恋暦

□第十四章 初時雨
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晋助と薫は、戦地を退き、からがら麓の里まで降りてきた。

既に日が暮れて、いつの間にか、冷たい時雨が降り始めていた。
身の芯が凍えるような雨だった。

暗い闇の中、民家の明かりを頼りにして、薫は里へと近付いた。怪我をした晋助の手足となるように、体を支えながら歩いた。
彼の体は、濡れて冷えきっている。怪我を負ったうえ、このまま外で一夜を過ごさせる訳にはいかなかった。

しかし、薫には頼るあてなどない。
彼女は断られるのを覚悟で、ある道場の門を叩いた。そこは以前、晋助と共に隊士を募りに里へ下りた時、一度訪れた道場であった。


「どなたか、いらっしゃいませんか?!」

ドンドンと扉を叩く。
藁にもすがる思いだった。

扉が薄く開くのと同時に、薫は地面に額がつく勢いで頭を下げた。

「お願いです!今宵一晩だけ、休む場所を貸していただけませんか!」

怖々と目を開けた、彼女の目に映ったのは、小さな草履を履いた子どもの脚だった。おそるおそる顔をあげると、年端もいかない少女と少年の姿があった。
続いて、奥からバタバタと足音がして、聞き覚えのある声がする。

「オイ、お前さん!勝手に出ちゃあいけねぇよ」

現れたのは、道場の塾頭である男だった。彼は子ども達を諌めて、ふと顔をあげた。ずぶ濡れの戦装束の薫と晋助の姿に、目を見張る。

「アンタらは……!」

薫は、黙って頭を下げた。夜半に訪ねる無礼は承知だ。どんな非難も、受け入れる心づもりだった。


しかし、男は扉を広く開け、薫と晋助を引き入れた。


「ひでぇ有り様じゃねえか。早く、中へ」




◇◇◇




塾頭の男は、晋助の為に柔らかい蒲団を用意してくれただけでなく、粥を拵えて晋助に与え、薫には、暖かい飯と汁物を拵えた。

火の灯る囲炉裏に手をかざして、薫は冷えた身体を温めた。晋助は奥の客間で、既に休んでいる。


塾頭の男は、彼女の様子が落ち着いたのを見て、言った。

「アンタら、攘夷志士だったんだな」

薫は頷き、正直に事の顛末を話した。

「廃刀令が敷かれ、アジトに隠れ潜んでおりましたが、幕府の者に襲われました。仲間が次々に襲撃にあい、追っ手に囲まれ……」

「そりゃあ、難儀な……」

「侍の国も、終わりです」


塾頭の男は暫く難しい顔をしていたが、黙ったまま、風呂へと向かった。

彼が外している間、家にいた二人の幼子は、興味津々で薫の側に寄ってきた。客人が珍しいのか、なかなか薫の側を離れようとしない。
彼女は手近なものを鞠にしてお手玉をしたり、紐を結んであや取りをして見せたり、遊び相手になった。無邪気に笑う子どもらに、いつしか薫の顔にも、自然と笑顔が戻った。


やがて、塾頭の男が風呂から上がってくる頃には、幼子らは薫の側で眠っていた。


「子どもなんていた試しがねぇから、どう接していいものか手探りだったがね」

男はそう言って、あどけない寝顔に目を細めた。

「全く、可愛いもんさ」



まだ、夏がくる前のことだ。
鬼兵隊の隊士を募りに、薫は晋助と里に降りて、この道場の門を叩いた。
その時、偶然居合わせた幼子らは、両親が幕府の取り締まりで殺され、何処にも居場所がなかった。晋助は、持ち金を塾頭に渡して、子どもらの世話を託したのだ。薫に以前会ったことは、彼らは幼さゆえ、忘れているようだった。

薫は、あの時余計な真似をしてしまったのではと、内心不安であった。そんな縁とも言えぬものにすがって、宿を借りようなど、図々しいにも程がある。


「御当主様……あの……」

せめて詫びようと、指をついた彼女を、男は笑って制した。

「安心しな。アンタらを恨んでやしねえよ」

彼は明るい口調で言った。

「天人が来て、国は変わっちまった。剣を取れば攘夷と非難され、役人の取り締まりに合う。剣術なんて、誰もやる奴はいねえ。そんなふうに腐ってた俺を変えたのは、このガキ共さ」

彼の手は、子どもらの頭をいとおしそうに撫でていた。

「親も、家も失った……こいつらと同じような辛ぇ思いは、誰にもさせちゃあいけねぇよ。俺はこいつらがいる限り、剣の道を捨てねぇ。侍が、そう容易く剣を捨てて堪るもんかってんだ。侍の国は、まだ終わっちゃあいねえよ」




その晩、薫は客間に布団を借り、晋助と並んで眠った。
泥に沈むように深く、そして、暖かい眠りだった。



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