恋暦

□第六章 紫陽花
1ページ/5ページ


日ごとに太陽が高くなり、季節は初夏を迎えた。
戦に備えて、攘夷志士のアジトでは、大勢の仲間を集めて軍議が行われていた。

小太郎の、長い長い話の合間。
退屈しかけた晋助の着物の袖を、薫がそっと引いた。

「晋助様」

彼女は外の、土手の方を指差した。

「紫陽花が咲いていますよ、ほら」

彼女が示した方には、自生した紫陽花があった。花は雑木に混じって、ひっそりと佇むように咲いていた。

「あァ……そうだな」

晋助は短く答え、じっと花を眺めた。
目が醒めるような、鮮やかな藍色。
とても、美しい花だった。

「もうすぐ、梅雨が来ますね」

薫は隣で、微笑みながら花を見つめている。


薫がやって来るまでは、季節の変化になど、気を留めようともしなかった。
花が開き、空の色や雲の形が変わる。そんな小さな映ろいは、薫に言われて初めて気付いた。

改めて見る季節の風景は、晋助にはとても懐かしく感じられた。

飽きもせず、花や空を眺めた幼少の頃。
故郷の長州で、薫と過ごした幾つもの季節を思い出す。

それはまるで、戦も何も知らなかった、昔の自分へ戻るような気分だった。



季節の移り変わりを告げる薫は、どことなく嬉しそうで。

子どもの頃と、何も変わらない。
驚くほどの自然さで、あの頃のまま、隣にいる。




◇◇◇




鬼の隣に花が咲いた。
鬼兵隊の隊士達がそう囃す程、薫の存在は目映かった。

士族の娘らしい、品のいい立ち居振舞い。柔らかな物腰。漆黒の髪と雪のような白い肌は、みすぼらしい戦装束を着ていても、美しさを失わなかった。

全体の軍議が終わった後、晋助は鬼兵隊の隊士を集めて出陣の打合せを執り行った。


「坂本の隊が敵を引き付ける。
その間に、俺達は北方から責め入る」

戦場を記した地図の上を、晋助は煙管(キセル)の尖端で示した。

「俺が突破口を開く。お前逹は俺に続け。思う存分、暴れ散らせ」

彼は鬼兵隊の総督でもあり、随一の戦術家だ。
隊の配置は彼が決め、それは常に打算的で、正確だった。

「薫」

隣に控える薫に、晋助が呼びかける。

「はい」

彼女はつと膝を前に進めると、細い指先で、敵陣の周りを辿った。

「我らが弓矢隊は、陣の周りより後方の援護にあたります。各自、矢の備えは十分に」

彼女は得意の弓矢をもって、鬼兵隊の選りすぐりに弓を教えた。弓を教えるという晋助の発案を、やりこなしたのだ。

女ながら、鬼兵隊の荒くれ共を束ねる冷静さ。
晋助に劣らず、鋭利な頭脳。
隊において、晋助の右腕とも呼べる存在だった。

晋助がそうさせているのか、彼女が自ら望んでいるのか。

隊士達の目には、彼らはまるで添え木のように、お互いを必要としているように映った。




次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ