恋暦

□第三章 桜初開
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(大切な人を護れるくらい、強くなりたい)

いつか昔、薫はそう思った。

明倫館で秀才と唱われた晋助だが、彼が秀でているのは学問だけではなかった。彼の剣術の腕は、剣術道場で群を抜いていた。
幼い頃、薫は晋助に追い付こうと必死だった。剣術稽古も弓の稽古も、惜しまずやった。そうでもしなければ、晋助に置いていかれそうな気がしたからだ。

結局剣の腕は敵わなかったけれど、晋助の背を追ううちに、薫は気付いた。


晋助が剣をとるなら、己もその隣にいたいのだと。彼が行く場所に、己も向かいたいのだと。
晋助と共にいようと誓った、その思いの強さは、誰よりも強い。



晋助と小太郎が萩の屋敷を発つのを見送ってから、凡そひと月が経っていた。桜が満開の時期を迎え、長州の街は桜吹雪が舞っていた。

薫は、最低限の荷物を纏めた。
刀、脇差。そして、長弓。


家の者が寝静まった夜更、彼女はひっそりと自邸を抜け出した。




◇◇◇




籠を走らせて、薫は数日かけて晋助の元へ向かった。彼に教えられた場所は、江戸より更に東の、山中だった。

長州を出てから丸三日。途中で籠を降り、山道を歩き続け、薫はようやく日暮れ前に到着した。鬱蒼と繁る森を抜けた場所に、ひとつ佇む古い屋敷。
そこが、晋助ら攘夷志士、遠方から出てきた者達の住処である。


薫は長旅に疲弊し、山歩きで息が弾んでいた。けれど、すぐ側に晋助がいると思うと、それだけで胸は高鳴った。屋敷の正門に向かって、薫の歩みは自然と速まっていく。

屋敷に近付くと、数人の人影があった。


「……晋助様」

薫は思わず呟いた。

そこには、紺色の着流しを纏い、腰に刀を差した晋助がいた。
彼は、周りを取り巻く男達に何か話していた。


「次の戦の配置は、俺が決めた通りだ。全体の指揮はヅラの野郎がとる。お前達は武器を集めて……」

彼の話し声が、風に乗って聴こえてきた。戦のことを話しているのだ、と思った。
その表情は険しく、遠巻きにでも気迫を感じる。

まるで、此処が戦場であるかのように。



薫がゆっくりと近付いていくと、晋助の隣にいた男が、彼女に気付いた。

「総督、あれを……」

男は薫に向けて、顎をしゃくった。晋助は、総督と呼ばれていたのだ。


「女が、あそこに」

「……薫」


晋助の唇が動く。

薫は笑いかけようとしたが、思い止まった。彼が、戸惑いが入り交じったような表情をしていたからだ。

晋助は大股で薫に歩み寄ると、着流しの裾を翻して、言った。

「ついてこい、薫。中を案内してやる」




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