SHORT STORYA

□Rainy Blue
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同居中の恋人は朝が弱い。どのくらい弱いかというと、休日は二度寝三度寝でお昼頃まで寝ているのがしょっちゅうだし、平日は目覚ましが鳴ってもなかなか起きなくて、私が起こして渋々起きてくるくらいである。

ところがある土曜の朝、私が目覚めると隣に彼の姿はなく、キッチンの方から何やら物音がしていた。まだ六月なのに雪が降るんじゃないだろうか、そう思いながらダイニングを覗くと、恋人がコーヒーを飲みながらパンを食べているところだった。

「おはよ」

銀色の髪がふわりと揺れ、優しい目許がすっと細まる。甘党の彼はコーヒーに角砂糖とミルクをたっぷり淹れるので、喋るだけで甘い匂いが漂ってくる。

「おはよう、銀時」

彼が部屋着ではなく私服に着替えていたので、私は不思議に思って訊ねた。

「珍しく早起きだね。どうしたの?」
「俺、午前中ちょっと仕事に行ってくるわ」

パンを口に頬張り、彼はしかめっ面をして言った。

「週明けに国語のテストの答案返さないといけねぇんだよ。昨日残業したけど終わんなくてさ。管理が厳しいから、答案持ち帰るとか絶対ダメだし」

私立高校で国語教師として勤務する銀時は、常に忙しい。特にテストの前後は授業の準備の合間にテストを作成して、終わったら採点しなければいけないから、休日出勤することもたまにあった。

「昼までには終わらせるから、昼飯は一緒に食おうぜ」
「大丈夫なの?忙しいなら無理しなくていいよ」
「いや、俺だって好きで職場行く訳じゃねーしさ。休みはお前といたいもん」

彼はてきぱきと食器を片付けて出かける仕度を始めた。昨日の天気予報では、確か今日は曇り時々雨。カーテンを開けて外を見ると、予報は的中、空は灰色の雲に覆われ、目を凝らさないと見えないくらいの細い雨がしとしとと降っていた。

「銀時、小雨が降ってるよ」
「げー!マジかよ」

彼はいつも原付バイクで通勤しているので、ぶつぶつ文句を言いながら雨合羽を着て、行ってきまーすと告げて家を出て行った。私は玄関のドアを開け、いってらっしゃいと見送ってから、ちらりと隣の501号室の扉に目をやった。

501号室に住む隣人――高杉さんと関係を持ってから、二週間が経つ。そのことを何としてでも銀時に知られてはならないという固い決意のもと、この二週間はとにかく普段通りの生活を送ることに専念した。お陰で銀時以外の男の人に抱かれたことも、初めての快感を体験したことも、まるで無かったような穏やかな日常が過ぎていった。そして一人でいる時は、罪悪感と後ろめたさに目を瞑って、刺激的な夜を思い返しては切ない気持ちになった。
心の奥底では、銀時に気付かれなくて本当に良かった――そう、心から安堵していた。



***



土曜日の天気が悪いと気分が塞ぐ。日当たりのいいベランダで、シーツやタオルケットなど大きいものを洗って干すのが土曜の日課なのだ。そうしないと、すっきりした気分で週末を始められない。

洗濯物が干せないので、朝食を済ませて家の中を掃除したら時間を持て余してしまった。テレビもさして面白くなく、一人で部屋にいるのも退屈だったので、先週買った新書を鞄に入れて外に出た。目指すは駅前にある喫茶店だ。

雨のせいか、午前中の早い時間のせいか店内はがらんとして、二階の窓側のお気に入りの席が空いていた。ホットのカフェラテと本をテーブルに並べ、椅子に深く腰掛けふうと一息つく。窓から見える街路樹の葉は、汗をかいたように雨粒にびっしょりと濡れて黒みどりに染まっていた。こうして一雨降るごとに葉が生い茂って、夏の姿になってゆくのだ。


本を四分の一ほど読み終えた頃だった。休日とあって軽食を兼ねて来店する人が増え、周りは随分と混んできた。いつまで居ようかなと腕時計を見た時、突然頭上から低い声がした。

「前、座ってもいいか」

えっ、と思って顔を上げ、私は仰天した。そこには高杉さんが立っていた。

「へあっ!?」
「何だよその声。動物の鳴き声みたいだな」

高杉さんはクックッと可笑しそうに笑った。つい二週間前、嗅いだ覚えのある煙草の香りが鼻腔をくすぐった。私がポカンとしている間にも、彼はデミタスカップの置かれたトレーを静かにテーブルに置き、椅子を引いて腰かけた。

「ビックリした……」

私はそう呟いて胸に手を当てた。こんなところで偶然会うなんて思ってもみなかったので、心臓が早鐘のようにドキドキと鳴っている。
彼は黒縁の眼鏡をかけて、オフホワイトの麻のシャツを着ていた。外で見る彼の姿は新鮮で、それも胸の高鳴りに拍車をかける。彼はちらりと私を見て言った。

「今日はカレシと一緒じゃないのか」
「はい。午前中は仕事に行ってるんです」

私はおずおずと訊ねた。

「あの、高杉さんは?お休みですか?」
「いや。仕事だ」

と、彼は鞄から小型のノートパソコンを取り出した。

「仕事って言っても、溜まったメールの返事とか整理とか、そんなところだな。ちょっと見ないだけで阿保みたいにメールが溜まる。嫌になっちまうよ」
「週末なのに大変ですね」

そう言うと、彼は意外そうな顔をしてから時計を見て、ああ、と言った。

「そうか。今日は土曜日か。どうりで店が混んでる訳だ」

彼は口許に微かな笑みを浮かべて私を見た。

「フリーでやってると決まった休みがないから、忙しいと曜日の感覚がなくなってくる。せっかくの週末に雨とは、ついてないな」

ついてないな、というのは私に向けられた言葉だ。まるで洗濯物が干せなくて残念がっていた私に共感してもらえたようで、じわりとした喜びを噛み締める。最も、それは都合のいい勝手な解釈に過ぎないのだけれど。

それから彼は脚を組んで、膝の上に無造作にパソコンを置いてカタカタとキーを叩き始めた。目の前に私がいることなんて、これっぽちも意識しないような様子だった。はたから見れば、私達は一つのテーブルを挟んで各々好きな事をしながら、思い思いの時を過ごすといった親しい間柄に見えているだろう。そんな想像に、心がときめくのを抑えられない。



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