DELIVERY JOY 4 U!!!!

□Crazy Sexy CoolB
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演劇を見てから、高杉晋助という男が頭から離れなかった。それは悪く言えばブラウスに染みついたコーヒーの染みのように、よく言えば指輪の裏の刻印のように、消そうと思ってもなかなか消えない類のものだった。区民ホールの前を通る時や眠りにつく時、必ずと言っていい程彼のことが頭に浮かんだ。その度に、今彼はどこの舞台でお芝居をしているのだろうか、一体どんな役だろうか、それとも出張ホストとして女を抱いているのだろうか、それはどんな女だろうかとか、考えてもどうしようもないことばかりを延々と考えた。自分でも嫌になって辟易するくらいだった。

しかしその時間は、彼への思いを募らせる以外の何物でもなく、自分の中で彼の存在が次第に大きくなっていくのを止められなかった。同時に“もう一度逢いたい”という願いが、まるで真夏の入道雲のように際限なく聳えていった。

服に例えれば、若い頃は流行りのデザインのチープな洋服を毎年買い替えて着ていた。雑誌の人気モデルの服装を真似た子が沢山いたので、流行りの格好をしていれば周りに馴染んだし、何を着ても可愛いと自信があった。けれど年齢を重ねてくるにつれ、身に着けるものに可愛らしさではなく価値を求めるようになった。生地や縫製、ブランド、安くて高く見えるものでなく、自分が心から欲しい、本当に価値のあるものを手に入れたいと思うようになった。それは買うための経済力があり、見極める方法を心得ることが前提だけれど。

だからこそ、欲しいと思ったものは欲しい。高くても欲しい。たとえホストの料金が一時間10万円に跳ね上がったとしても買うだろう。そうして私は“CLUB JOY”のサイトを通じて、再度彼を指名し逢う約束をした。



***



逢瀬の当日、七月の空は馬鹿みたいに晴れあがって、太陽がぎらぎらと照っていた。首筋を真っ黒に焼かれそうで、マンションのエントランスを出るのと同時にセリーヌの日傘を開く。アスファルトの道は強烈な陽射しを容赦なく照り返し、お気に入りのジミーチュウのサンダルがフライパンで炒められているようである。

駅までの道を小走りに歩きながら、ショーウィンドーに映る自分の姿を確かめた。とろみのあるベージュのワンピース。差し色の赤い小振りのバッグ。悪くない。何日も考えて考えて考え抜いた、私に一番似合う服装だった。
電車の中では、マニュキアが剥げていないかを観察し、バッグの中でこっそり手鏡を広げ、化粧が崩れていないかを確認した。ふと中高生の頃、常に鏡を持ち歩いては前髪の乱れを気にしていたのを思い出し、張りつめた緊張がふっと緩んだ。


待ち合わせ場所に指定したのは、彼と最初に会った公園だった。腕時計を見ると、約束の時間の30分前だった。気持ちが早まって急ぎ過ぎてしまったか、そう思いながら遊歩道を歩いていくと、木陰のベンチで煙草を吸う人影を見つけた。高杉くんだった。

トクンと心臓が跳ねて足が止まる。こんな暑い日だというのに、彼は長袖の細身のジャケットをさらりと羽織って涼し気な横顔をしていた。脚を組み、煙草を深く吸い込んでは、ゆっくりと吐き出している。煙がゆらゆらと木漏れ日の中に滲んでゆくのを、私は美しい絵画でも眺めるような気持ちで見つめていた。シンプルな装いと自然な佇まいが、彼が本来持ってる魅力や色気を存分に醸し出していた。

指定の時間の30分前に来たというのに、彼は私より早く来て、私が来るのを待っている。客を待たせない、彼なりの仕事の姿勢を感じたら、初対面の時にホストに不向きだと思った自分を猛烈に攻めたくなった。

今の私は、身なりを気を遣い、ブランド物で年相応に装っても、外側の皮を剥けば所詮欲望に忠実なただの女だ。セリーヌの日傘もジミーチュウのサンダルも全部投げ捨てて、裸のまま彼の足許に跪きたい。彼の膝にすがって、逢いたかった、ものすごく逢いたかったと叫びたい。

そう思いながら、私は日傘をたたんで彼に歩み寄った。

「久しぶり。随分早く来たのね」

声をかけると、彼は携帯灰皿で煙草を揉み消して、久しぶり、と同じ言葉を返した。

「まさか、また呼ばれると思わなかったよ。どういう風の吹き回しだ」

私はサンダルの爪先に視線を落としてから、一呼吸置いて打ち明けた。

「……実は、あなたの舞台を観たの」

彼は、嘘だろという顔をして私を見た。

「自宅の近くのホールで演劇のポスターを見つけて、あなたの名前が目に留まったの。信じられないけど、本当に偶然だった。素通り出来なくて、当日券を買って途中から入らせてもらったわ」

あの感動をどんな言葉で伝えたらいいのだろう。素晴らしかった、よかった、そんな単純な語彙しか浮かんでこない。それに本当に伝えたいのは、ありきたりな感想ではなかった。

「舞台のあなたを見て、恋をするって気持ちを思い出したわ。恋なんて面倒臭いなんて思っていたけれど、恋をするのに年齢もタイミングも関係ないのね。あれからあなたの事が頭から離れなくて、どうしても会いたくて堪らなくて……結局、呼んでしまったわ」
「“呼んでしまった”、か」

彼は渇いた声で笑ってから、片方の眉をひょいと上げてみせた。

「まるで悪い事をしてるみたいな言い方をするんだな。金を払って男と寝るのは、そんなにいけないことか?」

彼は表現を選ばずストレートに言った。女が男に金銭を払って、対価として快楽を得る、それは世間的に、或いは道徳的に悪いことだろうか?
男性のための性風俗は様々なカテゴリーが巷にありふれているのに、女性のためのそういうサービスが開けっ広げでないのは、女は身体的な快楽『だけ』には興味がないからだ。心が満たされて、それから体も同じように満たされなければ、本当の満足は得られない。例えば駅前のビルの陰に、女性のための性感マッサージのお店を出したって、いくら値段が安くてもお客は来ないだろう。恋愛感情やときめきの伴わないセックスは、なんの意味もないし味気ない。

私はごくりと唾を飲んで俯いた。

「恋愛は出来ないって分かってる。絶対に、恋愛関係を迫ったりなんかしない。客としての立場を十分にわきまえてるつもりよ。でも、今は……」

あなたが欲しくて欲しくて堪らない。口に出して言えないその一言を視線で訴える。
すると彼は立ち上がり、私の手をとった。ごく自然に指と指が絡まり、私達は手を繋いだ。

「行こうか」
「え?」
「早く、ふたりきりになれる所へ」

彼はそう言って悠然と微笑み、歩き出した。
手を繋いで歩きながら、逢いたかったという思慕の情が、やっと逢えたという充足感に変わってゆく。それはまるでコップの中の氷がゆっくり溶けていくのと同じ、緩やかな変化だった。そしてコップの外側につぷつぷと水滴が浮かぶように、これから起こる出来事に対しての期待が募ってゆく。
コップの表面を水滴が流れる。コップの下に水溜まりができる。テーブルを湿らせるまで。床に零れ落ちるまで。そんな変化を思い描きながら、私はねえ、と言って隣を歩く彼を見た。

「昔から不思議に思ってたんだけど、ラブホテルって駅から見えないように、大きいビルの影に隠れるようにひっそり建ってるけど、電車の窓からだとこれ見よがしに目立った看板を掲げているわよね。昔山手線に乗った時、お城みたいなラブホテルを見つけた子どもがね、お母さんに“あれなあに?あれなあに?”って頻りに聞いてて、お母さんが困ってるのを見かけたわ」
「そりゃあ気の毒な光景だな」

彼は可笑しそうに笑って言った。

「教えてやりゃあいいんだ。飲んだ帰りにその気になった女と男の為にあるんだよって」
「そうね。教えてあげればよかった」

私達は冗談を言い合って笑った。自然にお互いの手を強く握る。初対面の印象はお互い良いとは言えなかったけれど、今日は出逢った瞬間から胸の高鳴りが止まない。初恋のような、甘酸っぱいときめきで満ち溢れていた。




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