鬼と華

□君に捧ぐ百代草 第二幕
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源外庵を出てから考え事をしながら歩いていた薫は、前方に橋がかかる道を進んでいた。
ふと、足が自然に止まる。見覚えのある橋の欄干が目に飛び込んできたからた。

そこはかつて、粛清された鬼兵隊の首が晒された場所であった。

(…………!!)

ドクン、と心臓がいやな音をたてて、どっと背中に冷や汗が滲んだ。薫は胸の辺りを押さえて、慌てて体の向きを反転した。絶対に近付くまい、そう注意して歩いていたのに、どうして来てしまったのだろう。

速足で元来た道を引き返す途中、彼女の肩を、そっと引き留める者があった。

「失礼、そこのご婦人」

低い声がして薫が振り向くと、虚無僧の風貌をした男が立っていた。

「道を尋ねたいのだが」

男の頭から顔の半ばまでが編み笠で覆われ、顔立ちは殆ど分からない。
誰かと言葉を交わしたことで、薫に少しの冷静さが戻ってきた。彼女は乱れた髪を片手で押さえて、軽く頭を下げた。

「すみませんが、この辺りはよく知らないので……」

そう言って、薫が視線だけ上向きにした時だった。
虚無僧の男は、編み笠を上半分だけ上げてみせた。

「どうやら、幻ではないようだな」
「………………」

薫は言葉を失った。
本当に驚いた時は、声など出ない。彼女はそう思いながら、編み笠の陰にある懐かしい笑顔を見つめる。

その男の名、かつて狂乱の貴公子の異名をもって多くの攘夷志士を率いて戦った、桂小太郎。
共に攘夷戦争を戦い抜いた戦友が、そこに立っていた。



◇◇◇



攘夷戦争時代、薫は長州から晋助を頼りに戦地へ赴いたが、そこで出逢ったのが松下村塾からの晋助の旧友、銀時や小太郎であった。
旧友というより悪友と言った方が正しいかもしれない。思想も性格もバラバラな彼らはいがみ合うことも多かったが、戦ではお互いの背中を預けて戦い、時に護り護られた存在だ。
終戦後の彼らの消息はずっと気にかけてはいたが、まさか江戸の町で、こんな形で偶然再会するなんて。


「あれから……廃刀令が敷かれ攘夷派の弾圧が鎮静化してから、俺は密かに江戸に潜伏して攘夷活動を続けいている」

人目を憚るような路地裏で、小太郎はこれまでのことを手短に話した。

「高杉の義勇軍の悲惨な末路は、俺も噂で訊いていた。……さぞ、辛かったろう」

偶然にも処刑場の近くで再会を果たしたのは、何かの怨念がはたらいたと言う他ない。
だが、懐かしい友との再会は、薫の胸に何とも言えない暖かさを灯した。小太郎の穏やかな低い声や、真っ直ぐに澄んだ眼差しは昔と全く変わっていなかった。終戦から今までの数々の出来事、一体どのように話そうか。

「晋助様と私は京に潜んでおりましたが、今は江戸に。船には、“今の”鬼兵隊の仲間がおります」
「幕府の追跡を逃れて京に潜伏していたとは、人伝には聞いていた。その間にもずっと、御主はあやつの傍にいたのだな」

小太郎は目を細めて、声色を低くして言った。

「高杉が江戸の攘夷浪士や警察筋から何と呼ばれているか、知ってるか?」
「えっ?」
「攘夷志士のなかで最も過激で最も危険な男……かつての鬼兵隊総督、戦術家として名を馳せた男が、今は過激派攘夷浪士の筆頭とも言える存在だ。その由縁、全ては奴の所業にある」
「……どういうことですか?」
「先般、江戸の料亭で会談をしていた幕吏十数名が暗殺される事件があったのを知らんか。幕府は鋭意捜査中だが、俺は高杉の仕業と見ている。あんな芸当をやらかすなど、奴の他に思い当たらん」
「…………」

薫が知らなかったことを小太郎の口から聞かされ、彼女は口をつぐんで俯いた。

これまでだって、彼は何人もの幕吏や幕兵をその手で葬ってきた。それは薫を護るためであったり、蜊御門の変でまた子を逃がすためであったり、何も全てが復讐のためではない。だが、晋助の行いの源にあるのは、幕府への憎しみだ。

晋助と修羅の道を行く。一度はそう決めた薫だが、晋助を人の道に戻すこともなお、自分にしか出来ないのではないか。晋助の狂気じみた様子を目の当たりにするたび、彼女はそんな風に思っていた。

「薫殿が優しい心を持っていることを、俺はよく知っている。高杉が抱く憎しみを己のものとして、分かち合おうと、歩み寄ろうとしてるのをずっと見ていた。……攘夷戦争の頃からな」

と、小太郎が言い、薫はすがるような思いで彼を見上げた。

「高杉は、もはや攘夷の思想とは関係のないところで、ただ悪戯に破壊を望んでいるようにしか思えぬ。憎しみは新たな憎しみを呼び、また誰かが悲しむだけだ。あやつの所業を間近で見てきた御主が、心を痛めない筈がない。俺はずっと、破壊によらずとも、何か別の方法があるのではないかと……」

小太郎は昔から仲間思いで、友を大切にする男だ。
彼が晋助と薫の救いになるなら、これほど心強いと思うことはない。だが、旧知の仲とは言え、小太郎との間には大きな隔たりがある。
薫は言った。

「あの日……江戸の町で鬼兵隊の粛清を知った時から、晋助様と私の世界は変わってしまいました。大切なものを理不尽に奪われるなら、己の望む世界は己の手で……。そう晋助様が誓われた時から、私は晋助様と同じ道を行くことを決めたのです。今、晋助様と行動を共にしている鬼兵隊の面々も同じです」

薫は、万斉やまた子、武市を思い浮かべながら続けた。

「それぞれの闇を抱えながら、晋助様の目指す世界に光を見出だしています。それは桂殿の描く世の中とは違うかもしれませんが、私達の進む道はひとつに決まっています」
「……そうか」

小太郎は淋しげな目をして微笑んだ。
かつては共に戦った攘夷志士、だが今は、晋助と小太郎が手を組むには、既に大分離れた場所にいるのかもしれない。

薫がそう考えていた時だった。

「時に、薫殿」

小太郎は声を落として、

「後ろの男が見えるか?」

と、編み笠を少し縦に動かした。
すると小太郎の背後に続く路地裏に、こちらを見張るように立っている浪士が見えた。

「あの男、先程から彼処にいる。どうやらこれ以上、長話はしない方が良さそうだ」

小太郎は一瞬だけ微笑むと、静かに踵を返した。

「逢えて良かった、薫殿」

そう言い残して、彼は風のような速さで去っていった。既に浪士の姿はなく、さしずめ変装して小太郎を追っていた警察だろう。幕府と攻防を続けながら昔と変わらず攘夷活動に奮闘する小太郎の姿に、懐かしさと同時に、どうしようもない切なさが込み上げてくる。

あの頃は、晋助の側に小太郎がいた。銀時や辰馬もいた。憎まれ口を叩き合い喧嘩をしながらも、彼らだけの深い絆で結ばれていた。銀時や小太郎とは、村塾の時代から学問と剣を共にし、志を同じくして攘夷戦争を生き抜いてきた。
彼らと過ごした時代は薫にとっても特別だった。だが、今は既に遠いもの。
懐かしく恋しく思っても、もう二度と取り戻せない。


源外にとって、三郎との時間も同じようなものだろうか。そう考えると、あの作業工場でカラクリに奮闘する源外が、孤独を抱えながら独りきり、今もなお戦っているような気がした。



(第二章 完)
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