鬼と華

□螢夜 第三幕(後編)
3ページ/3ページ


月夜の情事のあと、薫は羽織をまとって寝そべって、考え事をしていた。
晋助のなかには、ふたつの感情の柱がある。師や仲間を奪われて、この世を相手取るほどの憎しみ。そして、どんな時も変わらず、己へ向けられる限りない愛情。それらを天秤にかけたら、どちらに傾くのだろうと。

縁側の柱に寄り掛かり、煙管をふかす晋助を見つめる。浴衣から覗くはだけた胸元、袖から伸びる筋肉質の腕。京へ来て、この街の空気に馴染んだのだろうか。梔子にも劣らぬほどの、芳しい男の色香が漂っている。
彼の唇から立ち上る紫煙が、風向きにそって薫の方へたなびき、彼女に白くまとわりつく。その様を眺めていた晋助が微笑んだので、薫も笑った。

憎しみと愛情、どちらも同じく共有するのだ。晋助が片方を捨てたとしても、もう片方は、薫が持っていればいい。


「この街で、意外な人物の名前を耳にした」

と、唐突に晋助が言った。
薫は、どきりとして彼の横顔を見る。大村のところへ行ったのが、バレたのではないかと思った。

「薫、佐久間周山という男を知っているか」
「佐久間……聞き覚えがあります。確か、兵学の学者ではありませんか?」

内心安堵しながら、薫は尋ねた。

「幕府の、軍事顧問をしている男さ」

幕府、という言葉を強調して晋助が言う。その言葉の裏側に、彼の内に巣くう憎しみが見え隠れしているようで、薫は背筋がうすら寒くなるのを感じた。

まさか、京に幕府の人間が現れるなんて。
もし自分達に危険が及ぶようなことがあれば、今の暮らしは続けられない。
いや、それよりも、幕吏を目の前にした晋助が、再び動き出そうと画策しているのかもしれない。


(何処にいても、鬼は鬼の道を行く……)

殺戮も悲劇もない穏やかな京の街で、静かに暮らす。そんな日々も長くは続かないのだと、薫は悟った。今はただ、ほんの一時身を潜めているに過ぎないのだ。
晋助が再び刀を手にするならば、かつて攘夷戦争の頃怖れられた、鬼兵隊総督の顔が戻ってくる。


けれど、今がかりそめの夢だとしても、こうしてふたりでいる時は、その夢を語りたかった。

「ねえ、晋助様」

薫は、ゆっくりと上体を起こして言った。

「お鈴さんに教えていただいたんですが、街へ行く途中の川原で、螢が見られるそうですよ」
「螢?」

薫は、鈴が語った螢の名所の話をした。

幼い頃はよく、故郷の湯田村の螢を晋助と一緒に見た。 毎年螢が飛ぶのを楽しみにしていたのに、見られるのはほんの一時であった。それが子ども心にも特別なものと感じていたのを、よく覚えている。

「子どもの頃は……螢というのは、光ったと思えばすぐに消えて、居なくなってしまうものだと思っていました」
「螢二十日に蝉三日と、昔から例えたものだ。虫の盛りは、短く儚い」

と、晋助が言った。物事の盛りの儚いことの例えだった。

今の幸せが短いものだと暗喩しているような気がして、薫はもの悲しくなる。この先平穏に暮らすことができなくても、晋助の側を離れることだけはしたくなかった。

「晋助様……私達の行く道も、螢のように儚いものでしょうか。
こうしてあなた様のお側にいられるのも……いつか時が来れば、叶わぬことになりましょうか」

薫が尋ねると、晋助はふっと笑って言った。

「俺達は、色々なものを無くしてきた。これ以上は何も、失うものはない……叶わない願いなんて、ない。
お前が欲しいものを得るまで、貪欲に求めていればいい」


空には、月が高く昇っている。
夜空を仰ぎながら、晋助はまるで天に向けるように呟いた。

「誓っただろう、共に、世界に復讐をすると。
その時まで……光りを放ち、闇を翔ぶ時まで、土の中で眠るのさ」



(第三幕・後編 完)
次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ