鬼と華

□君に捧ぐ百代草 第一幕
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かつて攘夷戦争時代に、晋助が率いていた義勇軍があった。名は鬼兵隊、だが今とは違い、刀を手に天人と戦う、果敢な猛者達の集まりだった。

その中に、剣はからっきしだが機械には滅法強い″、そんな風に晋助が評価した男がいた。戦をしに来たのではない、親子喧嘩をしに来たのだと、いつも江戸に残してきた父親の話をしていた男がいた。
名は平賀三郎。江戸一番の発明家、平賀源外のひとり息子である。

行蔵から聞いた発明家の名で、薫は過去の記憶が音を立てて蘇るような錯覚を覚えた。鬼兵隊に加えてほしいと、晋助に直談判しに戦場へやってきた三郎の姿。そして寝食を忘れて、得意のカラクリに没頭する姿。
彼女はよく、三郎の手によって鉄屑が打たれ、カラクリが造られていく様子を眺めていた。その間に彼は、自身に負けず劣らずカラクリ好きな父親のことや、江戸の町の様子を話して聞かせた。江戸の庶民の間で菊の花を栽培することが流行っていて、民家の軒下には菊の花が咲き並んでいるのだと、彼は語った。黄色、薄紫、薄紅色。薫は色とりどりの、大小様々の菊の花が咲く様子を思い浮かべたものだ。彼女にとって江戸の町というのは、三郎が語った情景から始まった。

それらは、幾年かの時が流れた今も変わらないだろうか。もしかしたら江戸の景色の中に、油まみれの顔で笑う、懐かしい三郎の笑顔を思い描けるだろうか。そんな風に考えると、薫の気持ちは知らず知らずのうちに江戸へと向いていた。

江戸という場所には、鬼兵隊の粛清が行われた忌まわしい記憶が残っている。それに、終戦後に晋助と潜伏していた時は、幕吏の追跡を恐れる日々に一時たりとも気が休まらなかった。そんな思いでばかりの、近付くことすら抵抗のあった江戸が、薫の中で仲間の面影を求める場所へと変わりつつあった。



◇◇◇



ある晩、晋助の寝屋で、薫が三郎のことを考えていた時だった。

「考え事か?」

物思いに耽ってばかりの薫を訝しんで、晋助が尋ねてきた。

「近頃はぼんやりとしていることが増えたな。何を思っている?」
「……ねえ、晋助様」

薫は思いきって、晋助に切り出した。

「晋助様や万斉様は、昼間は人目があって堂々と町を歩けないでしょう。私が代わりに目となって、町の様子を探ってきましょうか」

不自然でなく、薫が外出するにはどうすればいいか。鬼兵隊の活動に支障が無いよう、警察組織などの動向を探る。そう言えば、外出を許してもらう理由になると考えたのだ。
彼女は晋助の手を握り、懇願した。

「いいでしょう、晋助様」
「そんな風に頼まれちゃあ、否とは言えねェが……」

笑い混じりに言ってから、晋助はパシッと薫の手を掴んだ。

「俺とお前にとって、江戸は一度終わりを迎えたような場所だ。絶望の淵を味わったあの記憶は、どうしたって忘れられる筈がねェ」

晋助の目は、笑ってなどいなかった。鋭い光の宿った瞳で、じっと薫を見つめている。

「江戸の町に近づくことすら厭がっていたお前が、どういった心境の変化だ?あの、行蔵とかいう若造に何か吹き込まれたのか」
「………」

薫は唇を噛んだ。晋助とは、もう何年もの付き合いになる。彼の前では、自分に都合のいい誤魔化しなどきかない。
彼女は正直に話すことにした。

「三郎さんを、覚えていますか」
「三郎……?」

晋助の眉がピクリと動く。

「行蔵さんから、三郎さんのお父上がご存命であることを聞いたのです。今も江戸一番の発明家として、カラクリで細々と生計を立てているようだと」
「今更、三郎の親父に逢ってどうする。息子の死に様でも語り合うのか?」

晋助が冷たく言うので、薫は俯いて首を横に振った。

「昔、よく三郎さんから江戸のお話を聞きました。菊の花が咲く時期には、軒下に菊が咲き乱れて、とてもきれいだと。今、ちょうど菊の花が咲く季節です。江戸の町を歩いても、苦しいだけかもしれませんが……私は、三郎さんが愛したお父上や江戸の街並みが今も変わらないということを、確かめてみたいのです」

薫は顔をあげて、悲痛な思いで晋助を見上げた。

「亡くなった三郎さんの為に、私達はもう何もできません。でも……せめて、三郎さんの大切なものをこの目で見ることが、ほんの少しの供養になるような気がするのです。
……そんな風に思うのは、間違っているでしょうか」

三郎が鬼兵隊に加わったのは、攘夷戦争の終わりの頃だ。それゆえ、晋助と薫が三郎と共に過ごした時間は長くはない。
だが間違いなく、三郎は鬼兵隊の仲間の一人であり、晋助を総督と呼び忠義を誓っていた。三郎を仲間だと思っているのなら、薫の思いはきっと晋助に伝わる。彼女はそう信じていた。


暫くして、晋助は低い声で呟いた。

「……お前一人では行かせられねェ」

それから、彼はやけに爛々と光る眼で薫を見た。

「俺も行く」



(第一幕 完)
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