鬼と華
□君に捧ぐ百代草 第一幕
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江戸の料亭、八百善。将軍徳川家からも贔屓にされ、天人の要人との饗応の折りにも料理を提供するなど、江戸中にその名を轟かせる高級料亭である。
ある晩、その八百善を貸し切り、奥の屋敷において幕臣十数名による会談が行われていた。
「それでは、茶斗蘭星との提携は更に強化するという方針で。異存はござらぬな」
一人の幕府高官が言い、他の幕臣達からは異議なしの声が次々に上がる。
天人との外交をはじめとした幕府の重要案件については、こうして町の一角などで機密裡に会談を行うことは珍しくなかった。
半時程経過し、議題の話し合いが一段落した頃であった。
「それでは、そろそろ宴とまいりますかな」
幕臣の一人がそう言い、パンパンと手を叩き女将を呼ぶ。この日、会談の後には芸子を呼び、歌と踊りで宴に興ずることとしていた。
幕臣達はすっかり気の緩んだ様子で、互いに酒の酌などしていたが、やがて襖が音もなくスッと開いた。座敷に現れた人物にいっせいに視線が集まり、和気藹々とした空気は、一瞬にして凍りついた。
座敷に入ってきたのは、料亭の女将でも芸子でもなかった。黒茶色の着物を纏った浪士が現れたのだ。
「……何じゃ、貴様は」
幕臣の一人が警戒した声で言う。
その浪士、左目に包帯を巻き、髪は黒く艶があり、頬の半ばまでを覆っている。右手には、抜き身の刀が握られていた。
彼はぐるりと座敷を見渡し、一人の幕臣に目をつけると、よく通る低い声で言った。
「幕府勘定奉行、小栗忠明。かつて寛政の大獄にて、各地の攘夷派の活動家の捕縛を主導したそうだな」
「…………何を、今更」
名指しされた幕臣、小栗は動揺して立ち上がる。何故ここに侵入して来る者があるのか、彼は状況を飲み込めずにいた。なぜなら料亭の外には、攘夷派の浪士等の襲撃を警戒して、数多の護衛を配置したはずだからだ 。
浪士の手にした刀を見て、幕臣達ははっと息を飲む。刃には、べっとりと鮮血がはりついて、行灯の明かりを映して妖しく光っていた。
小栗は、声色を強めて尋ねた。
「貴様、何者だ!名を名乗れ!」
「アンタらに名乗る名などねェよ」
隻眼の浪士はそう言うと、刀を正面に構えて、血に濡れた刃の切っ先を幕臣達に突き付けた。
「強いて言うなら、地獄への道先案内人とでもしておこうか」
「何を世迷い言を……成敗してくれる!!」
幕臣達は小栗に倣って立ち上がり、腰の刀を抜いた。
十数人が円陣となって浪士を囲むも、彼は動じる素振りもない。そして御膳に盛られた豪奢な料理の品々を見下ろし、ふっと冷笑した。
「そこの肴の代わりに、テメーら全員の首を飾ってやる」
そして刀を構え、ぐっと膝を沈めたかと思うと、幕臣達の頭上へと跳躍した。幕臣達が天井を仰ぎ、たじろいだその一瞬。浪士は素早く彼らの背後をとり、刀を横一線に薙ぎ払った。
「ぐああっ!!」
血飛沫を吹き上げながら、二人の幕臣が前のめりに倒れる。座敷に飾られた屏風にまで鮮血が飛び、生けた花が深紅の薔薇のように真っ赤に染まる。
隻眼の浪士は飛沫のついた顔を手の甲で拭い、歯を剥いて笑った。
「せいぜい地獄で這いずり回るがいい。俺の憎しみが尽きるまでな」
〜 君に捧ぐ百代草 〜
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