恋暦

□第五章 蛙始鳴
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天人と闘う攘夷志士。
それは名の通り、士族の身分の者が大半であった。幕府の外交姿勢に業を煮やした侍達が、国や自分達の本来の存在を取り戻す為、一斉蜂起したが故である。


しかし、晋助の組織した鬼兵隊は、士族の身分の者だけでなかった。鬼兵隊は、農民や商人の身分が大半であった。
手習いを受けていない者も多く、読み書きの出来ない者も混じっている。晋助は意にも介せず、彼らには平易な言葉で話し、戦法を根気よく教えていた。

同じ志を持つものには、身分など必要ない。それは、晋助の師の松陽が、身分を問わず門戸を拓き、塾生を受け入れたことに同じだと。
薫は、そう思っていた。





戦のない日の午後、薫は帯刀した晋助が、草履を履いている所に出くわした。

戦装束は着ていないが、その表情は険しく、まるで戦いに行くような姿だった。一人で居る時の晋助は、時折そんな顔を見せる。

薫は迷ったが、彼の背中に声をかけた。


「晋助様、どちらへ?」

「里に下りる」

と、晋助は言った。

「隊の人員に、いま少し厚みが欲しい。前の戦で負傷した奴らは、暫く暇を出したからな」


鬼兵隊は自ら志願して入隊するものもいるが、人里でくすぶる強者共を、引き入れることもあるそうだ。そこそこ腕があり、侍の心構えがある者なら、身分や生い立ちなど問うことはしない。


「私も行ってもよろしいですか」

「構わんが……」

晋助は言いかけて、彼女の肩のあたりを見る。

「傷は、もう大丈夫か」


薫は微笑んで頷き、支度をしに急ぎ部屋へ戻った。





◇◇◇





編み傘を被り、身をやつした恰好をして、晋助と薫は人里へと降りた。
町行く人に尋ねながら行き着いたのは、町一番の剣豪が集まったという道場だった。


広く、立派な門構えの道場。しかし、そこには門弟の姿はなく、昼間というのに静まり返っている。

中から出てきたのは、塾頭を名乗る中年の男であった。


「この御時世、剣術なんて習うのは物好きな奴らばかりさね。幕府の目を畏れて、誰も道場に近付きやしねぇ」

「そうか」


目当てが外れ、晋助は静かに嘆息する。


「兄ちゃん、士族だか知らねぇが、帯刀なんかしてぶらつかねぇ方がいい。この辺は、お役人の取締りが厳しくなってるぜ」

「あァ……」

晋助と塾頭の男が話している間、薫は門の入口に、小さな人影を見つけた。
陰に隠れて、少年と少女が、こちらの様子を窺っていた。

「いらっしゃい、さあ」

薫が身を屈めて腕を伸ばすと、少女は恥ずかしそうに笑いながら、薫の膝のあたりに抱きついた。

歳は四つ、五つほどだろうか。紅い頬をした、とても愛らしい女の子だった。
追いかけるように駆けてきた少年は、少女より少し体格が大きい。きっと、兄妹なのだろう。幼い頃の晋助を彷彿とさせる、端整で賢そうな顔立ちをしていた。

薫は微笑ましく思いながら、塾頭の男へ尋ねた。

「御当主のお子様ですか」

「いや、身寄りの無い孤児(みなしご)さ」

男は、冷たく答えた。

「攘夷派の大量粛正があったろう、それで親が死んじまったらしい。親戚一家に至るまで、投獄されちまったらしくてねぇ。可哀想だが、ここいらじゃ面倒をみる奴ぁ誰も……」

「そんな!こんな小さな子らを……」


薫は、少女が奇妙な咳をしているのに気付いた。
もしやと思い額に手を当てれば、その熱さに体が強張った。


「晋助様!この子、熱が……!」

「お嬢ちゃん、止しなよ。変になつかれると面倒なことになる」

塾頭の男は忌々しそうに言う。
キッと男を睨み上げ、何か言おうとした薫を、晋助が片手で制した。

「なァ、塾頭さんよ……アンタも武士の道を学んだ身なら、情けのひとつくらい、持ち合わせてる筈じゃねぇのか」

彼は懐から銭の入った小袋を取り出し、男にひょいと放り投げた。

「オイ、兄ちゃん……こりゃあ何の真似だい?」

「医者に看せて、物を喰わせる分はある。俺達にゃあ、子童(わっぱ)を連れて帰れねぇ訳があるんでな」

晋助はそう言って、屋敷の門構えの向こうをチラリと盗み見た。
幕府の役人とおぼしき二人組の男が、道場へと近付いている。

「生憎俺達もここじゃあ、お尋ね者のようだなァ」

晋助は編み傘を目深に被ると、薫を促した。

「行くぞ」

薫は後ろ髪を引かれる思いだったが、幼いふたりの頭をそっと撫でた。

「元気で」

そして、塾頭の男をひたりと見据える。


「侍は常に強くあるもの……弱き者を護る優しさも、あなた様にあることを信じます」



晋助は道場の裏門から、足早に去ろうとしていた。



小走りにその後を追いながら、薫は唇を噛む。

弱き者を護る優しさも。己の言った言葉が、胸の奥に引っ掛かっていた。


晋助は、強い者を捜している。剣の心得があり、共に闘える者を。



(出陣する時は、俺と来い)


そう言った、晋助の心は。


彼にとっては、自分も、あの幼子らのように。
救いの手を、差し伸べるような存在なのだろうか。





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