鬼と華

□君に捧ぐ百代草 終幕
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その晩、江戸に程近い港に停泊していた鬼兵隊の船艦は、出港に向けて準備を進めていた。江戸を後にし、宇宙(そら)へ向かうためである。船員達が船内の点検に行き来し、薫やまた子は、操舵室で出立の時を待っている。


薄闇に包まれた甲板には、晋助と万斉の姿があった。
遠くの方に、ぼんやりとターミナルを望みながら、万斉が戯れに三味線を奏でている。少し離れた場所で紫煙をくゆらせる晋助に向かって、彼は皮肉めいた調子で言った。

「……しかし、老いたカラクリ技師に一騒動起こさせるなんぞ、御主も大概趣味の悪い男でござるな」

晋助は低く笑って、仄白い煙を細く吐き出した。

「結局、捨てきれなかったのさ。あの爺さんの中には、息子との想い出が生き生きとしたまま残ってるんだろう。復讐を遂げようとしたものの、親であることに背くような真似は出来なかった。……櫓に砲筒を向けるまでは出来ても、殺すことまでは、てめェ自身でも許せなかったのさ」
「初めから分かっていたような言い方でござるな。あのような手緩いやり方で、将軍の首をとれるなど思ってはいないのでござろう」
「まァ、いくら無能な幕府の連中とは言え、まさか爺さんが単独で襲撃を企てたとは思うまいよ。幕府に恨みを、憎しみを……今もなお、国にも天人にも、時代にすら屈しない連中がいる……そう思わせられりゃあ、充分さ」

晋助はカンと音をたてて船の淵から灰を落とすと、暗い海を見下ろした。

「幕府転覆を目論むのは、何も俺達攘夷志士達だけじゃねェ。天人の支配を享受するような現将軍のやり方に不満を持ち、奴を引きずり下ろそうとしている連中、そいつらの息がかかった組織……。デケェ喧嘩を仕掛けるのに必要な駒は、案外易く手に入るかもしれねェよ」
「晋助……御主、まさか」

万斉は撥(バチ)を握る手を止めて、晋助を見上げた。

「……一橋派を抱き込むつもりではあるまいな」

一橋派とは、現将軍茂々を将軍の座から降ろし、新たに一橋家の子息を将軍に押し上げようとする幕府の派閥のことである。そしてその息のかかった組織として、警察組織の見廻組がある。
晋助は懐に煙管をしまって、薄笑いを浮かべて万斉を見た。

「万斉、お前は昔俺に言ったな。“面白い法螺を吹く男だ”と。俺ァ出来ねェ法螺は吹かねーよ」

源外の憎しみを利用した一騒動は、機械兵と警察との衝突に留まった。しかし、そこに幕府や反幕派の組織が何を思うか、晋助の狙いはそこにあった。


船内から燃料に引火する音がして、船はいよいよ出航に向けた体制に入る。ザアザアと波が激しくなり、やがて船はゆっくりと海面を離れた。
上空へ向かう煽り風に吹かれて、万斉は三味線を片手に立ち上がった。晋助と並んで甲板を後にしながら、彼は問うた。

「晋助、世界を壊し己の手で作り替えるなど、全てを棄てる覚悟でもなければ出来ぬ芸当でござる。あの老いたカラクリ技師は、息子の復讐を諦めてでも、父親であらんとしていた。御主には信念を曲げてでも、護り抜きたいものは無いのか」
「俺にゃあ、胸張って護るモンなんざァねェよ」
「ならば野望を遂げるためなら、己の人生も、仲間も……薫でさえも、手離すか?」
「…………愚かなことを訊くんじゃねェよ、万斉」

晋助は歩みを止めて万斉を睨みつけた。
そして唇の端を歪めて、不敵な笑みを浮かべながら言った。

「何の為に鬼兵隊があると思っている。新しい世界の地を踏むのは、“俺達”だ」


二人の男の姿は、そのまま船の中へと消えた。
船が発った後の海には、荒波だけが残っている。海と同じ暗い色をした空へと、鬼兵隊の船は野望を乗せて飛び立っていった。



(君に捧ぐ百代草 完)
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