鬼と華

□精霊蜻蛉 第四幕
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三条大橋で奉行所の見廻りに追われた、土佐勤皇党の若き刺客、間崎拓馬。彼が奉行所に捕縛されたという報せを、薫は京都市中の立て札で知った。

足利三代の木像を盗み出して晒すという、幕府への侮辱行為を行った張本人である。どんな御沙汰が下るのかと、大衆は注目して立て札に押し掛けていた。立て札は余罪がないか情報を募る内容であったが、詮議があって処罰が下るまで、そう時間はない。

薫は拓馬の安否が気になって、赤鬼寺には戻らず京都市中の旅籠を転々としていたが、捕縛の件はいち早く武市に報せなければと思った。嵐山まで急いで篭を走らせて、土佐勤皇党の隠れ家で武市に面会を願い出た。


隠れ家の一室で書状に筆を走らせていた武市は、薫が息巻いて拓馬を救うよう説得したものの、さして動ずる様子もなかった。
彼の返答は、実に簡素なものだった。

「……そうですか」

薫は、開いた口が塞がらなかった。仲間が命の危機に瀕しているというのに、それが大将のとる態度だとは思えなかった。

「あなたは……心が痛まないのですか」

彼女は噛みつくような鋭い目で、武市を睨みつけた。

「あなたより若い方々が暗殺に手を染めているのを、何とも思わないのですか。捕まれば当然に裁かれて、命を落とすことになるのに。あなたに忠誠を誓って刺客となった仲間が、今、牢に繋がれているのですよ」
「覚悟の上です」

武市はあっさりと答えた。

「我々は合理的な組織です。剣術に長けている者は刺客となる。潜入能力に長けている者は諜報部員として潜伏する……たまたま、私が策略を謀ることに長けていただけのこと。各々の身に降りかかる危険は、各々承知しています」
「だからと言って……」
「あなたは、間崎君がなぜ我々の仲間になったか知っていますか」

硯に筆を置いて、武市は話題を変えた。

「寛政の大獄……攘夷派の大量処刑で、彼は不幸にも両親を亡くしました。幕府によってではなく、藩の上層部の決断です」
「藩の決断、ですって?」
「大獄の際、国許での押込めや追放など、幕府から下された御沙汰が死罪でなかった者は大勢いました。主に下士や郷士といった下級武士達です。
ですが当時の土佐藩の上士達は、“国許に返された罪人を藩でどう処分するのか、幕府は藩を試そうとしているのだ”と理由をつけて、かつての忠臣や部下まで、問答無用で死罪に処しました」

武市が明かした土佐藩の歴史に、薫は言葉を失った。

「不遇なことです。たまたま下級武士の家系にあったがために、将来を奪われるというのは。間崎君はその不条理さを、よく分かっている。
ですから私は、郷士や下士中心に土佐勤皇党を結成したのです。復讐の為、京に隠伏して天誅を巻き起こす。この大義の為なら……犠牲が出るのは致し方ない」

刺客になった以上、捕まれば裁かれて処刑される。それを覚悟の上で拓馬は刺客となり、手を血で染めたのだろう。
武市の言うことが人道に外れているわけでもなし、大将としての必要な気構えだとしても、薫は納得がいかなかった。

「部下を死にに行かせるような役割を命じるのが、大将の役目ではないでしょう」

俯きがちに視線を落として、彼女は言った。

「どんな事情があっても、大義があっても構いません。でも、自分についてきた人のことを、護ろうとするのが……大将の姿ではないのですか」

ほんの、まだ十五歳の若い拓馬が刺客として暗躍したのは、武市に従っているからだ。それなのに、なぜ容易に切り捨てるようなことが言えるのか。
悔しさが、沸々と薫の中にわき起こる。ぎゅっと唇を噛み締めた時、武市が重い口を開くように言った。

「大義の為に仕方ない……というのは、語弊がありましたね。勿論、間崎君が大切な部下であることには違いありません。京都市中へは使者をやって、彼がどこに収容されているのか調べさせるつもりですが……」

武市は一呼吸置いて、大きな黒々とした瞳でじっと薫を見た。

「牢獄に繋がれた部下を見つけたとしても、私は牢を破って助け出すようなことはできません。もし私自身が捕まってしまえば、他の多くの仲間が危険に曝されることになり、路頭に迷うでしょう。
私はいつも、土佐勤皇党の盟主としての決断を迫られます。一人のために大勢を失う危険があるなら、私は迷わず、一人を捨てることを選びます」

その感情のない瞳は、深い闇を宿しているようで、薫は背筋がうすら寒くなるのを感じた。
大将は、時に残酷な判断を迫られる時がある。武市変平太という大将は、切り捨てることに迷いのない、冷静で揺るがない一面を持っているのだ。


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