鬼と華

□螢夜 第四幕
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晋助が姿を消してから三日目の早朝、薫は大村の洋館から屋敷へと戻った。
佐久間周山の裏の顔を知ってから、奇妙な胸騒ぎが収まらなかった。それに、もしかしたら晋助が屋敷に戻っているかもしれないと、居てもたってもいられなくなったのだ。

勝手口の錠を開けて、忍ぶように屋敷に入る。ふと、寝室の方に気配がして、おそるおそる近付いた。
すると廊下の角で、出会い頭に肩がぶつかった。

晋助であった。

「……晋助様!」

抱き付くように晋助の胸に顔を埋めると、彼は薫の頭をしっかりと抱き寄せた。

「無事か……」

晋助が長い溜め息をつき、薫の髪を何度も撫でる。

「何処に行っていた?追われてはいないか」

不安げな視線を寄越す晋助の顔つきは、頬が少し痩け、瞳だけにやたら精気があった。戦の時を彷彿とさせるような、危険な野性味が漂っていた。

大村が話したことを打ち明けるべきか。薫は迷った。話したら最後、穏やかな暮らしには二度と戻れないような気がした。
しかし、晋助には知る権利がある。薫は、昂る感情を抑えて、冷静に言った。

「晋助様……江戸で、鬼兵隊の処罰を命じた人物が分かったのです」

薫は、大村が話した佐久間周山という男の人となりを、事細かに話した。彼は俯いたまま、静かに薫の話に聞き入っており、やがて低い声で言葉を発した。

「佐久間、周山……」

じっと思案する晋助の横顔に、障子から射し込む眩しい朝陽が当たりだした。そろそろ、人々が活動し始める時間であった。

彼は片眼を細めると、光の方を見やり、決意したようにすっと立ち上がった。

「今夜中に必ずかたをつける。夜明け前には、きっと迎えに来る。
薫、待っていてくれるか」
「はい……!」

晋助は薫をしかと抱き締め、明け方の街へと出ていった。

これから彼が何処へ向かうのか、彼女には検討もつかない。そして、鈴が無事でいるかどうかも、恐ろしくて訊けなかった。



◇◇◇



燦々と照りつける陽射しの中、晋助は編笠を被り歩いていた。

不思議な思いだった。鬼兵隊の粛清を決めた男、佐久間周山。なぜ、これまで知らなかったのだろう。なぜのうのうと、彼を生かして置いたのだろう。
幕府、その漠然とした憎しみの対象の中で、先日京の街で見かけた周山の姿だけが、鮮明に浮かんでくる。その事実を知っていれば、あの時に首を叩き斬ることも出来たのだ。

晋助の脚は迷う。様々な感情が渦を巻き、ほぼ宛もなく歩いていると言っていい。
薫が悲しむのを覚悟の上、鈴の元へ行くべきか。仇、佐久間周山を捜しに行くべきか。
だが、奉行所が躍起になって、役人殺しの首謀者を捜しているのも分かっていた。身の安全のため屋敷に引き返し、薫を連れて逃げるべきか。

考えているうちに、晋助は以前訪れた茶屋に来ていた。初めて、佐久間周山について知った場所である。
あの時出逢った、老人の言葉の意味が今になって分かった。周山は、攘夷志士にとっては憎むべき相手だと。まさか、幕府の軍事顧問である男が、権力を楯に攘夷志士を根潰しにし、無惨な粛清を執り行った張本人だとは……。


茶屋には数名の客が居り、先日とはうってかわって、輪になって集まり、何やら熱心に話をしていた。
その輪の中心に、周山について語った老人の姿を見つけ、晋助は軽く頭を下げた。

「爺さん、先日は……」
「おう、兄さん。久方振りだね」

老人は、晋助に向かって片手を上げると、客達との会話に戻った。

「しかし、物騒な事件が起きるもんだ。幕府のお偉いさんが来るんじゃ、京の攘夷浪士も動き出したんじゃないか」

彼らの会話は、役人の殺害の件であった。市中で話題にならない方がおかしいのだ。晋助は彼らと離れた場所に座り、出された茶を一息に飲み干した。
その時であった。

「アンタら、知らないのかい。現場に刀が残されてたらしくてね。出所を辿って、昨晩若い刀商が捕まったらしいよ」

と、客のひとりが言った。
これには、晋助も反応せざるを得なかった。刀剣商の店から持ち出した己の刀を武器にして、彼は役人を斬ったのだ。刀剣商の男は、無実の罪で捕縛されたことになる。

「相当の手練れに違いないね。恐や恐や」

老人が言う傍らで、別の男が、呂律の回らない口調で語り始めた。

「だから爺さん、俺にはもう、下手人は分かってるのさァ」

どうやら、明るいうちから既に酔っているらしい。周りの人間が失笑するのも構わずに、彼はのんびりとした口調で続けた。

「俺ァ以前、この眼で見たことがある……。公家のお偉いさんが、辻斬りで死んだ時さァ。辺りは血の海、胴のど真ん中に逆袈裟斬りに斬りつけられて、即死だよ」

逆袈裟斬り。
その言葉に、晋助は刀剣商の居合い稽古を思わずにいられなかった。強烈な印象として残っていた居合いの型が、ありありと目に浮かんでくる。

そして酔った男は、やけに明朗な口調で、最後にこう言った。

「数を相手に、一太刀で始末をつける……
そんな荒業をやってのけるのは、京じゃあ、人斬り万斉だけさ」



(第四幕 完)
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