鬼と華

□鬼百合の唄 第四幕
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晋助と万斉が共謀して暗殺した、佐久間周山。万斉が盗んできた周山の遺品から、薫は一通の手紙を見つけた。それは晋助のかつての師匠吉田松陽が、周山に宛てて記したものであった。

薫は手紙が晋助の目に触れないように隠したが、彼に隠し事などしたことがない。赤鬼寺にいる間は、松陽の手紙の事を思い、彼が敬愛した佐久間周山という人物について、考えずにはいられなかった。
周山は江戸で私塾を開き、松陽を始めとした弟子達を教えていたが、幕府の軍事顧問として登用されてから一変したように思う。抜きん出て秀才、同時に尊大な人柄。天人の高度な文明や軍事力に魅せられて、天人と深い関わりを持つようになった。そして自ら、天人を招き入れて国の軍事政策を立案、国内の抵抗勢力である攘夷志士の粛清など、強硬な政治を進めてきたのだ。

だが、周山の学者としての優秀な一面は、彼自身が書き記した学問書に如実に現れていた。おそらく松陽が学び、松陽も弟子達にそれを教えただろう。
晋助が学び、薫自らも学びたかったことだと思うと、薫は周山の記した書物に手が伸びた。そうして、鬼百合を眺める濡縁で書の頁をめくり、彼が遺した功績や学問に触れて時間を過ごした。



ある朝書を開いていると、万斉がやって来た。
薫の隣で胡座をかき、三味線を構えて撥を握る。彼は薫の手にある書をちらりと覗きこんで、尋ねた。

「面白いものでも見つけたのでござるか?近頃、書を読んでばかりいるな」

薫は、手元の書物に視線を落として答えた。

「私は故郷の長州にいた頃、晋助様と藩校で学んでいたのです。兵学や朱子学、こうした本に触れていると懐かしくて……昔を思い出していました」
「晋助も、御主と同じ長州の生まれでござるか?」

お互いの出生の地も知らないのかと、薫は半ば呆れて言った。

「晋助様は、ご自分のことを何も話していないのですね」
「拙者も語らぬ故、晋助も話さぬのでござろう。過去など語ったところで、さして何か変わるものでもない。拙者はただ、世界を変えるなどと宣った、晋助の大法螺に興味を持っただけでござる」

と、万斉は素っ気なく答えた。詮索もせず、実に淡々としている。男同士とはこうも淡白なのかと思いながら、薫は書の続きを目で追った。

隣では、万斉が撥を手にして三味線を弾き始めている。夏の朝方、陽射しが強くなる前の時間に響く音色は、実に爽やかで気持ちがいい。薫はいつしか、目で文字を追うことより、万斉の奏でる音色に心が傾いていた。


彼女の様子を知ってか知らずか、万斉は徐に話し始めた。

「三味線というものは、繊細な楽器でござる。長い間弾かぬと……」

長い人差し指の先で、つと三味線の胴の犬皮に触れる。

「この皮が破れてしまうのだ。皮は温度や湿度の変化に敏感で、弾いて振動を与えることで、一方向に力がかかることを防ぐのでござる。 だが、弾かずにいると一箇所に集中して力がかかり、皮が破れてしまうゆえ、毎日でも弾くのがよいでござる」
「まるで、物ではなく、生き物のようですね」
「さよう」

万斉は、伏し目がちに頷いた。

「人と人との関わりも、そのような機微があるものでござろう。拙者には、幾ばくか苦手なことではあるが……日々話していると、人となりや心の動き、ふとした変化が分かるようになるものでござる」
「まあ」

薫は、クスクスと笑った。

「分かりますか?私が今、何を考えているのか」
「いや、わからぬ。御主はいつも微笑んでばかりいるゆえ」

万斉は薫に向かって、歯を見せて笑って見せた。そして、だが……と真剣な声で切り出す。

「御主のことは、もっと知りたいと思う。尋ねたら、教えてくれるか?」

薫は笑顔のまま、まじまじと万斉の顔を見つめた。誰かにそんな風に言われたことは初めてで、何と言葉を返してよいのかわからなかった。

それから万斉は、薫とふたりで話すときは、よく自分の生い立ちを話すようになった。故郷の肥後の国や、各地を転々としながら触れた人々の暮らし、風土や自然を、まるで目の前に広がる景色のように詳細に話して訊かせた。三味線の音色の合間に聞く万斉の話は、終わらない長唄を心地好く聴いているようであった。そして薫も少しずつ、故郷の萩で晋助と過ごした時間や風景などについて、万斉に話した。

三味線になぞらえて万斉が語ったのは、まさに薫の心のうちに当てはまっていた。一箇所に力が集中して皮が破れてしまうというのは、周山や松陽のことばかり考えていた薫の思いそのものであった。

万斉と薫はお互いのことを語り、万斉の穏やかな眼差しや口調は、彼女の心をも和やかなものにしていった。


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