鬼と華

□寒椿の追憶 第一幕
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江戸は渋谷、若者の集う繁華街。

「あ、寺門通ッス!」

ビルに掲げられた巨大な看板を見上げて、町娘に扮したまた子が呟いた。
彼女の隣では、

「寺門……って、どなたですか?お知り合い?」

と、編み笠を被った薫が、首を傾げている。

「知らないッスか?お通ちゃんと言えば、今江戸で一番人気の歌手ッスよ。万斉先輩があの娘をプロデュースするようになってから、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気が上がってるッス!」
「万斉様は剣に音楽に、本当に多才な方ね」
「上京した時、音楽業界の人に三味線の腕を買われてから、今や素顔を明かさない音楽プロデューサーが表の顔ッスからね。お通ちゃんのプロデュースで、船一艘余裕で買えるくらいの契約金、貰ってるって話ッスよ」

彼女達は周りを歩く若者達と何も変わらない様子で、並び歩きながら他愛ない話をしていた。


時は、師走の半ば。僧侶がお経をあげるために方々を馳せることが師走の由来と言われてるが、昔は人々の暮らしも慌ただしいものだった。師走も半ばにさしかかると、煤払いと言って、正月を迎えるために家の内外の煤や塵を払って清め、年神様を迎える準備をする。冬至には風邪をひかぬよう柚子湯に入り、魔除けになるとされたかぼちゃや小豆粥を食べる風習があった。年越しの準備に追われながら、健やかに過ごせるようにと願いをこめて、人々は暮らしていたのである。
だが開国して、天人の文化文明が広まってからは、冬の暮らしは大きく様変わりした。クリスマスやバレンタイン、若者達が浮かれ騒ぐような行事は商機ともなり、あちこちの店先に電飾が飾られて、町中が華やかな空気に満ちていた。


その日、薫はまた子に頼まれて買い物に付き合っていた。また子の目当ては若い女性向けの洋品店で、下着を扱っている店だった。

店のディスプレイには、派手な下着を身に付けたマネキンが何体も飾られていた。赤や黒のはっきりとした色合い、光沢のある素材、刺繍やレースの縁取りがされたもの。見慣れない派手な下着にどぎまぎしながら、薫はまた子に言った。

「い……今の若い方々は、随分賑やかなものを着物の下に付けるのですね」
「年頃の女が、勝負下着のひとつやふたつ買い揃えておくのは常識ッスよ」
「えっ?勝負?」
「いざこの日のために、って気合い入れて着けるヤツのことッスよ」
「はあ、気合い……」
「私は勿論、晋助様の気を惹くためッス!見てくださいよ、この赤い下着なんか、私のためにあるようなモンッス!」

真っ赤なシルクに、黒い蝶の刺繍のされた下着をあてがって、また子が得意そうに言う。薫は赤くなりながら、慌ててまた子を諌めた。

「そっ、そんな格好をして晋助様の側を彷徨くなんて、絶対にダメですからね!」


それから、また子はいわゆる勝負下着とやらをいくつか購入して、ふたりは再び繁華街を歩いた。

休日の午後、道を塞ぐように沢山の人が行き来している。人混みの中、薫はふと、前方から歩いてくる白髪の浪人に目が止まった。若者達が笑顔を浮かべ軽快に歩く中で、彼の存在だけがどこか異質であった。
町の喧騒などいっさい聞こえないかのように、彼は人と人の間をすり抜けながらこちらへ向かってくる。

薫の胸に、急に不安が過った。また子は浪人の存在に気付いておらず、通り過ぎる店の看板を眺めては話しかけてくる。

(…………殺気)

薫は直感した。浪人から感じるのは、溢れんばかりの殺気だった。

(近くまで来ている。もう少しで、そこにーーー)

そう思った次の瞬間だった。
ふわっと甘い香りがしたと同時に、白髪の浪人は薫の隣をスッと通り過ぎた。

「ーーー!」
「わっ、何ッスか!?」

薫は、咄嗟にまた子の手をがっしと掴んでいた。脅えた表情の彼女に、また子は異変を感じて周囲を見渡す。
だが、既に時は遅かった。浪人の姿は何処にもなく、不思議な甘い香りだけが、彼女達を取り巻くように残っていた。


  〜寒椿の追憶〜



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