鬼と華

□鬼百合の唄 第五幕
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住職や僧侶のいない寺は、しんとした静寂に満ちている。毎日決まって床を磨き、本尊に祈りを捧げて読経を上げる……僧侶達が日々の繰り返しで護ってきた寺は、彼らが居なくなると、ただの大きな入れ物のようであった。


薫は誰もいないのをいいことに、僧坊の倉庫や納屋を好き勝手に漁った。そして、昔狩猟に使われていたらしき弓矢を見つけた。彼女自身の、戦いの武器にするのである。
弓に力を加えて強度を確かめ、矢の先端などに触れて飛ぶかどうかを見極めた。手直しすれば、まだ十分に使える武器であった。

それから薫は、寺の中でも最も広い金堂を広々と使って、残されていた矢を全て磨き、毒を仕込む作業を始めた。幼少より弓の稽古を積み、攘夷戦争時代弓矢をもって戦に臨んだ彼女にとっては、朝飯前のことだった。

作業に集中して暫く経った頃、ギイと扉が開いて晋助が姿を見せた。薫が毒矢の仕込みをしているのを見て、彼女の思惑を察したらしい。彼は壁に寄り掛かって、腕組みをして尋ねた。

「俺が行くなと言っても、行くつもりか」
「…………」

薫は、何も答えない。晋助は再び尋ねた。

「一人きりで、どうやって御所まで行く」
「厩(うまや)の馬を一頭、お借りして行きます」
「……お前の強情は昔のままだな」

晋助は呆れたように溜め息をついて、懐から煙管を取り出した。

「万斉の言ったことを気にしているのか。それなら、思い過ごしだぞ」

黙々と作業を続ける薫の背中に向かって、晋助は続けた。

「彼奴はいつも淡々としている……腹が立つほどな。三味線を弾く時も人を殺める時も、顔色ひとつ変えやがらねぇ。感情の起伏を表に出さねぇのさ。それを冷酷だと受け取るなら間違いだ」
「晋助様は、ご自分で万斉様と共に事を為すことを決めたのでしょう。私は、万斉様が信用に足る御方だとは思っておりません」
「俺が見込んだのは奴の居合いの腕さ。それに、俺とて信用はしているが、信頼している訳じゃねぇ」

晋助はそう言うと、薫の側までやって来て、傍らに膝をついた。

「薫…………俺達にとっては、大義のない戦だ。なぜそこまで執着する?」

薫は、手元を止めて晋助を見上げた。彼が珍しく心配そうな目をしていることに、思わず笑みが溢れる。
我が儘や強がりだと思われても、仕方のないことだ。今まで彼女は、晋助の言うことにはおおかた従ってきた。京の町に借りた屋敷を出て、薄気味悪い寺に隠れ棲むことになった時も、晋助の後について来た。
だが今回ばかりは、彼女自身曲げられないものがあった。

「僅かな期間ではありますが、私も京に住まい、その街の美しさ、見事な四季の移ろいに魅了されたもののひとりです。京の街を護る為に闘うのも、ひとつの覚悟でしょう」

それに、もうひとつ別の理由がある。

“二度と来ることが無かったら”。
そんな風に行って立ち去ったまた子の、その二度目を、作ってやりたいと思うのだ。もしかしたら、次は晋助と逢えるかもしれない。いや……逢わせてやりたい。
晩夏、ひたむきに忍ぶ恋心を抱き続けた少女の、二度目を無くしてしまってはならないのだ。


「晋助様、女の覚悟を侮ってはなりません。今度ばかりは……私は、掴みかけた絆から、逃げることはしたくありません。行きます、一人でも」

薫は弓矢の準備を整えると、横になって暫し睡眠をとり、夜明け前に起きた。野袴を履き、口許を布で覆い隠す。髪の毛を結い上げ、頭の上の方で一本に結ぶ。戦支度を整えて弓を背に担ぎ、運べるだけの矢を携えた。

それから、厩に繋がれた二頭の馬のうち、背の低い方に鞍をかけ、首に掴まるようにして跨がった。手綱をひいて、胴を脚でうつ。

「それっ!」

薫のかけ声と共に、馬は一歩を踏み出した。まだ、明け方の薄暗いうちである。馬の歩みは慎重で、それは薫の心中の不安と緊張を察しているようであった。

彼女を乗せた馬は、明け方の京の町へ向かってゆっくりと駆け出した。



(第五幕 完)
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