鬼と華

□寒椿の追憶 第四幕
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寒椿の浪人、似蔵と二度目の再会を果たした薫は、日が暮れてからようやく鬼兵隊の船に戻った。

船着き場に停泊している船は、何故だか必要以上に明かりが灯されており、煌々と明るかった。それに普段は見張りを数人置くだけの甲板に、幾つもの人影が見える。
不思議に思いながら桟橋を渡り乗船すると、甲板にいたまた子が、いち早く薫の姿を見つけた。

「あっ!帰ってきた!!」

また子は大声を上げて、顔をくしゃくしゃに歪めた。そして、

「姐さんんんん!!今までどこ行ってたんスかァァァァァ!!」

と泣き出しそうな顔で薫に飛び付いてきた。甲板にいた船員達も、次々と彼女の周りに集まってくる。

薫が何事かと戸惑っていると、背後からぐいと強く肩を捕まれた。顔を上げると、鬼の形相をした万斉が目を血走らせて立っている。
薫、と彼は厳しい声で言った。

「お前……何故、寒椿の浪人の狙いが自分自身だと言わなかった?知っていれば遣いなど……船の外になど出さなかった!」
「……万斉様」

普段の穏やかな人柄からは考えられないほど、万斉は怒りに満ちていた。薫に恐怖を抱かせるには十分で、彼女は言葉を無くして立ち尽くしていたが、だんだんと状況が飲み込めてきた。

たかだか楽譜を届けて鍛冶屋に行くだけの用事にも関わらず、薫の帰りが遅い。皆が心配し、また子が堪らず橋田屋での出来事を話したのだろう。薫が似蔵の関心の的となり、首を絞められていたところを、確かにまた子は見ている。
橋田屋以外で似蔵と薫が接触する可能性は十分にあり、もしや彼女が危険な目に遭っているのではないか、船では大騒ぎになっていたのだ。

実際薫は、地図を頼りにした奇妙な巡り合わせで似蔵と出逢った。しかし危害を加えられるようなことはなく、彼女自身は整理のつかぬまま船へと戻った。
似蔵と遊女の哀しい過去。似蔵が寒椿の浪人と言われ、辻斬りを繰り返す理由。それらを知り、似蔵に対して抱いていたおぞましさや恐怖は彼女の中で薄れつつある。だがまた子や万斉にとっては、寒椿の浪人は依然として危険な人斬りと同じだ。


何と説明しようか言葉を探しているうちに、船の中から晋助が現れた。

「晋助様ァァ!!薫姐さんが、」

言いかけたまた子だが、ピタリと口をつぐんでその場に固まる。
原因は、晋助の眼だ。ぎらぎらと怒りに満ちていて、声をかけるのさえ憚られる。彼は大股で薫に向かい、短く命令した。

「薫、来い」
「…………」

薫の帰りが遅いことに、また橋田屋への潜入を知ったことに、晋助は誰よりも怒っていた。薫は助けを求めるように、怯えた表情でまた子や万斉の顔を見る。

また子は体は固まったまま、口許だけを動かして晋助を引き止めた。

「まっ……待ってください晋助様!悪いのは勝手をしでかして橋田屋に行った私と……あと一番悪いのは、姐さんをパシりに使った万斉先輩ッスよ!」
「オイまた子、その言い方はあんまりでござる」
「だから、姐さんだけを責めないで下さいッス!」

すると晋助は、ギンとした目でまた子と万斉を睨み付け、

「お前達の話は、後でじっくり訊かせてもらう」

そう言い残して、薫の腕を引っ張って船の中へ戻っていった。



◇◇◇



「座れ」

晋助の自室にて。彼は薫に短く言ってから、自分は奥の肘掛け椅子にドッと腰を下ろした。

部屋に入った途端、部屋中に満ちた煙が薫の目に滲みた。普段なら、晋助は甲板に出て煙草を楽しむのだが、愛用している煙管盆が灰で汚れていた。薫を待つ間、苛立ちと暇を持て余してずっと煙草を吸っていたのだろう。

彼は厳しい視線を彼女に向けながら、説教を始めた。

「お前を鎖に繋いで、何処にも行けねェように閉じ込めておこうなんざァ、俺ァそんなことまでは思っちゃいねェ」
「はい」
「だが、お前が俺の知らねェ所であんまりフラフラするのは気に喰わねェ。理由は、云わなくても分かるな」
「……はい」

身を案じているからこそ、その気持ちが怒りとなって現れるのだ。
知ってしまった以上、晋助には隠し事などしておけない。薫は正直に、打ち明けることにした。

「言い訳をするつもりはありません。今日江戸の外れで、万斉様に怪我を負わせた例の浪人に逢いました」
「……“寒椿の浪人”とやらにか」
「橋田屋では、彼はまた子さんの二挺銃を台無しにしましたし……私も危うく、絞殺されるところでした。でも……」

薫は言葉を選びながら、迷いながら続けた。

「人というのは、きっと、ひとつの側面だけでは分からないことが沢山あります。人斬りと呼ばれるような人にも過去があって……全てを懸けて、愛した人がいたのですから」

それから彼女は、老爺が語った人斬り似蔵の過去を晋助に訊かせた。
遊女との出逢い、病、別れ。語る間、晋助は相変わらず厳しい目をして薫を見つめていたが、彼がまとっていた怒りが徐々に鎮まっていくのは、目に見えるようであった。

薫の長い長い話が終わると、晋助は溜め息をひとつついて肘掛け椅子から腰を上げた。そして徐に薫に腕を伸ばすと、彼女の背中に腕を回しそっと抱き締めた。

(……晋助様、暖かい)

頭の後ろに唇が寄せられるのを感じながら、薫は静かに目を閉じた。抱き合う温もりが心地好く、晋助の匂いに包まれると、途端に安堵の気持ちでいっぱいになる。
船に戻れば晋助がいて、こうして当たり前のように触れ合うことができる。それが突然無くなってしまったとしたら、どんな思いがするのだろう。


やがて、晋助が小さな声で言った。

「髪が……」
「えっ?」

訊き返すと、彼は穏やかな眼差しで彼女を見つめ、優しく髪を撫でた。

「お前の髪から、外の風の匂いがする。それにひどく冷たい」

夜風の荒ぶ中、埃っぽい道を歩いて帰ってきたせいだ。薫が恥ずかしそうに俯いて髪を触ると、晋助は笑みを溢して彼女から離れた。

「湯を浴びて暖まったら、今夜は早く休め」

彼は再び椅子に掛けて、煙管に火を灯す。その横顔には怒りの欠片は見えず、薫は頷いて部屋を後にした。


人斬り似蔵の過去を知り、薫の心が揺らいだのと同じように、晋助もまた、似蔵と椿の哀しい結末を己の身に重ねただろう。

最愛の者を亡くしてしまうことなど、今まで考えたこともなかった。愛する者の声や温もり、優しい微笑み、それらが一気に消えてしまって、二度と触れることすら叶わなくなる……想像してみても、まるで別の世界の出来事のようだ。
そして辻斬りを繰り返す似蔵が、今もなお女を想っていることを、女の魂を追いかけていることを、憐れに思ったに違いなかった。



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