鬼と華

□精霊蜻蛉 第三幕
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薫が等持院へ行った日、午後から空が雨模様に変わった。そのため彼女は旅籠へ引き返し、そこでまた一泊することにした。
そして考えた末、晋助のいる嵐山へは戻らず、元々隠伏していた赤鬼寺に行き、万斉やまた子が江戸から帰るのを待つことにした。赤鬼寺に居れば、いつかは晋助もそこに戻ってくる。それに彼が一人で今後のことを考えたいのなら、これで十分な時間を与えてやれると思ったからだ。



翌朝、旅仕度をした薫は旅籠を発ち、三条大橋までやって来た。鴨川にかかる三条大橋は、東国への出発点であるとともに、東国からの玄関口として交通の要衝であった。
東海道が整備された際には、江戸の日本橋を起点とし、京の三条大橋が終着となっている。晋助と薫が江戸から京へ逃げてきた時も、三条大橋を通過して京に入った。旅の終わりを実感し、京での新たな暮らしが始まるのだと、微かな期待を抱いてこの橋を渡ったのをよく覚えている。初夏に旅をしてきたふたりの姿が、今も鮮明に橋の上に見えるようであった。


橋を進むと、橋の中ほどに人だかりが出来ている。薫の脚は自然に止まり、ざわわっと嫌な気配に包まれた。三条大橋のある付近は三条河原と呼ばれ、処刑場として使われる場所でもあるのだ。
江戸の河原、粛清された鬼兵隊の仲間の無惨な姿が脳裡を掠める。彼女は遠巻きに河原を眺めていた商人風情の男性を呼び止めて、尋ねた。

「あの……罪人の処刑でしょうか」
「いやいや、誰かのイタズラさ。しかし、随分な悪さをする奴がいたもんだよ」

男は河原を指差して、恐ろしそうに肩をすくめた。

「怖や、怖や。足利将軍様の首を盗ってくるなんざぁ、子孫代々までバチが当たるよ」
「あっ……!」

薫は思わず声をあげた。
河原に転がるのは、木像の首。足利の菩提寺である等持院、霊光殿にあった室町幕府将軍足利尊氏、二代義詮、三代義満の首が、位牌とともに河原に晒されていた。まさに彼女が昨日見たばかりのものだ。

(誰がこんな真似を!)

思いを巡らせた薫には、ひとつだけ心当たりがある。
足利将軍の首を処刑場に晒すなど、暗に倒幕を意味することに他ならない。幕府への強い挑発であり、侮辱だ。このような芸当を思い付く変わり者は、恐らく京に二人とはいないだろう。

(まさか、これもあの子が……)

奇しくも、等持院では武市変平太の配下の少年に出逢った。霊光殿から首を盗み出す、その算段のために来ていたのではあるまいか。
そんな憶測をしていた時、橋の隅に見覚えのある後ろ姿があった。だが彼一人ではない。汚れた着物姿のふたりの幼子が、彼の近くに寄り添うように立っている。何をしているのかと思えば、彼は自らの握り飯を幼子に与えているのだった。


薫が近付くと、彼は背を向けたまま言った。

「悲しいね。家も、食べるものもなくて、こんな寒い風の下で生きなきゃならないなんて」

薫の姿に気付いて、幼子らは急いで米を頬張り走り去っていく。身なりからして孤児だろう。この時代、過激な攘夷活動などに傾倒していた親世代が粛清され、親と家を亡くした孤児が町を浮浪するのは、珍しいことではなかった。

幼子の後ろ姿を目で追いつつ立ち上がったのは、土佐勤皇党の間崎拓馬だ。昨今の暗殺事件の刺客が悠々と処刑場の付近にいるなど、その神経は薫には理解できないが、幼子に向ける彼の目線は慈悲に満ちていた。

人を思いやる心のある少年なのに。薫は感じたままの矛盾を、拓馬にぶつけた。

「あなたが手にかけた役人の家族も、もしかしたら、あの子達のようになるかもしれないのですよ」
「…………」

拓馬は、唇を結んで何も答えない。
いくら大人びていると言っても、育ち盛りの十五歳の少年だ。自分だって腹を空かせているだろうに、握り飯を通りすがりの幼子に与えるなんて。それがなぜ、武市の命令だと言って、平気で人を殺めるのだろう。


怒りに似た感情がせり上がってくるのを抑えられない。薫は拓馬の腕を掴むと、ぐいぐいと橋の外へと連れ出した。
人目につかない路地裏まで彼を連れていき、彼女は思いの丈を吐き出した。

「人を斬る……命を奪うことの意味を、考えたことがありますか。人生を絶ちきることで、どれだけの人が涙するか、想像したことがありますか。
悪行に荷担した人であっても、家族や恋人がいるのですよ」

拓馬は俯きがちに、薫から目を反らしている。
彼女は確信を持って尋ねた。

「河原にあった足利将軍の首も、あなたの仕業でしょう?」
「武市さんに言われたんだよ!」

突然、拓馬が大声を出した。薫は驚いてひゅっと息を呑む。
まるで駄々をこねる子どものような言い方で、拓馬は続けた。

「幕府への挑発になるような事をしてこいって言われたんだ。幕府高官が雁首揃えて上洛するような騒ぎを、ひき起こしてこいって」
「……そんな」

武市は、挑発に激怒した幕府が取締や捜査を強化するため、役人を大量に上洛させると読んでいたのだ。拓馬に餌をばら蒔かせるような真似をさせ、暗殺の標的である幕府関係者を釣り上げるのが目的だったのだ。

“大獄の復讐のため”。
武市はそんな大義名分で、拓馬をはじめとした配下の者を刺客として差し向けている。武市に忠誠を誓ったからこそ、彼らは殺しでも盗みでもやるのだろう。だがそこに、拓馬達の意思はない。


薫は拓馬の肩を強く掴むと、正面から彼の目を覗きこんだ。

「こんなこと……続けていてはだめ。信念もないのに、救いたいものもないのに、こんな風に手を汚してはだめ」

拓馬の目が揺らぐ。賢くて優しい少年に、薫の言うことが分からない筈がなかった。
彼は迷い、何か喋ろうと口を開く。だがそれよりも早く、老婆の甲高い声が路地裏に響いた。

「あの少年ですっ!!」

薫と拓馬は、吃驚して声の方を向く。すると大通りに面した道から、老婆が拓馬に向かって指を突きつけていた。

「間違いありません!!明け方に、首を捨てているのを見ました!」

老婆の背後から、ふたりの役人が姿を現した。薫と拓馬は直感した。拓馬が三条河原に首を捨てているところを、偶然にもこの老婆が見ていたのだ。老婆が連れてきたのは奉行所の見廻りだろう。このままでは、二人とも捕まってしまう。


逃げるべきか。薫がそう思った時、物凄い力でガッと背中を捕まれた。同時に、首元にヒヤリと刃物が当たる感触がする。

「近寄らないで!この女(ひと)も、河原の晒しものになるよ!」

拓馬が大声を張り上げた。彼は薫の喉元に小太刀の切っ先を突き立て、役人を威嚇しているのだ。
そのまま、じりじりと間合いをとったまま後退する。役人は拓馬の出方を窺いながら、慎重に近付いていった。


やがて、反対側の通りへの出口に近付いた時、拓馬の唇が動いた。

(逃、げ、て)

それは無音の、薫への合図だった。
ぱっと手を離したかと思うと、拓馬は渾身の力で薫を突き飛ばした。尻餅をついて道に転がる彼女を残して、風のような速さで走り去っていく。

「怪我はありませんか!」

ひとりの役人が薫に駆け寄り、もうひとりが拓馬を追い始めた。
拓馬は薫を無事に逃がすため、彼女と無関係な振りを装って、わざと危害を加えるような芝居をうったのだ。


拓馬が無事に逃げ切れることを祈りながら、薫は彼が消えた方を見つめる。拓馬が何を伝えようとしていたのか、その言葉を聴けなかったことが、彼女の心に引っ掛かっていた。



(第三章 完)
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