鬼と華

□螢夜 第五幕
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桃色の合歓木(ねむのき)が、ゆらゆらと風に揺れている。昼下がり、奉行所への道は人通りが少なく、木陰の道には幻想的な雰囲気が漂っていた。


役人殺しの疑いをかけられ、刀剣商の男が奉行所に捕らえられたという噂を聞き、晋助は単身そこへ向かっていた。
それに、茶屋で話題になった辻斬りの件。聞く限りでは、刀剣商の居合いの抜刀術に相違ない。片手抜刀の逆袈裟斬り、彼はその技を持って、陰で“人斬り万斉”などという通り名で呼ばれているのである。ただし、刀剣商が人斬り万斉と同一人物であることは、世間の知らぬようだった。

それに、当初を思い返してみれば、鈴を奉公に寄越したのは彼の計らいだった。彼が鈴と役人との繋がりを、前以て知っていたかは定かではないが、あれほど頑なに鈴を奉公に出させようとした理由はなんだったのか。
晋助は何よりも先に、確かめなければならなかった。



奉行所に忍び入った晋助は、牢屋を捜して牢屋番から武器を奪い、瞬時に斬り捨てて中へ押し入った。
鉄格子の向こうには、刀剣商が胡座をかいて座っている。突然現れた晋助に、動ずる気配もない。まるで彼が来ることを、予め知っていたかのようであった。

晋助が、牢屋番の腰に下げられた鍵で牢屋を開けると、刀剣商は顔を上げて薄く笑った。

「如何でござった、拙者が仕上げた刀の切れ味は」

晋助が役人殺しの首謀者だと、彼は知っているのだ。
その、全てを見透かしたように落ち着き払った態度が気に食わなかった。

「答えろ」

晋助は刀剣商の正面に仁王立ちになり、刀の切っ先を突きつけた。

「人斬り万斉という通り名を持つアンタが、何故俺に娘を差し向けるような真似をした?あの娘が役人の手先だと、分かっていたのか」

その男、万斉は晋助をちらりと仰ぎ見て、淡々と答えた。

「お役人が娘に接触したのは、主(ぬし)の屋敷で奉公を始めてからでござる。あいにく拙者の預かり知らぬ話にござる」
「その話、信ずる証拠は」
「証拠も何も…………」

晋助の問いに、万斉は、たっぷりと間を置いてから答えた。

「あの娘の父親は……拙者が斬った」

重い口を開くように、彼はゆっくりとした口調で語った。

「お鈴の父親は、高名な公家に支える有能な御仁であった。信頼も厚く家族思いの男、しかしお上の命令ゆえ、拙者もやむを得ぬと……」

彼は、深い溜め息をついて続けた。

「だが……本来は斬るべき人間ではなく、お上のはき違えでござった。
大黒柱を失った母娘は没落、あのような長屋住まいになったでござる」

その、俯きがちな表情は暗く、過ちを償う罪人のようだった。

人斬り万斉などと呼ばれはするが、彼は自ら望んでそうなったのではないかもしれない。晋助はそう直感した。上の者に腕を見込まれ、人斬りに仕立てあげられたに過ぎない。己が鍛練し築き上げた才能を、己の為でなく、他が為に使われているのだ。
本来奪うべきでない命を奪ったことに、罪悪感を抱くような男だ。腕試しや名声欲しさに、浅はかな真似をする筈がない。


「罪滅ぼしのつもりで、あの娘を俺の屋敷で働くように取り入ったのか」

晋助が尋ねると、万斉は低く笑った。

「罪など、償っても消えぬでござる。拙者の手で未来を奪ってしまったことに変わりはない。
だが、拙者は既に囚われの身……もう、何もできない一浪人の戯れかと思って、聞いてはくれぬか。どうか、あの娘を斬らぬと約束してくれ」

万斉は事もあろうに、晋助に向かって軽く頭を下げた。

「信じるも信じないも御主の自由よ。ただ、何も知らぬ娘は、働き口を見つけた拙者に、笑いかけるのでござる。それを奪うことなど……」

弱々しく呟く万斉の様子に、晋助は閉口していた。
万斉は、晋助の想像していた人斬りの人物像とはまるで違っていた。その名に似つかわぬ優しさと義理堅さを持ち合わせている、人間らしい男であった。

本当に憎らしいと思っているなら、こんな問答などせず、とうに首をはねている。白昼の帯刀を咎めたり、所縁のない娘の命を案じたり、彼は人斬りの名にそぐわぬ温かみがある。晋助は、その人柄に惹かれつつあった。


ただひとつ気になるのは、彼の居合い術の腕を買い、鈴の父親を含め、辻斬りを命じたのは何者かということであった。

「てめェに人斬りを指示したのは、誰だ」
「佐久間周山という男でござる」

万斉は、はっきりとした明朗な声で答えた。

「京の公家に、反幕派の勢力がある。周山は、これを潰そうとしていたのでござる」
「……ハハッ」

晋助は、渇いた声で笑った。これは偶然か必然か。佐久間周山に恨みのある侍が、ここに二人揃ったのである。

「てめェとは、奇妙な縁があるらしいなァ」

晋助がそう言って、刀を鞘に納めた時であった。牢屋の入り口から、奉行所の役人が血相を変えてやって来た。

「いたぞ!!」
「貴様が役人殺しの共犯者だな!捕えよ!捕えよ!!」

ふたりの男が、刀を抜いて立ち向かってきた。晋助は一太刀に斬り捨て、周りを素早く見渡す 。
すると牢屋の外から、侵入者に気付いて、次々に役人が集まっていた。晋助は胡座をかいたままの万斉を振り返り、ふっと笑った。

「てめェの中には棲んでいるか、鬼ってやつが」

そして、倒れた役人の刀を奪い取り、万斉に向かって投げる。

「怒り、憎しみ……刃に封じ込めて、斬ってやるがいい」

刀を手にした万斉の目には、一瞬の迷いが見えた。だが、役人は刀を振りかざし、束になって襲いかかかろうとしている。
その際の万斉の反応は、まさしく本能であった。まるで獰猛な虎のごとく、彼はすらりと刀を抜き、役人に斬りかかっていった。


右足を前に出して膝を曲げ、左足を後ろに伸ばして膝を地面に着くくらいにに接する。そして、右手一本で刀を抜いて一瞬で斬りつける。片手抜刀の居合いで、次々に相手を蹂躙していく。

牢屋に集まった役人を、万斉は顔色ひとつ変えずに皆殺しにした。人斬りの名に相応しい、見事な居合い術による立ち回りを、晋助は身震いがする思いで見ていた。


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