鬼と華
□精霊蜻蛉 第一幕
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「桂川は大悲山付近に源を発する川ですが、ここ嵐山では、大堰川と呼ばれているのでございます」
京都嵐山、川を行く渡し船の船頭が、櫓を漕ぎながら言う。
「桂川に架かる渡月橋は、鎌倉の時代、亀山天皇が嵐山に亀山庭園を持っておりまして、曇りない夜空を月が橋を渡っていくように見えた様子から、“くまなき月の渡るに似たり”と仰ったことが由来とされており……」
吟うような朗々とした声で語る、船頭の講釈に耳を傾けつつ、晋助と薫は渡し船に揺られていた。川を横切る渡月橋が次第に遠ざかり、船は大堰川を上って嵐山の奥へと入っていく。
対岸に目を向けると、黄色と朱色を織り交ぜた錦織のような景色が広がっていた。紅葉の最も美しい時期を迎える季節、川の水面に映る山々までもが鮮やかに染まっている。大堰川の翠色と、紅葉の鮮やかな色彩の対象は、息を飲むほどの見事さであった。
「こんな景色は……生涯、絵巻物の中でしか見られないと思っていました」
薫は、眼前に広がる景色に見とれて呟いた。
ひやりとした秋風が水面を這い、肌や髪に川独特の匂いを残していく。時を忘れてしまうほど、悠長な水上のひととき。
「平安の時代、嵐山は貴族の別荘だったそうだ」
と、晋助が言った。
「旧くから、桜や紅葉の名所として愛でられてきた。己の眼で見てみれば、この地に人々が集う理由もわからなくはないな」
幾つもの時代を彩ってきた景色を堪能しつつ、暫く川を上った頃であった。
「あちらでございます」
船頭が、櫓を休めて前方を指し示す。その方向には、木々の間から橙色の灯りがちらちらと溢れているのが見てとれた。まるで、船に乗せられて非現実的な世界へ誘われるようで、何とも幻想的である。薫は期待に胸が高鳴り、隣にいる晋助の手をそっと握った。
渡し船が目指すのは、嵐山にひっそりと佇む宿、“鬼灯屋”(ほおずきや)であった。
〜 精霊蜻蛉 〜
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