鬼と華

□鬼百合の唄 第二幕
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厳しい暑さを象徴するように、ジージーと忙しなく蝉が鳴いている。
京の街、北小路に面した一軒の町家に、町人や浪人が次々と入っていく。入り口は木陰になっており、照りつける真夏の陽射しも、その場所だけを避けているように見える。

その町家の一室、なかほどに設えられた坪庭を望む和室には、十人前後の若者達が集まっていた。身分は様々で、町人、農民、中には僧侶もいる。共通項の無い彼らが、同じ場所、しかも人目を忍ぶように狭い部屋に集まる理由は何なのか。


やがて、襖がピシャンと雑に開いて、若い娘が入ってきた。

「ふう。間に合ったッス」

明るい髪色をしたつり目の娘は、そう言って額の汗を拭った。が、先に部屋に集まった男衆からは、一同に厳しい目線が集まる。

「間に合ってませんよ、総督。わしらをどれだけ待たせれば気が済むのです」
「髪の毛を結わえてたら、ちょっと出掛けるのが遅れただけッス。女が仕度に手間取るなんて、ままあることじゃないッスか」

娘は悪びれた様子もなく、頭の片側で結んだ髪を揺らして見せる。
それから、男衆の正面にでんと胡座をかくと、高らかに声を上げた。

「じゃ、幽撃隊の定例会合、始めるッス!!」
「押忍!!」

彼女の言う、幽撃隊とは。
京において、京の街の伝統を守り夷敵と戦うため結成された義勇軍である。
彼らは月に数回、幽撃隊屯所としている北小路の町家に集まり、近辺の治安などの報告をしているのだ。

「それじゃあ、先輩方から、近況の報告を頼むッス!」

会を取り仕切るのは、今しがた来たばかりの若い娘。彼女の呼び掛けで、集まった男衆が順に立ち上がり、各々の報告を始めた。

幽撃隊は職業別に有志を集めて諸隊を編成しており、隊士の数は総勢六百名以上にも上る。農民の集まりは“郷勇隊”、町人の集まりは“市勇隊”、神主、僧侶はそれぞれ“神祇隊”、“金剛隊”など、十二もの諸隊がある。会合に集まるのは、隊の司令など、中心的な役割を担う幹部達だ。
鉄砲や銃の心得のある者を集めた附属隊は“狙撃隊”と呼ばれ、隊長を努めるのは、来島また子という早撃ちの名手。彼女こそ、二代目総督、幽撃隊の指導者である。


一通り、諸隊の報告が終わった時であった。

「総督、まずい話を耳にしまして」

控え目な声で切り出したのは、湯川昭蔵。色白な優男で、長髪を一本に結んだ浪士である。若いまた子を補佐し、幽撃隊の参謀を努めている。

昭蔵は、集まった仲間の顔を順繰りに見ながら話し出した。

「先の佐久間周山の暗殺の件、皆知っていることと思います。下手人はどこぞの攘夷浪士だと思うんですが、どういう訳やら、幽撃隊の傘下の浪人が、暗殺を企てたの噂が流れています」
「まさか!」

また子が腰を浮かせて異を唱える。

「ウチの隊にそんな不届きものはいないッスよ!」
「それは分かってます、総督」

昭蔵は騒ぐまた子を諌め、眉間に皺を寄せて難しい顔をした。

「問題は、共犯者がどこの誰だろうと、その噂が広まれば幽撃隊の存続に関わります。初代総督がわしらを集め、義勇軍の名に“幽”の字を隊に掲げた理由を、知らない者はおらんでしょう。“幽”の字は、世間と離れひっそりとしていることを言います。初代総督は、我ら幽撃隊が、何者も殺めることなく、何も壊すことなく、陰ながら京の街を護ることを望んでおられました。それが幕府要人相手に剣を向けたとなれば、隊の名を汚すだけでなく、幕府にとっては我らを取り締まる大義名分が出来ます」

また子は、膝のうえに肘を立て、頬杖をつきながら言った。

「私達が攘夷活動ではなく、京の治安の為に活動をしているから、徒党を組むことも何とか黙認されてきたッス。このままじゃマズいッスよ」
「よし、本当の下手人を捜せば、万事解決するのでは?」

勝間田多二郎が、のんびりした声で言う。体格は隆々とどっしりしているが性格はおおらかで、京近辺の農民達の信頼を集め、郷勇隊の司令を努めている。

「簡単に言わないでよ、勝間田先輩。それより、幽撃隊に下手人がいるなんて、根も葉もない噂がどこから出てきたのか知りたいッスね」

また子が言うと、昭蔵が深く頷く。

「今、京は非常に不安定な状態にあります。暗殺された佐久間周山は、幕府でも数本の指にはいる重鎮中の重鎮。それが京の街で暗殺されたとなれば、当然幕府は取締りを強化してくるでしょう。一方、京の攘夷派の浪士や反幕派の公家は、幕府が干渉すればするほど、反発を強めるに相違ありません」
「まあ、誰が何を企んでるか知らないッスけど、幕府なんかに易々屈してはいけないッス。私達は、京を守る最後の砦。幕府の犬共の好きにはさせないッスよ」


それから、一刻ほどで会合は終了した。
集まった幹部が次々と町家を後にする中、また子は座ったまま、じっと腕のあたりを押さえていた。

「どうしましたか、総督」
「…………何でもないッス。ちょっと、考え事ッス」

昭蔵の問いかけに、また子は笑って答える。だが本当は、腕の傷の痛みをやり過ごしていたのだ。

五日ほど前のことである。
京の外れの街で、また子は通りがかった幕吏に怪しまれ詰問された。隠していた拳銃を見つけられ、仕方なく威嚇のため発砲して逃げようとしたが、不意をつかれて幕吏に斬りつけられてしまった。
幕吏から逃げる途中で、見知らぬ女に傷の手当てをされ、逃げ道を教わったお陰で、幽撃隊の仲間まで巻き込むような大事には至らなかったのである。

(そう言えば、あの時の女……)

また子自身すっかり忘れていたが、その女は自分の持っていた八掛けを破り、包帯の代わりに使った。
自らの血がすっかり染み込んで、台無しになってしまった生地。何も考えずに、また子は捨ててしまった。

「………………」

袖を捲り、腕の傷痕を見る。
治りが早いのは、あの時止血してもらったことが大きいかもしれない。そう考え始めたら、何もしないでいることが、義理に反しているような気がしてきた。

「面倒臭いッスね、もう」

また子は小さく舌打ちをして、腰を上げた。そして屯所を出ると、近くの呉服屋に向かって歩き始めた。



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