鬼と華
□精霊蜻蛉 第五幕
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鬼灯屋を出立した翌日、薫と晋助が武市から渡された地図を頼りに訪れたのは、京に程近い船着き場であった。
ゴウゴウという地鳴りするような轟音とともに、船が空から降り、また飛び立っていく。天人の文明がもたらした、空飛ぶ巨大な宇宙船。間近で見る船の全容に、薫はただ圧倒されるばかりだ。地面に大きな影を落とす巨大な物体がなぜ宙に浮いているのか、 彼女には疑問でならかった。
船着き場では、武市が晋助と薫の到着を待ち構えていた。
「お待ちしておりましたよ、高杉殿、薫さん」
「武市様、これは一体……」
薫が尋ねると、武市は空を仰いで言った。
「鎖国が解かれ天人の先進技術がもたらした最大の恩恵は、交通の利便性が飛躍的に向上したことです。人や物が、空を翔べるようになった」
彼の視線の先では、大小様々の船が青空を飛び交っている。
「彼らが地球を訪れた際、空飛ぶ船艦はまさしく脅威でした。それが今、船は幕府の軍事手段としてだけでなく、人や物の輸送手段として使われるようになり、豪商や富裕層が船を所有することも珍しいことではなくなりました」
すると一体の巨大な船が、ゆっくりと地面に近付いてくる。他の船と比べればやや古いようにも見えるが、見劣りのしない大きさと装備。
貨物船か何かかと薫が考えていた時、武市がその船を指して言った。
「あれは、我々勤皇党が密かに所有する船ですが、たった今から鬼兵隊の船となります」
「……どういうことだ?」
晋助が眉をひそめて武市を見る。薫も目を丸くして、唖然として武市と船を交互に見た。
三人の視線の先では、船員が次々に船から降り、機械系統の点検などに忙しなく動き始めている。途中寄港して燃料の補給を行い、旅に備えているようだった。
「土佐勤皇党の盟主としての、私の役割はもう尽きました。幕府への復讐を遂げる、その志に変わりはありませんが、他の者の人生を巻き込んでまで盟主であり続ける必要はない」
と武市は言った。
彼の言葉は、事実上土佐勤皇党の解散を意味する。だが、仲間を全て失った訳ではない。彼の人柄や知性に惹かれて、あるいは志を同じくして、共に行く者もいる。そうでなければ、彼ひとりの力では、こんな巨大な船を翔ばせやしない。
その船を背に、武市は晋助に向かって言った。
「好きなように生きろと、貴殿はそう仰った。ですが、私は謀略家として生きる他に道がありません。これからは鬼兵隊の参謀として、貴殿にお力添えしとう存じます」
「参謀なんざ、俺ァ一度も欲しいと言った試しがねェよ」
晋助が冷たく言い放つ側から、武市は聴こえない振りをして薫に話しかけた。
「船に棲むなら、もう陰鬱な世界に隠伏することもありませんよ。ねえ薫さん」
と、彼女に同意を求めるようにして、それから晋助に向かって言った。
「船なら、空からでなければ賊の侵入はありません。薫さんが誰かに拐われることもないでしょう。ねえ晋助殿」
「どのツラ下げて言いやがる」
晋助はそう非難したが、武市への悪意は感じられなかった。むしろ彼の眼は、巨大な船艦を前にして期待に満ちていた。その表情に、思わず薫も胸が踊るのを感じた。地の果てでも、空の彼方でも共に行くと彼女は言ったが、まさか本当に空へ行くことになろうとは。
「堅いことをおっしゃいますな。この空の向こうにどんな世界があるのか、見てみたくはありませんか。船があれば、江戸にだって、宇宙にだって行けるのです」
武市は大きく腕を広げて、ふたりを誘った。
「参りましょう、晋助殿、 薫さん。空があなた方を待っています」
◇◇◇
船員達が手際よく出航の準備を終え、船は離陸の体勢に入る。
威勢のいい船員達の掛け声と共に、船の心臓部分が動き出す。燃料に引火する音なのか、耳にしたことがないような爆音が飛び交い、薫は耳を抑えて出発を待った。
やがて、大きな船が地からすっと離れる。始めはゆっくりと、だが徐々に早く、船は上空へ向かって加速していく。
晋助と薫は甲板から身を乗り出して、眼下の景色を眺めた。今しがたまで立っていた船着き場がどんどん遠ざかり、家屋や道、河川や田畑、見えていなかった景色がどんどん視界に飛び込んでくる。初めて空から見下ろす地上の光景は、圧巻の一言だった。
その時、下からびゅうと強い風が吹き上げてきて、晋助の唐草紋様の羽織がばさっと広がった。体が宙にふわりと浮くような感覚。薫は足がすくんでしまい、咄嗟に晋助の腕にしがみついた。
「怖いわ、晋助様」
「落ちやしねェだろう」
晋助は笑って、彼女の肩を強く抱き寄せた。
上空を見上げる。空の青さが異様なまでに近く、この向こうに宇宙があるのだと思うと、高揚感が溢れてくる。
「これが、翔ぶということか」
船は江戸に向かう進路を決め、京の地を後にした。
いざ、仲間達の待つ場所へ。
河上万斉、来島また子、そして参謀武市変平太。鬼兵隊、再びその名を名乗るのに充分な逸材は揃った。後は世界を相手に喧嘩を仕掛ける、その大きな法螺を絵空事ではなく、まことの世の語り草とするために。
ふたつ寄り添うように立つ人影をのせて、船は高く高く、雲より高い場所へと飛び立っていった。
(精霊蜻蛉 完)