隣人と二度、恋をする

□chapter5.Take me home,Country roads
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八月の強烈な陽射しが地面に照り返して、灰色のコンクリートがゆらゆらと歪んで見える。道の両脇に拡がる田んぼのイネは青々として、尖った穂先が、夏の日光に食傷気味に垂れ下がっていた。

都内のマンションを出発して一時間。車は東へ向かいながら、田んぼに囲まれた平坦な道を走っていた。フロントガラスから照る午前中の光は痛いほどで、じりじりと首筋が焼かれていくようだ。クーラーをがんがんに効かせても、真夏の暑さは凌げない。

低いボリュームでかかるラジオから、ジブリの曲が流れてきた。サビの歌いかたが印象的で、思わず口ずさみたくなる主題歌。映画のタイトルは何だったろうか。確か、バイオリンを弾く青年に恋をする女の子の話だった。望郷の想いを高らかな声で歌っているのに、曲は何だかもの哀しい、独特の雰囲気を漂わせている。

帰りたい 帰れない さよなら

きっと、そんな歌詞があるせいだ。恋が実って、好きな相手と歌うのに、さよならと言うなんて。

何の気なしに、ラジオから流れる歌声に合わせて口ずさんでいると、運転席からどすのきいた声がした。

「歌うな下手っクソ。耳が腐る」

ハンドルを握っていた高杉が、ミラー越しに俺を睨みつけていた。俺はカチンと来て言い返した。

「てめェの下手っクソな運転で我慢してやってんだ。歌うくらいいいだろーが」
「ちょっと……やめなよ」

後部座席、俺と並んで座った楓が、不安そうに俺を窘めた。勿論、高杉の運転は下手ではないし、東京を出発してから高速に乗っても、一定して安全運転だ。それでも釈然としないのは、俺と楓が家賃を折版して暮らしているマンションに、コイツは悠々一人暮らしをしているうえ、自分の車まで所有していることだ。とてもじゃないが、俺の月収では自家用車を維持していけない。

「お前さァ、今何の仕事してんの。まだ女ンとこで飯食わせてもらってんのか」
「……お、女?」

楓が小声で聞いた。

「そう。コイツ女の家に入り浸るようになって、高校辞めたの」

高校時代の高杉は、不良だった。不良と言っても、暴力沙汰で停学になるとか他校の生徒と問題を起こすとか、そういうタイプではなくて、とにかく学校をサボっていた。でも不思議なことに、授業に出ていないのに試験の結果は常に上位で、出席日数ぎりぎりで進級をしていた。
それでも、三年になった頃だったろうか。どこで知り合ったか知らないが、年上の女と付き合うようになってから学校に一切来なくなり、施設にも帰ってこなくなった。ガキの頃から高杉と絡んでいた俺にとっては、突然置いてけぼりをくらったような心境になり、反抗心から俺も施設を出てみたけれど、よく知らない奴の家で寝泊りする神経の図太さは持ち合わせていなかった。結局、新宿界隈を浮浪者みたいにふらふらしているところを、お登勢のバアさんが見つけて十条の家に世話になったのだ。

そんな出来事のせいか、高杉というと女の存在がセットで思い浮かぶ。ブランド品に身を包み、気に入った宝石に大枚を叩くのと同じ感覚で、好みの男に貢いで側に置いておくような女。高杉自身女の家に住むのだって、好きだからという理由ではなかったのだろう。そんな奴が自活していけるのか甚だ疑問だったけれど、高杉から返ってきた答えは意外なものだった。

「文章を書く仕事をしてる。所謂ライターって括りで呼ばれる職業だ」
「ふうん。どっかの出版社に勤めてるってこと?」
「いや、今はフリーだ」
「マジかよ。今時フリーランスで飯食っていけんの?お前高校中退だろ。つーことは中卒だぜ?」
「高校辞めて暫くしてから、知り合いのつてで一回編プロに入った」
「ヘンプロ?」
「編集プロダクション。出版社の下請けみたいなモンさ。雑誌の企画とか特集記事は、だいたい編プロに丸投げされて記事を書かされるんだよ。そこで興味のあるなし関係なく、とにかく色んな記事を書かされて……そん時に知り合った編集者から、色々仕事もらってるのさ」
「いくら仕事があるからって、一人暮らしして車持って……ライターってそんな儲かるのかよ」
「いくら文章がうまくても鳴かず飛ばずの奴だっているし、下手なモンしか書けねえくせに俺より稼ぐライターはごまんといる。そういう世界だよ」

出版社のいわれるがままに働かされていたなんて高杉らしくないが、元々頭のいいコイツなら、多分そつなくこなしたのだろう。実力を養って人脈を築いてから独立し、会社の規則にも縛られない生活を送るというのは、高杉らしい。

「じゃあ、お前が書いたやつが載ってる雑誌教えろよ。俺ァ一応高校国語の教員免許持ってっからな。受験生の評論文のついでに添削してやる」
「死んでも教えねェ」
「どうせロクでもねー記事書いてんだろ。雑誌でもたまに、支離滅裂な文章書いてる奴見かけるしなあ。高校も卒業してねーお前が、どれだけのモン書けるのか評価してやるよ」
「そこまで言うなら教えてやらァ。ビリオン出版から出てる風俗情報誌にな、淫乱ソープ嬢の変態マン、」
「あー!!!ストップストップ!!」

俺は大声をあげて高杉を制止してから、慌てて隣の楓を見た。彼女は案の定、ひきつった笑いを浮かべて、石像のように固まっていた。

「止めろよな!楓はそういう話苦手だから!つーかお前風俗ライターだったの!?マジでひくんだけど!!」
「違ェよ。たまに下品なやつも書いてるってだけだ。仕事選り好みしてたら、この世界生きていけねーんだよ」
「ああ、そうかよ……」

これ以上ヤラシイ方向に話が進まないように、俺は黙りを決め込んだ。
何か会話をしていないと、じっと汗ばむような厳しい暑さが余計体に堪えた。ゴウゴウとフル稼働するクーラーの音に被さって流れるラジオは、もうジブリの曲は終わっていて、FM局らしい女性DJの、上品な声が聴こえていた。


俺と楓を乗せた車は、高杉の運転で、山梨県へ向かっていた。隣の楓は、相変わらず貼り付けたような笑顔で硬直している。車の運転手が実は筋金入りの女たらしで、風俗雑誌にも記事を書くような変態ライターだと知ったら、この先、彼女と高杉が仲良くなることは絶対ないだろうなと、俺はそんな予想をしていた。



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