恋暦

□第二章 名残雪
1ページ/5ページ




晋助と薫が出逢って、幾年かが過ぎた。
藩校明倫館での修学を終えた薫は、藩士である父親の元で、藩政の雑務に携わっていた。

その頃には、天人というものによって開国され、幕府が弱体化していることも。天下の在り方を巡り各地で戦が起こっていることも、理解する年頃になっていた。


開国より弱腰の外交を続ける幕府に、侍達は、天人を廃し国を建て直そうと一斉蜂起した。しかしながら、天人の発達した文明と圧倒的な武力の差が、志士達の前に立ち塞がる。力の違いを目の当たりにした民衆には、従うのも已む無しという考えが、徐々に浸透していった。

攘夷派の勇士達は、国賊の汚名を着せられ、彼らの多くは、天人との戦いで無惨な死を遂げた。
攘夷の思想は、幕府からも民衆からも危険視されるようになっていく。





◇◇◇






明倫館随一の秀才で、いずれは教授として迎えられるだろうと云われた晋助であったが、彼は、萩の私塾に入塾した。
かつて明倫館の塾頭を務めた、吉田松陽という男が主宰するものである。

晋助は熱心に塾に通っていたが、休みの日には昔と変わらず、薫の家を訪れた。
そして、会う時は決まって、塾での出来事を話して聞かせた。


「松陽先生は、九州や東北を旅されて、いろんな御仁から学びを得たんだ。正しい人の道、侍の道を、俺達に教えてくれる人だ」


晋助の口から聴く松陽という男の人物像は、教育心に満ちた、穏やかな師匠だった。

「兵学や儒学、地理学も学ぶんだ。
講義を聴くばかりでなく、先生の指導で、皆で会読することもある。先生はいつも漢書の書き写しに熱心で、日々勉学に励まれているよ」

師を語る彼の眼は、とても生き生きとしていた。

「座学が終われば剣術の稽古もつけてくれるんだ。疲れたら、皆で山に行ったり、野原に行ったり……」


松陽の塾は、師匠が弟子に一方的に知識を伝達するものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を言い合ったり、時に竹刀を交えたりするようだった。

また、松陽は、武士や町民などの身分に関わらず、塾生を受け入れていた。士族の身分の子どもしか入学できなかった明倫館とは、対照的である。

事実、塾へは、門戸を叩く若者が絶えなかった。
誰に対しても別け隔てなく、学びの門戸を拓く松陽いう男には、不思議な魅力があるのだろうか。




◇◇◇




「父上、晋助様から、また塾の話を聞きました」


書斎で物書きをする父親に、薫は、何度目かの嘆願をした。


「私も、松陽先生の元で学んでみたいのです。見学だけでも、行ってはいけませんか?」

「またその話か。いい加減よしなさい」


父親は、辟易した様子で言った。彼は、吉田松陽を良く思っていないのだ。

と言うのも、以前松陽は藩法を破り、浪人の身となった過去がある。大人達の間では変わり者と揶揄され、身分の高い士族では、子息を彼に近付かせたくない親もいた。

150石の名家、高杉家でもそうであった。晋助の父の大忠太は晋助が塾へ通うのに猛反対しており、晋助は、夜半にこっそりと抜け出して通っていたのである。

そこまでして、晋助を惹き付ける松陽という男に。
薫は、強い関心を抱かずにはいられないのだ。


しかし、薫の父は、その思いを汲むどころか、冷徹に切り捨てる。


「このご時世、子どもらに剣を教えるなどもっての他だ。あの男もいずれ、謀反の徒と云われるだろうよ」

「まさか!私には、とてもそんな方には思えません!晋助様は先生のことを……」

「晋助君も、いずれ目が醒めるだろう。お前も年頃の娘だ。あまり、彼とばかり仲良くしてはいけないよ」


そして、話題を変えるように、薫の父はつとめて明るく言った。


「そんなことより、例の件は、まだ決心がつかないかね」

「……私は、まだ……」


薫は困って、口ごもった。


例の件、とは。
学問と剣術に傾倒してばかりの薫に、父親が持ちかけた見合いの話だった。
彼女も、嫁いでも何らおかしくない年だった。内戦の続く戦乱の世に、少しでも早く幸せをという、親心である。


「高杉家に劣らない、名のある良家の御子息なんだよ。優秀で、とても穏やかな方だ。お前に、是非一度会いたいと……」

「……私、用事を済ませてきます!」


父親が言うのを最後まで聴かず、薫は書斎を出た。

父の優しさを無下にはできないと思う一方で、松陽や晋助を頭ごなしに否定する事は、いくら親でも許せなかった。


子どもと言えぬ歳になった。それでも、晋助が学ぶもの、信じるものを、同じように見ていたいと。
そう願うのは、いけないことなのだろうか。





次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ