隣人と二度、恋をする

□chapter6.The Summer TriangleA
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朝は早起きして、日中は農作業に家事にと忙しく動き回っていると、夜は動くのも億劫なほど疲れ果てた。銀時とのセックスが駄目だった日から、夜彼と二人で過ごすのが気まずくて、私は何時だろうと早々に寝ていた。
そうしてふたりきりになるのを避けて、山梨に来てからの四日間はあっという間に過ぎた。最終日の五日目は午前中だけ作業をして、午後には東京に帰ることになっていた。


山梨での最後の夜、普段夜中に目覚めることなんてないのだが、ふとトイレに行きたくなって目が覚めた。時計を見ると、真夜中の十二時をさしている。隣の布団では、銀時がいびきをかいて熟睡していた。
一階に降りてトイレに行く途中、廊下の窓から、畑の方にぼんやりと明かりが見えた。何だろうと思った瞬間、はっと思い出した。納屋の電気を消しておくのを、忘れてしまったのだ。

玄関の錠を開けて外に出ると、畑の方から、リーンリーンと鈴虫の声が聴こえてきた。昼間はあれだけ暑いのに、田舎は夜はぐんと涼しくなって肌寒いくらいだ。
空を見上げると、降るような夏の星空が広がっている。南の空低くには、赤い星が輝いているのが見えた。確か、さそり座のアンタレスという星だ。特徴的な形をした星座なので、理科の授業で習ったのを覚えている。視線を頭上へ移すと、ひときわ明るい星が夜空に三角形を描いていた。夏の大三角と習ったのは記憶にあるけれど、星の名前と星座の呼び名は、すっかり忘れて思い出せなかった。

小さい頃は、母に連れられてよくおばあちゃん家に遊びに来た。畑仕事をするおばあちゃんを手伝ったり、野の草花を摘んで遊んだり、ここには楽しい記憶しかない。真夏の夜空は星座版を写したようにきれいで、昔と何も変わらないのに、それなのに今、こんな苦しい思いをしているなんて。


ぼんやりと星空を見上げていた時、突然背後から、砂利をザッと踏みしめる音がした。びくっと竦み上がって振り返ると、

「何してんだ。こんな夜中に」

と、Tシャツにスエット姿の高杉さんが立っていた。心臓が止まりそうになりながら、私はかろうじて言葉を返した。

「あなたこそ」
「煙草だよ。お前は?」
「納屋の電気を消し忘れたから、今から消しに」
「ああ、そうか……」

シュボ、とライターの擦れる音がして、炎が灯った場所が一瞬だけ明るくなった。シャープな顎のラインが浮かび上がって、褐色に日焼けした肌に、喧嘩の傷跡が生々しく残っていた。

「独りで空なんか見上げて、どうしたんだよ。てっきり、夜空に消えちまうかと思って焦った」
「私は、あの星を……」

私は真上を見上げて、夜空の大きな二等辺三角形を指さした。

「夏の大三角の、星座が思い出せなかったの。確か、織姫星……」
「織姫星は、こと座のベガ。彦星はわし座のアルタイル。もうひとつは、白鳥座のデネブ」

明朗な声で、高杉さんはひとつひとつの星を指差しながら教えてくれた。彼の口から星座の名を聞いたら、それだけで星の目映さが何倍にも増したように思えた。言葉や名前というのは、つくづく偉大なものだ。

山梨に来てから、高杉さんとまともに会話をするのはこれが初めてだった。銀時に高杉さんとの関係が知られた以上、二人きりで会話をすることは、もう二度とないと思っていた。
私は、ずっと伝えなければと思っていたことを彼に言った。

「私……あなたに謝らなくちゃと思っていたの。ごめんなさい。その……思いっきり、叩いてしまって」
「いや。いいさ」

彼は可笑しそうに低い声で笑いながら、煙草の煙を深く吸い込んだ。

「俺のことを、恨んでるだろ」
「えっ?」
「俺とお前のことを、秘密だと言ったのは俺だってのに、銀時にバラしちまったんだから」
「……ううん。あなたと銀時が知り合いだって知った時から、隠し通せないと思ってた。一緒に暮らしてるのに、ずっと嘘をつき続けるなんて出来ないもの……」
「嘘、か」

高杉さんはひょいと片方の眉をあげて、意地の悪い笑みを浮かべた。

「嘘なら、お前は銀時に対しても、自分自身にもつき続けてきた筈だぜ。セックスレスが嫌で嫌でしょうがなかったくせに、自分を誤魔化し続けて銀時(アイツ)にも黙ってたせいで、俺と寝たんじゃねーか」
「…………そんな言い方、しなくても……」
「お前も銀時も、似たもの同士だよ。お前が本当の事を口に出せないのと同じで、アイツは人と仲良くなっても、自分の本心を容易にさらけ出そうとしない。いつも一歩退いて、外野にいるみてェに壁を作ってる。相手を傷付けない、干渉しない……アイツはそれを優しさとはき違えてるんだろうが、お前らの様子を見る限りじゃあ、今まで喧嘩なんてしたことがねェんだろう」

図星だったので、私は小さく笑って肩をすくめた。

「あなたの言うとおり、喧嘩らしい喧嘩なんて一度もなかったわ。それは仲が良いからじゃなくて、ただ、心の底から本音をぶつけてなかったって……それだけのことなのね」
「お前達を見てると、いい歳した男女がままごとの延長してるみてェで、むしょうに腹が立つよ」

ままごと、と彼が選んだ表現に納得した。お互いを大切にしているつもりでも、分かり合おうと努力をしてこなかった私達の恋愛は、彼が言うようなごっこ遊びの延長なのかもしれない。

銀時の心にある傷は計り知れないほど深くて、どう向き合っていくのか、これから答えを捜さなくてはいけない。それに気づかせてくれたのは、他でもない、目の前にいるこの人だ。

「……高杉さん」

彼は吸い終えた煙草の火を揉み消して、携帯灰皿にしまっているところだった。吸殻をその辺にポイと捨てない気遣いが、彼らしいなと思った。

「あなたが銀時と知り合いだって知った時は、すごく驚いたけれど、あなたがここに来てくれたことには、本当に感謝してます。明日も早いから、早く戻って休んで」
「戻ったら仕事するよ」

さも当然のように高杉さんは言って、煙草と携帯灰皿を一緒にポケットに突っ込んだ。

「週明けに幾つか原稿の締切がある。昼間は書けねェから、夜にやるしかねェだろう」

私は吃驚して目を丸くした。日中の農作業で、私も銀時もくたびれ果てて早々に寝ていたというのに、高杉さんは毎晩原稿を書いていたなんて。



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