鬼と華

□螢夜 第五幕
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約束通り、晋助は日没前に薫の元へ戻った。
この屋敷では暮らしていけない、そう言った晋助に、薫は黙って従った。荷をまとめ、ふたりで馬に跨がって、彼らは屋敷を去った。


暗殺を共謀した晋助と河上万斉は、落ち合う場所を決めて、京の街を離れることにしていた。暗闇に馬が走れなくなる前に、街を出なければならない。晋助は薫を乗せて急ぎ馬を走らせつつ、最後に彼女が楽しみにしていた、螢が見れるという川原に立ち寄った。


川原までの道、薫がおずおずと言った。

「晋助様、実は……お鈴さんがいらして、お母様と京を離れると。それから、私たちにお詫びを」
「そうか」

晋助は短く答え、万斉と鈴の関係について考えた。
万斉の言ったことが本当なのかどうか、定かではない。実は役人からの報酬得たさに、わざと鈴を差し向けたのか、それとも本当に、母娘を救いたいがために一役買ったのか。だが、こうなってしまっては、どちらでもいい話だった。


晋助と薫は、人けの無い川縁で馬の脚を止めて、馬上から螢を捜した。

「晋助様、見て」

すうっと光り、また消えゆく朧な光を指差し、薫は少女のような歓声をあげる。
晋助は、思わず緊張が緩んでふっと笑った。

「螢なんざ、湯田村の田舎にたくさんいただろうに」
「こうして見るのが特別なのですよ」

薫は、晋助の方を振り返って微笑んだ。

「あなた様がいるから」


螢の様子を見ていると、雌雄で光り方が違うのが分かる。止まって仄かに光る雌のところへ、雄の螢が翔んで近付いているのだ。

「不思議なものだな。なぜ、ああも光りながら飛び続けられるのか」

晋助がそう言うと、薫はおもむろに、古い歌を口ずさんだ。

「こゑはせで
 身をのみこがす蛍こそ
 いふよりまさる思なるらめ……」
                 
源氏物語にある和歌である。
声も発せず、ただその身を焦がす蛍の方が、どんな言葉でも言い尽せない深い思いがあるのだろう……そんな意味である。

晋助は、螢の光を追いかける薫の横顔を見つめた。
そんな歌を詠む、その儚げな顔の下。一体、どれだけの想いを秘めているのだろう。己のために、どれだけ忍び、支え、隣を歩んできてくれたのだろう。
人を殺めた恐ろしいこの手、胸の奥で唸り続ける獣の牙。彼女は躊躇いなく、受け入れてくれるのだろうか。

しかし、そんな言葉も、きっと口にしてしまえば忽ち陳腐なものに成り果ててしまう。京を去るふたりの心中には、様々な思いが幾重にも重なっている。


「最後に螢が見れて、良かった」

薫が、晋助の手を自分から手繰り寄せて、強く握った。いつもひんやりとしている彼女の手が、ほんのりと温かいように感じた。

「螢二十日に蝉三日……と言うんでしたね。この光、いつまで見られるのかしら」

晋助は、仄かな光に想いを馳せた。限られた命を懸命に振り絞って、目指す場所へ向かって翔ぼうとしている。言葉に表せない、数々の想いを抱いて。
自分達も、螢のようなものだ。


螢を唄った童謡がある。螢は、美しい水を求めて翔んでいくという。だが鬼は、血を求めるかのように、新たな闘いに身を投じようとしていた。
師を、仲間を奪った世界を相手に、大きなことを成すために。

今宵、晋助と薫は、また新しい岐路に立った。どれほど深い闇の中でも、お互いの光だけは、決して見失うことはない。
そして螢のように寄り添い、光り続けるのだ。



(螢夜 完)
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