鬼と華
□花兎遊戯 第二幕
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春雨の母船から、護送船で鬼兵隊の船へ戻る途中、晋助と薫は終始無言だった。提督との会合の内容や、船で迷ったことなど、話す種は沢山あったにも関わらずだ。
薫は居心地の悪さを感じながら、晋助の様子をちらりと窺った。包帯で覆われた左側しか見えず、その表情はよく分からない。ただ、機嫌が良くないことだけは、長い長い沈黙が何よりも証明している。
鬼兵隊の船に着き、言葉を交わさないまま自室へと戻った。晋助と同じ部屋に戻るということを、薫は初めて後悔した。
髪飾りを外そうと、鏡台の鏡掛をたくしあげる。すると鏡の中で、羽織を脱ぐ晋助と視線が重なった。反射的に目を反らすと、晋助はからかうような調子で言った。
「お前は、若ェ男が好みだったんだな」
そう言われ、薫は咄嗟に、神威と名乗った少年に掴まれた手首を、晋助の視線から庇うように隠した。
「……そんなことありません」
「あのガキは、随分と愉しそうに見えたがな」
「見ていたのなら、止めてくだされば良かったのに」
“オネーサン”などと呼ばれたのは、薫が自分よりも歳上であると知って、からかったとしか思えない。それに、若い男が二十代の半ばを過ぎた女性に対して“可愛い”などと言うのは、自尊心を傷つけられるようなものだ。
「あんなの、ただの子どもの悪戯だわ」
「アイツを子どもだと思うのか?」
「だって、そうでしょう。十八、十九の少年なんて、まだ……」
言いかけて、薫は口を閉ざした。
晋助と自分が、十代の頃を思い出してみる。恋を自覚し、ひたすらに焦がれ、結ばれたいと切に願ったのはいつの頃だったろう。
あの頃は、溺れるように、夢中で恋をしていた。
「初めてお前に触れたのは、十八の時だったな」
「!」
晋助の言葉に、薫は息を呑んで彼を見た。
「お前をてめェのものにしたくて、……毎晩、何度抱いても足りねェくらい、いつもお前が欲しかった」
「…………」
「十八と言えど男だ。それに、子どもの悪戯の一言で片付けられるほど、お前は冷静には見えなかったぜ」
薫は唇を結んで俯いた。
あの瞬間に感じた、少年の好奇心と野性的な欲望。素直なまでの眼差しに心が揺さぶられたことを、晋助には知られたくない。
「そんな風に、私が簡単に靡いたように言うのはよしてください」
すると晋助は、彼女の顎をぐいと掴むようにして無理矢理顔を上げさせた。否が応でも視線が重なる。彼の目は冷たく、ただじっと彼女の表情を観察していた。
「瞳が揺らいでる」
晋助は口角を上げて言った。しかし、目は笑ってなどいなかった。
「お前は、嘘が下手だな」
彼はそう言ったきり、煙管を懐にしまうと、何も言わずに薫を置いて出ていった。
何処かで煙草を吸ってくるのだろうが、薫は取り残された喪失感をひしひしと感じつつ、ぎゅっと唇を噛み締めた。つい昨晩この場所で愛し合ったのに、それが嘘のようだった。
鏡の中の自分の姿をじっと見つめる。意気消沈した表情とは対照的な、きらびやかな着物、華美に飾った髪。簪で止めるだけでなく、編んで結い上げ、鼈甲の飾りも付けた。
化粧だって、この日のために新しい色の口紅をひいて、薄く頬紅もはたいた。ほんの一瞬でもいい、晋助に、綺麗だと思ってほしかったからだ。
けれどこの日の装いに、晋助は何一つ触れることはなかった。薫は小さな溜め息をついて、静かに鏡掛けを下ろした。
(第二幕 完)