鬼と華

□精霊蜻蛉 第一幕
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嵐山で過ごす二日目。山の彩りが一際鮮やかに映える、清々しい晴天だった。
薫が久し振りに買い物をしたいと言うので、晋助と連れ立って嵐山の町を歩いた。呉服屋や料亭が連なる繁華街の一角、髪飾りや小物を売る小さな露店は、若い娘達や旅人らで賑わっていた。

髪飾りを眺める薫に、店主の女性がにこやかな笑顔で言う。

「トンボ玉の簪はいかがですか。真ん丸できれいでしょう」

コロンとした形が可愛らしい。硝子が陽の光に透ける様子に心惹かれ、薫は買うことにした。

「色違いで、ふたつくださいな」

赤色の簪はまた子に、藍色は自分にと紙に包んでもらう。その間、晋助は編み笠を目深に被り、遠巻きに彼女の様子を眺めていた。


それから暫く歩き、二人は足を止めた。道端に御触書が掲げられており、そこに人だかりができているのだった。人々の群れる合間から覗くと、それは人相書のようだった。
こう記されてある。

“人相書之事  武市変平太
一 背 六尺六寸程
一 歳見掛三拾伍歳ニ相見候
一 顔青白ク鼻筋通ル 
一 顎張リ骨出テ…………”

墨で描かれた似顔絵は、瞳がぎょろりと突き出ており、能面のような顔立ちをしている。

「武市変平太、か。土佐の浪士のようだな」

人相書を見て、晋助が小声で薫に耳打ちする。

「徒党を組んで、藩の要人を暗殺した罪状で手配されている。さしずめ攘夷派の残党だろう」

薫は、ふいに不安になり晋助を見上げた。

「もしや、手配人が滞京しているのでしょうか。そうなれば、奉行所の見廻りが……」
「いや、案ずるのは早い。どうやら、万斉が言ったことは本当らしいからな」

晋助は人だかりを抜けて、通りの前後左右をぐるりと確かめてから、くいと編み笠の陰から片目を覗かせた。

「役人の姿が全くと言うほどねェ。観光の町で攘夷派の残党を捜すよりも、今は京の再建に猫の手も借りてぇくらいなんだろう」

そして、薫を促して先に進む。

「人相書は全国津々浦々、人の集まる場所に貼られるものさ。紅葉の嵐山に隠伏するなんざ、無粋な真似をされちゃあ堪らねぇな」

晋助がそう言ったので、薫は微笑んで彼と並び、再び歩き始めた。



◇◇◇



昼時、晋助と薫は老舗の料亭に入った。
こじんまりした奥の座敷に通され、そこで初めて晋助は編み笠を脱いだ。幕府や奉行所の関係筋に見つかれば、ただでは済まない男である。隻眼を隠すようにしなければ、堂々と外を歩けないが、それでも薫は心浮かれていた。買い物をして町を歩き、食事をする。そんな当たり前の事が、幕府や奉行所の監視が薄らいだ嵐山で、ようやく実現できたのだ。

食事のあいだ、ふと視線の合う一瞬に、晋助は物欲しげな眼で薫を見ることがあった。その度に薫は思うのだ。不安や恐れに目を瞑れば、こうして晋助と過ごす時間は限りなく満ち足りている。


「精のつくものを食べろ」

晋助は、魚の造りをごっそりと薫に分けてやった。

「そうしないと、夜がもたねぇぞ」
「まあ」

珍しく晋助が冗談めいたことを言うので、薫はクスクスと笑った。

だが、生臭い事件は唐突に、白昼の料亭で起こることになる。
暫くして、薫の背後、障子で隔てられた隣の座敷に賑やかな一行が入ってきた。声からして、男一人の客に、連れの女がふたり。

酔っ払って戯れる騒がしさに、晋助が不快さを顕にした時だった。突如として甲高い女の悲鳴が響き、次の瞬間、ザシュッと音がしたかと思うと、障子がバッと真紅に染まった。
それが人の血であると悟った薫は、短く叫んで後ずさった。

「ひっ……」
「薫、下がれ!!」

晋助は畳に手をつき膳の上を飛び越えて、薫を庇うように彼女と障子の間に立ちはだかった。
やがて何かの重みで、バタンと障子が外れて倒れてくる。障子の上には、目を剥いた男が、喉から血を流したまま仰向けになっていた。

「ひっ、……人殺しィィ!!」
「誰かっ、誰かーー!!」

連れの女達が腰を抜かして叫びながら、部屋を転がり出ていく。座敷に残されたのは物云わぬ男の死体、そして、もう一人。

(少年……?!)

小柄な男が、血のへばりついた小太刀を手にして立っていた。目許以外に布を当て顔を隠していたが、未発達な体の線からして、歳は十六に満たないように見えた。
彼は一瞬だけ晋助と薫に視線を投げてから、懐から何かを取り出して、自らが手にかけた男に叩きつけた。そして窓の障子を開け放ち、動物のような俊敏な動きで去っていった。

「斬奸状か……」

少年が投げつけた書状を見て、晋助が呟く。斬奸状とは、悪人などを成敗する理由を記した書のことである。

それから、急にバタバタと外が騒がしくなる気配がした。悲鳴を聞き付け、人が集まってきたのだ。間もなくすれば、奉行所の役人も検分にやって来るだろう。

「出るぞ。騒ぎになる前に」

晋助は薫の腕を掴むと、野次馬に紛れて早々に料亭を立ち去った。


この時殺害されたのは、町奉行所の与力であると後々解るのだが、この事件を端として、京には天誅の波が押し寄せることになる。
秋の京が血の朱色に染まる、その陰には、謀略家として名を馳せる武市変平太の策があったのだった。



(第一章 完)
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