鬼と華

□寒椿の追憶 第二幕
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万斉の表の仕事は音楽プロデューサー、裏では人斬り万斉の異名を持つ抜刀術の使い手という、随分風変わりな男である。だが、晋助の右腕として鬼兵隊の活動を掌握しているのは万斉だ。彼らが今、鬼兵隊でどのようなことを画策しているのか薫は知らない。以前開国記念式典で源外を煽動したような、大それた動きは近頃見られないようだが、彼ら幹部達が水面下でどのような計画を進めているのか、彼女は気掛かりだった。


レコード会社に楽譜を届けてから、薫は二つ目の用事のため鍛冶屋へ向かった。
万斉に渡された地図を行くと、人通りの少ない静かな界隈に、刀鍛冶と書かれた看板が掲げられた古い屋敷があった。しんとしていて人の気配がなく、薫はおそるおそる、中へと声をかけた。

「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」

暫く待つと、奥から端正な顔立ちの若い娘が現れた。まさか鍛冶屋に女性がいると思わなかったので、薫は思わず小さく声を漏らす。

「あら……」
「兄者。客だ」

すると娘は奥の方へ戻り、一人の青年が現れた。兄者と呼ばれたその男は、村田鉄矢と名乗った。薫は自らも名乗ると、早速万斉の名を出した。

「河上万斉の使いで参りました。依頼のものを取ってくるようにと……」
「これはこれは!近頃便りがないので、如何されたかと案じておりましたが!」

耳がキンキンするような大声で話す男だった。

「ところで、貴殿は河上殿との関係は如何なものですかな!何分、疑り深い性分なもので!!」
「…………」

薫は言葉に詰まった。まさか鬼兵隊の名を出すわけにもいくまいし、そう思った時、万斉に言われた一言を思い出した。
“鍛冶屋に要件を訊かれたら、桜の件でと伝えてくれ”。

「ええ……では、“桜の件で”」
「相分かりました!確かにこのことは、万斉殿含め一部のものしか知らないはずですから!!」

それから、事は円滑に運んだ。薫は奥の囲炉裏の間に通され、鉄矢を待つ間に妹が茶を淹れてくれた。
年月の経過を感じる古ぼけた屋敷の外観、若い兄弟で営んでいる様子からして、幾代か続いている鍛冶屋なのだろう。だか、士族の身分が廃止された今、帯刀は一部の人間にしか認められず刀鍛冶を営むのは難儀なことだろう。薫は当たり障りのない程度の会話を、妹に投げかけた。

「刀鍛冶は、ご兄弟で?」
「…………」
「ご両親も刀鍛冶だったのですか?」
「…………」

妹は小さく正座をしたまま、何も答えない。まずいことを聞いたのかと薫が不安になると、妹は顔を上げて思い詰めたような表情をして、薫を見つめた。

「……あなたは話が分かってもらえそうだから……」

妹は小声で言った。人に聞かれてはいけない、だが言わなくてはいけない、そんな必死さが表情から伝わってきた。

「“桜の件”とあなたが言ったのは、あの剣のことだろう。それが何に使われるのか、知っているのか……?」
「えっ……?」

その時、ズンズンと足音がして兄の鉄矢が戻ってきて、いきなり妹を叱咤した。

「鉄子ォォ!!人と話す時は、ハキハキ喋れと言っただろーがァァ!」
「……兄者」

妹はびくりとして腰を浮かせた。妹の名は鉄子と言うらしい。
薫は鉄矢に笑顔を向けて、話をはぐらかした。

「大丈夫ですよ。妹さんに、鍛冶屋のことを教えていただいていたのです。この辺では、鍛冶屋はなかなか見かけないものだから」
「ホントすみませんね!こいつシャイなあんちきしょうなもので!!」

すると鉄矢は、後ろ手に持っていた書状を恭しく薫に手渡した。
てっきり研ぎに出していた刀を預かるものと思っていた薫は、肩透かしをくらったような気分になった。

「こちらを河上殿にお渡し下され!!」

書状は分厚く、厳重に封がされていた。彼は薫を鍛冶屋の外へと連れ出すと、頭を下げて彼女を見送った。

「移転の計画は順調ですかな!?私も楽しみにしております!河上殿に、くれぐれも宜しくお伝え下され!!」
「こちらこそ……色々とありがとうございました」

薫は笑顔で礼を言い、鍛冶屋を後にしたが、妹が何を言おうとしていたのかが気になった。それに、“移転の計画”と兄が言っていたのは何のことなのか。理由は封のされた書状の中にあるはずだが、きっと関係の無い者に見られてはまずいものなのだろう。


薫は元来た道を戻ろうと、懐に手を差し入れて地図を取り出した。すると、鍛冶屋の地図が描かれた紙の裏に、一枚薄紙が重なっているのに気付いた。

(もう一枚の地図……)

そこには、鍛冶屋への行き方とは別の地図が描かれていた。筆跡は万斉のものに間違いないようだ。随分と細かい地図なので、薫はどこを記したものか気になって凝視した。

「これは……」

鬼兵隊の船が停泊している港。年の瀬に宴が催された旅籠。その周辺を示した地図のようだ。そして所々、赤い印がつけてある。

(この印は何かしら……)

空を見上げると、まだ日没には時間がある。薫は興味本意で、鍛冶屋からそう遠くない印の場所を目指して歩き出した。万斉が鬼兵隊で何を画策しているのか、鍛冶屋から渡された書状と関係しているのか、探求心が彼女を動かしていた。


暫く歩くと、一つ目の印に辿り着いた。そこはこじんまりとした民家で、冬枯れの庭に椿の花が植えてあった。もう暫く行くと、二つ目の印も民家、垣根から椿の花が見えた。
三つ目、四つ目の印を歩いたところで、薫は確信した。四つ目の印も、溢れんばかりの真っ赤な椿。これは椿の咲く場所を記した地図なのだ。

何のために万斉がこんなものを作ったのかは、想像に難くない。辻斬りの場に椿の花を残していくという寒椿の浪人、彼の尻尾を掴まえるのに、椿の花が咲く場所をしらみ潰しに捜していたのだ。

(万斉様はきっと、この場所のどこかで浪人の襲撃に遭ったんだわ)

薫は地図を握り締めた。
おそらく万斉は、旅籠で宴のあった夜も椿の咲く場所に見当をつけ、浪人に遭遇しないかと目を光らせていたのだろう。万斉が思わぬ執着をいだいて浪人を追っていたことに驚く一方、薫は足許が固まるような思いがした。

寒椿の浪人に首を絞められ、殺されかけたことを、忘れた訳ではない。もしかしたら、この近くに浪人がいるかもしれない。そんな恐怖が、音をたてるようにして彼女を取り巻いた。

「…………」

薫はじっと不安を抑えて辺りを見渡した。江戸の都市部から少し離れると、賑やかな町の様子とは全く違って、昔ながらの古い長屋が連なる寂れた風景が広がっている。
垣根の向こうには、場違いなほど艶やかな椿の花。こんな場所まで一人で来てしまったことを、彼女は後悔し始めていた。

(戻らなくちゃ。日が落ちる前に……)

焦って踵を返した時だった。垣根の裏から、ひとりの老いた男性が現れた。
真っ白な髪に髭をたたえ、窪んだ瞳の奥に鈍い光が見えた。腰が曲がり、覚束ない足取りではあったが、彼は確かに薫の方へ歩いてきた。

「お前、どうしてここに……」

聞き取れない位のしゃがれ声で老爺は言い、膝からがっくりとその場に崩れ落ちた。突然の出来事に、薫は地図を握り締めたまま老爺の側に膝をつく。

具合が悪いのか、彼は俯いたまま肩をぶるぶると震わせていた。

「あの……人を呼びましょうか?」

怖々と薫が尋ねると、老爺は両手で顔を覆い苦しげな嗚咽を漏らし始めた。その節くれだった指の間から、ボロボロと滴が流れてくる。彼女はますます驚いて、思わず老爺の肩に手を置いた。細く骨ばって、何とも頼りない肩であった。

獣が唸るような嗚咽に混じって、老爺が何か呟いている。かろうじて聞き取れたその声は、ずっと、ひとつの言葉を繰り返していた。

「椿……椿…………」




(第二章 完)
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