鬼と華

□寒椿の追憶 第二幕
1ページ/5ページ


年の暮れ、鬼兵隊の剣豪河上万斉が浪人に襲われ負傷した。江戸の旅籠で鬼兵隊の忘年会が行われた夜、隊の者が宴に興じている間の出来事であった。
自力で鬼兵隊の船艦に戻ってきた万斉は、甲板で倒れているところを晋助と薫に発見された。直ぐ様医者が呼ばれて手当てが施され、彼は医務室で眠っていた。

「……万斉先輩……」

彼の傍らでは、また子が不安を隠せない表情で棒立ちになっている。旅籠で騒いで飲み明かした朝だというのに、彼女の頭は冴えきっていた。


この一件を、晋助は極秘扱いとして、鬼兵隊の一部の者にしか知らせなかった。鬼兵隊の実質的二番手である万斉を襲った浪人がいるとなれば、血の気の多い隊士達が何をしでかすか分からない。暮れから年明けにかけて急遽隊士達に暇をだし、鬼兵隊の船には一部の者だけが残り、警備、護衛に必要最小限の人員を配置していた。

そのため、船の中はしんとして静かであった。医務室へ近付いてくる足音が響き、また子は憔悴した顔を上げる。

「また子さん」

盆に水を載せ、薫が医務室に入ってきた。

「そんな顔しないで。万斉様は大丈夫。刺された後にご自分で止血されたみたいで、傷が塞がればちゃんと動けるようになるわ」
「でも……信じられないッス。万斉先輩がやられたなんて……」

また子はショックを露にして、眠る万斉の横顔を見つめた。

それは薫とて、全く同じ気持ちであった。以前、晋助が薫に漏らしたことがある。万斉の抜刀術と本気でやりあうなら、命が二つ三つあっても足りないかもしれないと。おそらく、彼女だけに明かした本音だろう。晋助はそれだけ、万斉の腕を評価していた。初めて出逢った頃こそ居合いの腕を買っただけと言っていたものの、今や替えのきかない片腕として、万斉は晋助の隣に立っている。


暫くして、晋助と武市が万斉の様子を見に医務室に入ってきた。薫は控えめな声で、彼らに告げた。

「お医者様は、当面は船内で安静にと」
「そうか」

晋助は短い返事をして暫く万斉を見下ろしていた。やがて、低い声で言う。

「武市。下手人を探せ」
「はい」
「探しだして……俺の前に連れてこい」
「…………ハイ」

晋助の声には、肌が粟立つような凄みがあった。普段は表情ひとつ変えない武市が、珍しく脅えた目をして冷や汗を垂らしている。

その時、随分と弱々しい声が聴こえてきた。

「晋助……変な気を起こしてくれるなよ」

万斉が眼を閉じたまま、唇だけを動かして喋っていた。

「相手が盲目であることに、拙者が動揺しただけのこと……この程度の傷、何ともないでこざる……」
「怪我人は黙ってろ」

晋助は一喝すると、羽織を翻して医務室を出ていった。
万斉を静かに眠らせるため、薫も武市とまた子を促して医務室を出た。大股で歩き去る晋助の背中には、怒りが苛立ちが立ち上っているのが目に見えるようだ。仲間を傷つけられて黙ってはいられない、その気持ちは、薫にもわからなくはない。

また子が唇を噛んで、悔しそうに言う。

「あんなに怒ってる晋助様……私、初めて見たッス」
「…………」

薫は俯き、万斉が襲撃された晩のことを思い出していた。
宴の夜、万斉は一人で旅籠を脱け出した。あの時引き止めていればよかったと遅すぎる後悔をしつつ、彼女はまた子に尋ねた。

「また子さん、寒椿の下手人の話を覚えていますか」

寒椿の下手人とは、巷を騒がせている辻斬りのことである。相当な居合いの達人で、辻斬りの現場に一輪の椿が落ちていることからそう呼ばれていた。
渋谷の街で薫とまた子が見知らぬ浪人に寒椿の花を寄越され、それが例の辻斬りの犯人の仕業で襲撃の予告ではないかと、万斉はそう憶測していたのだ。

「私達が旅籠にいる間、万斉様は下手人の狙いをつけて、独りで捜しに行ったのです。きっと私達に危害が及ぶ前に、ご自身でかたをつけようとしたのでしょう」
「じゃあ、万斉様がやられたのは寒椿の下手人ってことッスか?」
「断言は出来ないけれど……」

また子はギュッと拳を握り締めて、俯いた。

「私達に花を寄越すような真似をして、万斉先輩が斬られたなんて……。
何者の仕業が、何が目的か知らないッスけど、絶対許せないッス」


.
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ