鬼と華
□花兎遊戯 第四幕(後編)
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「ハアッ!ハアッ……!」
貂蝉が息を切らせて、船の通路を駆けていく。遠くの方からは、瓦礫がガラガラと崩れる音が絶えず聴こえていた。
階段の手摺を滑るようにして、牢屋のある階に駆け下りる。急ぎ華陀の無事を確かめようとしたものの、天井に開いた大穴から瓦礫が落ちて、山のように積みあがっていた。華陀が幽閉された場所は通路の突き当りにある。瓦礫の山に隠れて、彼女の姿は目視できない。
そして格納庫のある上の階からは、割れた宇宙船の巨大な残骸が、今にも落下しようとしていた。その衝撃で瓦礫が雪崩れ込んでしまえば、華陀の命が危ない。
「姉さん!!」
叫んで貂蝉が駆け出した。だが彼女の腕を、後ろから強く掴む者がいる。
「行ってはだめ!」
薫だった。だが、貂蝉は腕を激しく回して振りほどこうとする。
「……離せっ、離せ!離せ!!」
「だ、め、ですっ」
薫は歯を食いしばって貂蝉にしがみついた。戦闘種族である辰羅の力は強烈で、今にも手がちぎれそうだった。けれど、離す訳にはいかない。
「今行ったら、宇宙船の下敷きになるわ!」
真上からは、パラパラと船の欠片が落ちてきている。その時、彼女達の背後から、
「どけ!」
と、誰かの鋭い声がした。
バッと薫が振り向くと、晋助と万斉が猛烈な速さで駆けてくる。彼らがひゅん、と彼女達の横を通り過ぎた次の瞬間、頭上の宇宙船がぐらりと傾いた。
「しっ……晋助様!万斉様!!」
薫が叫ぶのと同時に、晋助は駆けながら刀を抜いた。
「万斉!」
その声を合図に、万斉の三味線から数本の弦がシュルと伸びる。晋助は刀を正面に構え、船が落ちてくる寸前の僅かな隙間を掻い潜るように、華陀の牢屋めがけて滑り込んでいった。
直後、ドォォォォ…ンと物凄い音をたてて、残骸が地に落ちてくる。埃の混じった風が舞い、落ちた衝撃で砕かれた破片が、薫や貂蝉の足元まで飛んできた。
「あ、ああ……」
薫は口に手を当てて、凄絶な光景を見つめる。その隣の貂蝉も、目の前で起こった出来事に圧倒されていた。
だが、ハッと我に返り、呆然とした様子で呟く。
「あ……姉さん……!」
宇宙船の残骸は、音を立てて崩れ続けている。積み上がった瓦礫の向こうがどうなっているのか、想像もつかない。
貂蝉は薫の腕を振り切ると、声の限りに叫んだ。
「姉さん!姉さん!!」
悲痛な声だった。繰り返し繰り返し、声が掠れるまでに呼び続けるが、幾度呼んでも返事はない。薫は背中がすうっと冷たくなり、いやな汗が流れるのを感じていた。
だが暫くして、船の破片を踏みしめて歩く音が聴こえてくる。固唾を飲んで見つめていると、瓦礫の山のてっぺんに万斉が姿を現した。薫は思わず手を伸ばして、貂蝉の手を握り締めた。彼女達の視線の先では、万斉に続き、晋助が瓦礫の山を踏み越えてくる。そして彼の肩に腕をもたれるようにして、華陀の姿があった。瓦礫が雪崩れ込んだ衝撃で格子が壊れ、華陀はそこから助け出されたのだ。
「……姉さん……!!」
虚ろな表情をしていた華陀だが、貂蝉の声にゆっくりと顔をあげる。そして貂蝉の姿を見つけると、乾いた唇を細かく震わせた。
「貂蝉……」
彼女はしわがれた声で、確かに妹の名前を呼んだ。
拷問の末に精神が崩壊し、己のことすら忘れた元第四師団団長。その瞳は、妹の声でようやく光を取り戻した。
やがてヒュウ、と上の階から口笛が聴こえた。
「スゴいね、今の。アクロバットみたいだった」
と、神威が拍手をしながら言った。船と床を壊した張本人は、悠々と救出の一部始終見下ろしていたようだ。
「俺だけじゃなくて、女狐も助けるなんてね。この期に及んでまだ人助けなんて、お人好しにも程があるんじゃない。侍ってやつは慈善事業でもやってるのかい」
華陀は鬼兵隊の船で、薫を騙して逃げようとした。妹の貂蝉は薫の身と引き換えに、姉を助けようとした。どちらも恨みはするけれど、時に恨みに勝るものがある。
彼女は誇らしい思いで、上の階にいる神威を見上げた。
「命を投げ出してまで、誰かを助けようとしている人がいるなら、何も考えずに手を貸すの。理由なんて要らないのよ」
幽閉され、牢屋で這いつくばったままだったせいか、華陀はフラフラとよろめき上手く歩けないようだ。貂蝉がすかさず駆け寄り、しっかりと脇を支える。彼女はそのまま華陀を抱きしめ、声を上げて泣き始めた。
「地球の侍は、そういう生きものなの」
薫は安堵の気持ちに包まれて、華陀を救けだした侍たちを見つめる。
二人とも、無茶をして瓦礫の海に飛び込んだのだ。晋助は埃を被った頭を払い、手足についた汚れに顔をしかめている。宇宙船から漏れ出た燃料で、着物もそこら中が汚れていた。同じように万斉も、全身に埃と燃料を被っていた。
「男は年を取るとつまらなくなると、てめェは俺にそう言いやがったな」
晋助はそう言って、派手に汚れた万斉を見やった。
「どうだ。つまらねェ男と、久しぶりに無茶をやった気分は」
二人の視線の先には、積み上がった宇宙船の残骸と、抱き合って涙を流す姉妹の姿がある。
万斉は額の汗を拭き、ふうと感嘆した。
「なかなか、悪くないものでござるな」
晋助は鼻を鳴らして、汚れた頬を手の甲で拭った。そして決まり悪そうな顔で、薫を見て微かに笑う。
(そうだった。この人達はいつだって……)
薫の護ろうとしたものを、救ってくれる。
彼女は胸のすくような思いで、晋助に微笑み返した。
(第四幕・後編 完)