千晶を先に乗せ、俺は運転手に言った。

「かぶき町までお願いします」

走り出したタクシーのフロントガラスには、激しく雨が打ち付けている。ワイパーがひっきりなしに動いて雨を避けているが、視界はとても悪い。大雨のせいで道路は渋滞気味で、車はのろのろと進んでいた。
俺は、苦笑して言った。

「お前って雨女だったっけ?昨日まで晴れてたのに、退院の日に限ってすげえ天気だな」

すると、千晶は可笑しそうに笑った。

「そういえば、昔も似たようなことがあったわ」
「ん?」
「結婚した時、お登勢さんのスナックに挨拶に来たことがあったでしょ。その時もひどい天気だったのよね。やっぱり私、雨女なのかも」
「あァ……そうだったけ」

俺は適当な返事をした。というのも、挨拶の日、俺は酔っ払っていてよく覚えていない。結婚してから色んなことがあり過ぎて、そんな記憶はとうの昔に薄れてしまった。

彼女は雨粒の流れ落ちる窓の外へ視線をやり、独り言のように呟いた。

「もうすぐ、11月だものね。一雨ごとに寒くなって、冬が来るわね」
「そうだな」
「暖かくなる頃には、この子も大きくなるかしら」
「そりゃあ、あっという間にでかくなるさ。男だからな」

千晶との思い出でも、何でもない日々を積み重ねる中で、忘れ去ってしまうことが沢山ある。けれど、これからはその一日一日が、今までよりも少し特別になる。
子どもがいる慌ただしい毎日、見逃してしまいそうな変化や成長を。きっと俺も千晶も、必死に追いかけて、日々暮らしていくんだろう。


暫くして、タクシーの運ちゃんが、前を向いたまま言った。

「お母さんは雨女かもしれませんけど、お子さんはきっと、晴れ男ですね」
「……えっ?」

俺と千晶は顔を見合わせ、窓の外に目を向けて気付いた。あれほど激しかった雨足が徐々に弱まって、空に明るさが戻っている。
そしてビルの隙間の、灰色と水色の中間の色をした空に、カラフルな橋がかかっているのが見えた。

「あっ、虹!」

久しぶりに見た、七色の光。雨上がりの空に眩しく輝くその様子は、まるで今日の日を祝福しているように見えた。
そして、それよりも小さいけれど、何より眩しい銀色の光が、俺の腕の中にある。


タクシーはかぶき町の商店街に入り、道の先に万事屋の看板が見えてきた。

「あっ、お登勢さん!」

スナックの前では、バアさん達がわざわざ外に出て、今か今かと千晶の帰りを待っていた。タクシーに俺達が乗っているのに気付いたのだろう。新八と神楽が二階の手摺から身を乗り出して、千切れそうな勢いで両手を降っていた。

雲の切れ間から射し込む陽射しに包まれて、その場所は、とても暖かい光に満ちていた。

「揃ってお待ちかねだな」

そう言って俺が笑うと、千晶は運転席と助手席の間から身を乗り出して、弾けるような笑顔で手を振り返した。


俺は腕の中の小さな温もりに、そっと声をかけた。

「お前の家だぞ」

新しい光を迎えて、俺達の家族はまた、今日から始まるのだ。



(七色の家族 完)
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