鬼と華

□黄鶯開v 第二幕
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下半身のじんとした痛みで、薫は目が覚めた。身動ぎすると、腰のあたりに何とも言えない違和感が残っている。晋助に強く掴まれた感覚が、肌に張りついたように離れなかった。

障子の向こうは既に明るかった。肘をついて起き上がろうとすると、彼女の手を、晋助がぱしっと掴んだ。

「……話がある。聞いてくれ」

夜の出来事を思い出し、薫は脅えた瞳で晋助を見つめた。

「お前がそうなった時のことは……前から、考えてあった」

そうなった時。何のことかと薫は思ったが、子どもが出来た時のことを指しているのだと気付く。
彼女はゆっくりと起き上がり、布団を避けて正座をした。俯いて自分の手の甲をじっと見下ろしていると、晋助が低い声で話し出した。

「終戦の時……京に逃げて、呉服屋の主人に世話になったのを覚えてるか。俺ァ萩の家には勘当をくらったが、あの主人だけは縁者のよしみで色々と世話を焼いてくれてな。今でも時折、文のやりとりをしている」

確か、武平という男だ。薫は直接会ったことはないが、住むところから着るものから、彼には大いに助けてもらった。

「いい歳になる夫婦だが、子どもを授からなかったらしい。もし、お前が子を授かったなら……その時には、お前を養女に迎えて面倒をみさせてほしいと……。子どもの世話にも協力するから、いずれは商いを継いでほしい、そんなことを言ってきた」
「……そんな、勝手に……」
「悪い話じゃねェ」

晋助は顔を上げて、真っ直ぐに薫を見つめた。

「武平のところは、代々商いを営む裕福な家だ。土地屋敷も広い。お前に苦労をかけないし、子どもに遺してやれるものもある」

薫は膝に置いた拳を、ぎゅっと握り締めた。手の甲に、細い血管が浮き出るのを見つめながら、声を絞り出す。

「……そこまで考えてくださってたのなら、どうして今まで、一度もお話ししてくれなかったのですか」

と、彼女は言い、晋助を正面から見据えた。

「もし、“そうなって″も、晋助様は、京へは行かないのでしょう?」
「………」

彼が何も言わないのは、肯定の意味だと悟った。薫はゆっくりと、首を数度横に振った。

「いやです、京に行くなんて。親は、子どもの側にいて成長を見守るものよ。女親だけじゃなく、男親も一緒に……」
「船は、子どもを育てるような場所じゃあねェさ」

船着き場と宇宙(そら)を行き来し、幕吏の目を避けるようにひっそりと暮らす。子どもにそんな生き方を強いるのは、親なら誰でも選びたくはない。
それに、と晋助は淋しげに笑う。

「子を孕んだお前を、安全な場所に匿っておきたいと思うのは至極当然のことさ。お前だって、子が出来たら気が変わるはずだ。幕府から目をつけられてる俺の側に、自分自身も大事な子も、置いておける筈がねェだろう」
「子どもを授かったら側にはいられなくなるなんて、そんなのおかしいわ。それじゃあ、家族じゃないもの……」
「お前が普通の家族、普通の家庭に憧れがあるなら」

晋助は視線をそらし、部屋の隅を見るように言った。

「……江戸に行けば銀時やヅラがいる。奴らを頼って、所帯を持ついい相手を捜せるだろう。……お前なら、ごまんと男が寄ってくる」
「……そんな、悲しいことを仰らないで」

薫は力なく、首を左右に振った。昨晩、あんなに泣いて泣いて涙は枯れたと思ったが、目の奥が再び熱くなる。

「それじゃあまるで……私が船を降りても、晋助様は平気みたいな言い方だわ……!」
「お前の人生だ。お前には、お前自身の道がある」

晋助の目を、見たい。けれど彼は薫から目を逸らしたまま、掠れた声で言葉を続ける。

「俺の隣にいろと、俺はそう言ったが、お前が別の道を……お前自身の道を望むなら、俺が縛り続けることは出来ねえ。お前の意思で船を出ていくなら、俺に止める権利はねェよ」

薫は呆然として、自分の手を見つめた。
晋助と共に攘夷戦争を戦い、鬼兵隊の壊滅から世界への復讐を誓った。同じ憎しみを胸に、彼の進む獣の道を共に歩んでいく。彼の孤独に寄り添い生きていく。今までもこれからも、死ぬまでそれが続いていくと思っていた。

だが、サキや久久を間近で見て気付いてしまった。薫自身にも生まれながらに母性が備わっている。愛する人の子どもを産みたい、育てたい、女性として、ごく自然な生物としての本能がある。
何年も晋助と共に過ごしながら、今までそのことについて、一度たりとも話し合ったことはなかった。長く共に居すぎたせいなのか、それとも、ふたりの道を変える存在に対して、臆病になっているせいなのか。

サキに遭わなければ、久久を抱いたりしなければ、こんな感情を知らずに済んだかもしれない。そんな思いがふと浮かび、加賀山邸に行く気が失せ始める。だが、根菜汁をつくると約束したことを思い出し、薫はのろのろと立ち上がり、身支度をした。

「……爺さんのところに行くのか」

晋助が問うたが、薫は返事をしなかった。
いつものように薬を飲み、髪を結わえて着替えをし、衣紋掛けの長羽織に手を伸ばす。晋助に贈られたものだ、そう思った瞬間に着るのが憚られたが、

「外は寒い。体を冷やすな」

晋助が胸のうちを見抜いたように言うので、薫は羽織をひっ掴むようにして、彼の横を足早に歩き去った。

「昨晩は、悪かった」

謝罪の言葉が背中を追いかけてくる。薫は身が千切られるような思いで、静かに旅籠を出た。

晋助の言った彼女自身の道というのが、いつか別れ行くものなのかどうか。先のことについて、話をする時機が来たのかもしれない。
しかし彼女には、子どもを望むのか望まないのか、彼の本心を知るのが何よりも怖かった。



(第二幕 完)
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