隣人と二度、恋をする

□chapter5.Take me home,Country roadsA
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朝目覚めて、普段と違う天井が目に飛び込んできて、一瞬どこにいるのかと混乱した。畳の寝室、二つ並んだ布団の片方に楓が眠っているのを見て、ああそうだった、山梨に来ているんだと思い出す。

楓のばあちゃん家は風の通りがよく、夜は驚くほど涼しかった。都内のマンションは、夏の夜は窓を開けても蒸し暑くて、扇風機かクーラーをつけないと眠れないというのに、田舎の夜は快適だ。日中暑くても、夜の間に水で注がれたのかと思うほど、清廉な空気に変わっている。清々しい空気を胸取り込んで背伸びをしていると、

「おはよう銀時……。早起きだね」

隣の布団で、楓がもぞもぞと動いて起き上がった。寝る前は気付かなかったが、彼女はクマの絵柄が描いてある、随分幼い雰囲気のパジャマを着ていた。

「おはよ。お前のそのパジャマ、可愛いな」
「えっ?そう?昔着てたのが箪笥に入ってたから、引っ張り出してきたの。変かな」
「いや、変じゃねェけど、もうすぐ三十になる女が、クマさん模様かと思ってさ」

楓は頬を赤らめて恥ずかしそうにしていて、それがますます可愛かった。決まり悪そうに、俺に背を向けて着替え始めたので、俺は笑いながらからかった。

「もう着替えんの?そのまま朝飯食ったら?可愛いんだからさ」
「いや。恥ずかしいからもう着替える。人に見られたくない」
「ああ、そう言えば、高杉もいるしな」

山梨での最初の一晩、俺と楓は二階の畳の寝室、高杉は一階の客間に布団を敷いて眠った。三人での共同生活を五日間続けるにあたって、俺と楓は相談して、まず最初に家事の分担を決めた。マンション暮らしの延長で、洗濯は俺、掃除は楓の担当。そして朝飯は俺、昼飯は楓、晩飯は俺と楓が交代で作ることになった。高杉にも何かやらせようとしたけれど、お願いして来てもらっているという理由で、彼女は高杉に家事を頼むのを拒んだので、結局二人で回すことになった。


簡単な朝食を作って、惰眠を貪る高杉を叩き起こしてから、三人で食卓を囲んだ。それからすぐ、楓はちょっと出かけると行って、外に行ってしまった。ほんの数分で戻ってきたのだが、

「私達じゃあブドウのこと何も分からないから、助っ人を呼んできたの」

と、見知らぬオジサンを連れてきた。その人は真っ黒に日焼けして、黒くて丸い、昭和の匂いがするサングラスをかけていた。そして楓と並ぶと、彼女が小学生に見えるほど体格が良かった。彼女は簡単に紹介した。

「お隣の、小銭形平次さん。おばあちゃんと同じブドウ農家なの」
「楓ちゃんから事情は聞いたよ。俺で教えられることなら、何でも訊いてくれ」

小銭形さんは分厚い胸板をドンと叩いて言った。ランニングシャツから剥き出しの肩や二の腕は筋骨隆々としていて、農家がいかに体力仕事であるかを物語っていた。

「よろしくお願いします、小銭形さん」
「おう、平次おじさんでいいぞ」
「坂田銀時です」
「……高杉晋助です」

俺と高杉が順に自己紹介すると、平次おじさんは俺達を順繰りに指して、

「こっちが銀ちゃんで、こっちは晋ちゃんだな」

と勝手にあだ名をつけた。高杉があからさまに不快そうな顔をしてそっぽを向いたので、俺は思わずプッと吹き出した。楽しそうなオッチャンでよかった。きっと、うまくやれるだろう。


平次おじさんは早速、俺達を連れてブドウ畑に行った。なだらかな斜面に、ブドウの樹が等間隔に何列も植えられていて、ブドウ棚に細い蔓を伸ばしていた。大人の手のひらのような形をした葉っぱが多い茂って、赤紫の粒が輝くブドウの房を、厳しい陽射しから守っているようだった。
足を踏み入れて初めてわかったのだが、畑全体が雨避けのビニールで覆われているせいか、空気がこもって中はかなり蒸し暑かった。それに、蔓が絡まるブドウ棚が俺の鼻の高さにあって、ちょうど口許の辺りにブドウが生っていた。俺と平次おじさんは、腰を屈めて歩かないと、ブドウに顔をぶつけてしまうのだ。

「……ブドウ棚って、なんでこんなに低いんだ?これじゃあ、立ってるだけで腰が折れ曲がりそうだ」
「ブドウは、かなり頻繁に手をかけなくちゃいけないのよ」

と楓が言った。彼女は小柄なので、ブドウの房はちょうど彼女の頭上にある。

「枝の剪定をしたり、余計な芽を欠いたり、ジベって言って、種をなくすための薬剤に浸けたりとかね。ブドウ棚はおばあちゃんの背の高さに合わせてるから、銀時には低すぎるかもね」
「なるほどね。じゃあ、高杉にはちょうどいいってことか。チビが羨ましいよ」
「うるせえよ」

俺が軽口を叩いてると、楓は隣接したハウスを指差して言った。

「隣は平次おじさんの畑なんだけど、棚の位置がこっちより高いでしょ?」
「ああ、確かに。つーか畑の広さもかなりあるような……」

平次おじさんは、腕組みをして誇らしそうに頷いた。

「うちはデラウェアとシャインマスカットと、ワイン用のブドウを作ってるんだよ」
「えー!じゃあ、こっちに手伝いに来てて大丈夫なんスか?」

どこのブドウ農家も今時期は繁忙期だろう。隣家で油を売ってる暇はないのではと思ったが、平次おじさんの所は毎年収穫の時期にアルバイトを雇っているそうで、奥さんとバイトに任せてきたそうだ。

「幹子さんが怪我で入院したって聞いて、頃合いをみて手伝いに行かなきゃと思っていたんだよ。幹子さんには昔、随分世話になったからなあ」
「幹子さんって誰スか?」
「おばあちゃんの名前」

訊ねると、楓が教えてくれた。
平次おじさんはコンテナを肩に担いで、ブドウ畑の斜面を登りながら昔話を始めた。

「俺の家は曾祖父の代からブドウ農家なんだが、俺自身は継ぐつもりはなくてさ、東京の飲食店で働いてたんだ。でも急に親父が死んで、おふくろに畑が潰れちまう、助けてくれって泣きつかれてさ……。こっちに戻って来たはいいけど、農業のイロハも知らなかった俺に、幹子さんと亡くなった旦那さんが親切に教えてくれたんだよ」
「へえ。そうだったんスか」
「もう、何十年も前の話だがね」

畑の隅まで行くと、平次おじさんはきれいに色づいたブドウのひと房を指差し、左手をそっと、房のしたに添えた。それから収穫用の鋏(ハサミ)を右手に持ち、

「幹子さんが手塩にかけて育てたブドウだからな。丁寧に扱うんだぞ」

と真面目な口調で念を押してから、収穫のやり方を俺達に見せてくれた。

「粒を潰さないように、下に落とさないように手のひらで支えながら……こう、鋏を横から入れて、茎のところを切るんだ。鋏の先で房を触らないように、気を付けてな」
「はい」
「じゃ、皆でやってみるか」

売り物のブドウに頭をぶつけて、潰したりしたら大事だ。腰を屈めるのでなく、膝をくっと前屈みにすると作業がしやすかった。
小柄な楓は、ブドウの房を見上げながら、真剣な眼差しで収穫をしていた。一生懸命な子どもを見ているようで、微笑ましい気分になっている合間にも、四人がかりではすぐにコンテナがいっぱいになった。この後、重さや色づき具合によって選果して、出荷のための箱詰めの作業をする。箱は昨日のうちに、おおかた組み立てて納屋に積んであった。

平次おじさんはコンテナを軽々持ち上げると、俺と高杉に言った。

「収穫は立ち仕事で女の子にはきついから、楓ちゃんには選果をやってもらうよ。俺は楓ちゃんを手伝うから、コンテナがいっぱいになったら、また納屋に運んできてくれ」
「了解ッス」

楓は平次おじさんの後に続いて畑を降りながら、俺に小さく手を振った。

「お昼ご飯の時間になったら、戻って来てね」
「おう」

返事をしたものの、楓が畑を降りてゆくのを見送っているうちに、ちょっと待てという気分になる。
平次おじさんと彼女が選果に行ってしまったなら、残された俺と高杉は二人っきりで、収穫をするということになるではないか。



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