鬼と華

□鬼百合の唄 第一幕
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全くもって気味が悪い場所だ。薫が寺に対して抱いた感想は、その一言に尽きる。

赤鬼寺には、住職の他に数人の僧侶がおり、住み込みで寺を管理していた。色白で陰鬱そうな空気を纏っていて、寺に転がり込んだ薫達を、いつも迷惑そうな目で見ていた。こんなところをかつて隠伏先にしていたという、河上万斉の気が知れない。

晋助はもっぱら万斉と行動を共にしており、麓に降りては人目を忍ぶようにして、各地の浪士達と会合を持っているらしい。相変わらず薫には身の安全のため、なるべく寺に留まるよう言い置いていた。

だが、薫は何かと用事を作り、頻繁に寺を抜け出すようになっていた。長い石段をおり、山を降りて町へ行くのは難儀だったが、そうしてでも、一秒でも寺に居たくなかった。


その日も、八掛けと言って、袷の着物の裾の裏につける布を買いに、麓の呉服屋に出掛けた。
強い陽射しが土をじっとりと熱して、足許から湯気が上るかと思うほどだった。京の夏は暑いと聞いていたが、思っていた以上である。けれど薫にとっては、鬱蒼とした森の中の寺に比べれば、照りつける日光も蒸すような昼間の空気も、全く苦ではなかった。


麓の街は小さく、京のような賑わいはなかったが、趣のあるいい街である。生地屋で布を買い、店主と世間話をしているうちに、すぐに時間が過ぎてしまった。
暗くなる前に寺に帰らなくてはならないが、一向に気が進まない。薫は辺りの道を散歩しながら、町の風景をぼんやりと眺めた。民家が並ぶ界隈はまばらに人通りがあるものの、離れた所に神社があり、とても静かないい場所だった。

(人目を恐れず、晋助様と外で過ごせたらいいのに)

境内の日陰で涼みながら、薫はそんなことを思っていた。寺に隠伏するようになってから、晋助とふたりで過ごす時間がめっきり減ってしまったからだ。
晋助と万斉がどんな場所に出入りしているか知らないが、女を連れて行くような所ではないことくらい、薫にも分かっていた。

(万斉様が、かつての銀時様や桂殿のように、晋助様の側にいてくれる存在となるなら……私が側にいるより、頼もしいはずだわ)

そう思って納得しようとしている自分にも、どこか侘しさを感じ得ない。


それから、神社を出て再び町を歩いていた時だった。
どこかもの哀しく、静かな空気を引き裂く出来事が、突然起こった。

バン!!バン!!

立て続けに、二発の銃声が響いたのである。
薫はとっさに壁沿いに身を這わせ、辺りを伺った。周りには誰の姿も見えないが、銃声はかなり近くから聴こえていた。

(もしや、近くに幕吏が!?)

懐の、護身用の刀に手を伸ばす。警戒しながら道角まで行き、左右を伺う。右を向いた、その瞬間のことだ。

「っ!!」

物凄い勢いで、目の前を獣が横切った。それは薫の立つ場所から少し過ぎたところで立ち止まり、じっと彼女の方へ視線を投げ掛けていた。

「…………!」

いや、獣ではなかった。そこにいたのは、赤い着物の少女だった。
金色の髪を、頭の片側で高くまとめあげていて、それが一瞬獣の尻尾のように見えたのだ。

勝ち気そうなつり上がった目が、何とも印象的である。両方の腰に拳銃を差しており、微かに火薬の匂いが漂ってくる。
彼女は警戒心を露にして、じっと薫を伺っていた。

(あの娘、怪我を……!)

薫は、彼女が左の二の腕のあたりを押さえているのに気付いた。指に血が滲んでおり、腕に傷を負った様子であった。

誰かに追われているのかもしれない。薫は辺りに人がいないことを確認すると、一目散に少女の元へ駆け寄った。

「アンタ、何者ッスか」

少女はそう言って、薫から離れようと後ずさる。

「いいから、早く腕を!」

薫は、少女の着物の袖を掴むようにして捲りあげた。案の定、刀で斬りつけられた痕がある。傷は浅いが、止血しなければならない。

薫は、町で買った生地を歯で裂いて、手早く少女の腕に巻いた。晋助が怪我をした折りに包帯をよく替えていたので、彼女の手つきは素早く無駄がなかった。
手当てが済むと、彼女は声を低めて少女に言った。

「向こうの小路を抜けると、小さな神社に出ます。彼処なら人目につきません。境内を抜けてお逃げなさい」
「…………」

薫が神社の方を指差すと、少女はじっと彼女の顔を見つめてから、腕を押さえて走り去っていった。

金色の髪が見えなくなると、薫は胸に手を当てて、深く一息ついた。まさか平穏な町に、銃声が響くとは。おそらく、あの少女が撃ったのだろう。その銃声が、やけに耳に残っていた。
奇妙な胸のざわめきを感じながら、薫は小走りにその場を離れた。途中、道の角に幕吏らしき二人組の男を見かけて、彼女は歩みを早めて寺へと戻った。


その時出逢った少女こそが、京で徒党を組み、幽撃隊と呼ばれる義勇軍の総督、来島また子であるとは、薫は思いもよらなかったのである。



(第一幕 完)
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